案件よりメンタルが限界です
司法書士という仕事は、淡々と書類を処理していれば成り立つ…そんなふうに思われがちですが、現実はそう甘くありません。毎日届く書類、期限ギリギリの依頼、トラブル対応、そして一人事務所の重圧。仕事の量ではなく、気持ちの方が先に潰れてしまいそうになることもあります。正直、最近は案件の内容より、自分のメンタルの限界と向き合う時間の方が多い気がします。
朝起きた瞬間に感じる重さは何なのか
朝、目覚ましが鳴ると同時に「また今日もか」と思ってしまう自分がいます。布団の中でスマホを握りしめたまま、次の一歩を踏み出すまでに10分、20分とかかる日も少なくありません。寝たはずなのに、まるで休んだ気がしない。頭の中ではすでにメールの内容や今日のアポがぐるぐる回っている。眠っても疲れが取れない、そんな日常に慣れてしまっていることが、逆に怖いと思うようになりました。
目覚ましと共にやってくる「今日もか」という感情
元野球部の頃は、どんなに朝練が辛くても、目覚めと同時に身体が動いていた気がします。でも今は違います。目覚ましが鳴るとまず感じるのは「ああ、また仕事だ…」という気持ち。これが毎日続くと、身体が起きても心が起きない。そうなると、すべての行動が遅れてしまい、結果的に自分を責める悪循環に陥ります。
睡眠では回復しきれない心の疲れ
どれだけ寝ても「よく眠れた」と思う日はありません。事務所に着いてからも、頭の中はぼんやり。お客さんの話に集中できなかったり、書類の確認ミスをしたりすることもあり、「こんなことではダメだ」と自己嫌悪に陥ります。身体より先に、心が消耗している感覚。これを回復する方法が、正直まだ見つかっていません。
電話が鳴るたびに心がすり減っていく
電話の着信音が、今や恐怖のサインになってしまいました。かつては「仕事が入った」と前向きに捉えられていたものが、今では「クレームかもしれない」「トラブルの火種かも」としか思えなくなってしまったのです。電話に出る前から胃がキリキリし、出た後はどっと疲れが押し寄せてきます。
「またトラブルか」の予感が離れない
特に最近は、依頼者の感情が荒れていることも多く、「ちょっと聞きたいだけなんだけど…」という電話が、実際には30分以上の怒りや不安の吐露だったりします。こちらも人間ですから、受け止めきれない時もあります。でも「仕事だから」と割り切ってしまうと、自分の心を置き去りにしてしまうようで、それがまたしんどい。
クライアントとの温度差に苦しむ日々
たとえば、こちらが「大至急対応しないと危ない」と思っていても、依頼者は「まぁ来週くらいに…」とマイペースなことも。逆に「急いでください!」と言われても、登記上の手続きでは即日どうにもならない場面も多い。この温度差に神経をすり減らし、「説明しても理解されない」虚しさに襲われることが何度もあります。
仕事が終わっても終わらない思考のループ
業務が終わって家に帰っても、頭の中では「明日やること」「あの案件の進捗」「あの依頼者の顔」が浮かんできます。お風呂に浸かっていても、晩酌していても、ふとした瞬間に「あれ、あの書類ちゃんとチェックしたっけ?」と不安になってしまう。これは、完全に“気持ちの休み方”を忘れてしまった状態だと思っています。
風呂に入っても頭の中は依頼のことでいっぱい
湯船に浸かっている時間が、唯一のリラックスタイムだったはずなのに、今ではその時間すら「脳内打合せ」の場に変わってしまいました。お湯の温度はちょうどいいのに、頭の中は沸騰寸前。こんな状態が続いていると、何のために家に帰っているのか、自分でも分からなくなってきます。
一人事務所という孤独が背中にのしかかる
事務員さんがいてくれるとはいえ、結局すべての最終判断は自分。誰かに頼れる環境でもなければ、愚痴をこぼす場もない。相談相手もいないまま、全部を自分の中で処理し続けるのは本当にしんどい。孤独というより、無重力の空間に一人で浮いているような感覚です。
それでも辞められない理由を探してしまう
ここまで書いておいて何ですが、それでもこの仕事を完全に辞める気にはなれない自分がいます。これまで築いた信用、やりがい、そして「自分にできる仕事はこれしかない」という感覚。矛盾してるのは分かってます。でも、たまに感謝の言葉をもらったり、問題が無事に解決したときの安堵感は、何ものにも代えがたいんです。
やめたいと言えない自分がいる
周りに「もう辞めたいんだよね」と言うのが怖いのかもしれません。弱音を吐いた瞬間に何かが崩れてしまいそうで。けれど、心の中では何度も「もう限界かもしれない」とつぶやいています。たぶん、自分の中で折り合いをつけられていないんです。
「この仕事しかない」と思い込んでしまう癖
資格を取ってからずっと司法書士一本でやってきたせいか、「他にできる仕事なんてない」と思い込んでしまっている部分があります。それが、実は一番の足かせになっているのかもしれません。もっと自由になっていい。そう思える日が、いつか来ると信じたいです。