いつものように笑顔を作った朝
朝起きて、鏡の前でいつものように口角を上げた。笑顔を作るのは、もはや日課になっている。司法書士という職業柄、人前に出ることが多い。依頼人も、金融機関も、士業仲間も、基本的にはこちらの様子を敏感に見ている。「この先生なら安心できる」と思ってもらえるように、いつも笑顔でいたい――そう思っていた。けれどその朝は、顔の筋肉が思うように動かなかった。
鏡に映る「大丈夫そうな自分」
鏡に映る自分は、今日も「大丈夫そう」に見えた。シャツにアイロンをかけ、髪を整え、ネクタイの色も無難に決めた。「よし、いける」と自分に言い聞かせるのが習慣になって久しい。でも、よく見ると目の下にうっすらクマができていて、顔色も冴えない。どこか無理をしているのは、自分が一番わかっている。けれど、この顔で今日も一日やり切らなければならない。そう思うと、胃の奥が重くなるような感覚がした。
朝のルーティンが壊れる予感
毎朝決まった時間に起き、決まったルートで事務所に向かう。その流れが崩れることはほとんどない。でもこの日は違った。靴を履こうとした瞬間、靴紐が切れた。そんな些細なことが、妙に胸に引っかかった。電車は遅延、乗り換えもうまくいかず、結局、予定より10分遅れて事務所に到着した。たった10分。けれど、その小さなズレが、自分の中の「平静」を少しずつ削っていった。
本当は起きた瞬間からしんどかった
遅れたのも、靴紐が切れたのも、ただのきっかけに過ぎなかった。本当は、起きた瞬間からしんどかったのだ。夢の中でも仕事をしていたような気がする。電話が鳴って、書類が飛び交って、誰かに怒られていた。目覚めた時には、すでに心が疲れていた。だけど、そんな自分を見せるわけにはいかない。笑顔を作って、平常運転を装う。それが司法書士としての「仕事」だと思っていた。
「笑顔でいる」ことが求められる仕事
司法書士という職業は、黙々と書類を作るだけではない。相談者と会い、時には人生の一大事に立ち会うこともある。そんなとき、こちらが沈んだ顔をしていては話にならない。笑顔で、安心させてあげることも仕事の一部だ。特に相続や債務整理の相談は、相手が不安でいっぱいだ。だからこそ、こちらが「大丈夫ですよ」と笑って見せることで、相手も少し肩の力を抜けるようになる。――でも、それを続けるのは、なかなか骨が折れる。
依頼人の前ではニコニコしていたい
「先生が笑ってくれてよかったです」「話しやすくて安心しました」そんな言葉をもらうと、こちらも救われた気持ちになる。笑顔でいることが、誰かの助けになるなら、それもこの仕事の意義の一つなのかもしれない。だけど、正直に言うと、ニコニコしている間も、頭の中では次の登記のことや、催促の電話のことがグルグル回っている。心が追いつかなくても、笑顔だけが先に出てしまう。そんな日もある。
でも心の中では全然笑えてない
ある日、相続の相談で来られた女性に「先生、やっぱり人柄が出ますね」と言われた。褒め言葉なのだろう。でもその瞬間、自分の中に違和感が走った。「本当の自分」を評価された気がしなかったのだ。実際のところ、笑顔の裏で、あれもこれも不安を抱えていた。銀行とのやりとりがうまくいっていない。事務員さんの表情がどこか気になる。そんな心の内は、誰にも見せられなかった。
事務員さんの前でも気を遣ってしまう
たった一人の事務員さんにも、気を遣ってしまう自分がいる。「先生、今日も大変そうですね」と声をかけられるたびに、少し胸が痛む。「いやいや、全然大丈夫だよ」と返しながら、内心では「気を遣わせてごめん」と思っている。彼女にも家庭があるし、体調のいい日ばかりじゃない。こちらがムスッとしていたら、場の空気が悪くなる。そう思って、また笑顔を作る。
「先生、いつも元気ですね」に救われて
ある日、事務員さんがふと漏らした。「先生って、いつも元気ですね。尊敬します」――冗談半分だったのかもしれないが、なぜか胸が熱くなった。その一言が、意外と効いた。誰にも見せられない自分の弱さを、ほんの少しでもわかってもらえた気がしたのかもしれない。そうやって、なんとかバランスを取っている。誰かの一言に、支えられることもあるのだ。
本当は元気じゃない日もある
笑っていても、本当は元気じゃない日がある。むしろ、元気じゃない日の方が多い気さえする。天気が悪い日、嫌な電話があった日、書類に小さなミスが見つかった日。そんな時も、表面上は笑って、何事もなかったように仕事を進める。「プロなんだから当たり前でしょ」と言われればそれまで。でも、その「当たり前」の裏にあるものを、時々は誰かにわかってほしいと思ってしまう。
誰もいない事務所でようやく気が抜けた
夕方になり、事務員さんが帰ると、ようやく少しホッとする。電話も減り、書類のチェックもひと段落。冷めたコーヒーを口にしながら、机にもたれかかる。「今日もなんとか終わったな」――そんな独り言をつぶやくのが日課になっている。笑顔で乗り切った一日。でも、それは本当に「乗り切れた」と言えるのだろうか。
冷えたコーヒーと溜息だけが残る夜
夜の事務所は静かだ。プリンターの音も、電話のベルもない。ただ、自分の溜息だけが響いている。デスクの端に置いたままの冷えたコーヒーを飲み干すと、どこか空虚な気持ちになる。笑顔でいた分だけ、あとから疲れが押し寄せてくるようだ。今日も「笑顔でいよう」と頑張った。でも、それで何かが報われたわけでもない。むしろ、疲労感だけが確実に残っている。
一人の空間でようやく素の自分に戻る
笑顔を外し、椅子に深く腰掛けて目を閉じる。ようやく、「素の自分」に戻れる気がした。別に泣きたいわけでも、怒りたいわけでもない。ただ、無理して笑わなくていい時間が、少しだけほしいだけだ。誰にも見られていない場所で、ようやく肩の力が抜ける。それが、自分にとっての「休息」になっているのかもしれない。
笑顔の裏にあったものを認めてみる
今日も無理して笑っていた。でも、それで誰かが安心してくれたなら、それも意味のあることかもしれない。だけど、自分自身がボロボロになっていては意味がない。これからは、笑顔の裏にある自分の気持ちにも、もう少し正直になってみたい。笑顔を否定するのではなく、それに隠れた疲れや孤独にも目を向けることが、自分を守る一歩になるのかもしれない。
頑張りすぎてた自分を許してあげたい
「笑顔でいよう」と頑張りすぎた日、それは決して悪い日じゃない。誰かのために、自分なりにベストを尽くした日。でも、それが続けば、自分が壊れてしまう。たまには弱音を吐いてもいい。人間だから。そう思えたとき、少しだけ心が軽くなった。今日だけは、自分を褒めてあげよう。「よく頑張ったね」と。
誰かのためだけじゃない笑顔でいたい
これからも、きっと笑顔は必要だ。でも、それが誰かのため「だけ」にならないようにしたい。自分が少しでも安心できるような、そんな笑顔でいたい。そうすれば、無理をしていなくても、自然と表情が和らぐはずだ。笑顔は武器にもなるが、時に自分を傷つける仮面にもなる。そのことを忘れないように、今日という一日を締めくくりたい。