未来に期待しない癖がついた僕へ 〜司法書士という肩書きに隠した本音〜
いつから「期待しない」が楽になったのか
ある日、窓の外を見て、「明日、雨だな」と気軽に告げたことがある。そのとき、一緒にいた事務員がこう言った『元気ですね』。それを聞いて初めて、自分の発言に期待も不満もない無色さが出ていることに気づいた。いつから、未来に期待しないことが、自分を守るようになっていた。その習慣は、良くも悪くも、僕の生活の根底に深く混ざっている。
失望の回数が「慣れ」を生んだ
小さな期待が裏切られることを繰り返した結果、もはや期待そのものをしなくなった。教科書にマーカーをつけても認められなかった学生時代、事務所の仕事で最後までやり切ったのに感謝もされなかった時。そんな「意味がなかった努力」の記憶が、自分の期待度を下げていった。安全地床を歩くことに慣れてしまったら、いつのまにか大きく踏み出すことが怖くなっていた。
20代の夢と、現実のギャップ
20代の頃、僕は「自分の仕事で人の人生を変えられる」なんて夢を見ていた。現実は、書類の束が死んだ顔をして積まれ、電話は最初から不満そうな声。言われたとおりにしたのに、「まだですか」と追われる。夢のために頑張るって、いつの間にかほぼ忘れた。
独立したけど、自由ってこんなもんか
あれだけ準備して、試行錯誤を繰り返してなんとか始めた自分の事務所。自由を手に入れたはずなのに、いまではただの仕事の実務と給料説明と、店舗管理が日常化している。自分がやりたかったことより、やらねばならないことに日々追われている気がする。
ひとりで抱える責任の重さ
すべての判断を自分が下さねばならない。それが独立した者の宿命だとはわかっている。でも、誰にも弱音を吐けない、言ったところで「甘えるな」と返されそうで、どんどん心が硬くなる。一緒に働いてくれる事務員には感謝してる。でも、経営の重さはどうしても共有できない。
事務員一人、経営者一人の現実
家族経営ならぬ「少人数事務所」では、全部を回すのが当たり前。でも、その当たり前が実はとても重たい。風邪一つひいても気が抜けない。電話が鳴れば出なきゃならない。SNSで「自由に働く司法書士」なんて見てると、ちょっとだけ腹が立つ。
相談できる相手がいない孤独
同業者同士で会う機会はあっても、本音をさらけ出せる相手って、案外いない。皆どこかで競争していて、弱音を出したら負け、みたいな空気がある。だからこそ、ひとり夜中にパソコンの前で、ふと「俺、何やってんだろ」と思ってしまう。
書類とスケジュールに追われる日々
目の前にあるのは、誰かの人生を左右する大事な書類。けれど、その1枚1枚が「こなすべき作業」として消費されていく。この業界は、感情を置き去りにしてでも精度とスピードが求められる。喜びよりも、「ミスをしない」ことが優先される。