相続登記放置しても平気でしょって言われた日が地味にこたえる

相続登記放置しても平気でしょって言われた日が地味にこたえる

相続登記を放置してもいいという言葉の重み

「相続登記って、別に今すぐやらなくても平気でしょ?」 先日、不動産の相談で来られた方に、まさにこの一言を言われました。笑いながら、軽い調子で。たしかに法律上の義務は猶予期間があるし、差し迫った事情がなければそう思うのも無理はない。でも、その場で笑って受け流しながら、胸の奥にずしんと重たいものが沈んでいくのを感じました。専門職として当たり前にやっていることが、世間では「どうでもいいこと」と見なされてしまう瞬間って、ほんと、こたえます。

一瞬笑って流したけど内心はざわついていた

相続登記を放置しても平気、という言葉には、ややもすればこちらの存在意義すら否定されているような響きがあります。もちろん悪気はないんでしょう。でも、こちらは毎日、関係者に連絡をとり、戸籍を読み解き、根気強く書類を整え、ようやく登記にたどり着く。そんな地味で地道な作業をこなしているからこそ、軽く扱われると、心がざわつく。昔、部活で頑張っても監督に「その程度か」と言われて凹んだ感覚に似ています。

専門家としての立場と現実のギャップ

世間が持つ司法書士のイメージと、実際に僕らがやっていることにはズレがあります。テレビで見るような派手な交渉劇なんてないし、書類の山と戦う日々。事務員と2人きりの事務所で、黙々と作業を進めていると、どこか社会から孤立しているような感覚になることもあります。そんなときに「放置でも大丈夫」と言われると、まるで自分の存在も放置されているような錯覚に襲われるんです。

気軽な一言が胸に刺さる理由

たった一言で、こちらの努力や意義がスルーされる感覚。それが地味に効いてくるんですよね。こちらはプロなので感情を露わにはしません。でも、事務所に戻って書類を整理しているときに、ふと「自分のやってることって何なんだろう」と虚しくなる瞬間がある。そういう言葉の影響って、後からじわじわ来るんです。

放置された相続登記が引き起こす本当の問題

実際のところ、相続登記を放置するとどうなるか。よくある「面倒だから」「今は使わないから」という理由で先延ばしにされがちですが、それが大きなトラブルの引き金になることも珍しくありません。特に田舎では、登記が放置されて何十年も経った土地がゴロゴロしています。昔は曖昧でもよかったことが、今ではきちんと手続きをしておかないと、次の世代が本当に困るんです。

名義が変わらないことで起きる実害とは

登記が亡くなった親のまま放置されていると、その不動産を売却することも担保に入れることもできません。ある依頼者は、急にお金が必要になって土地を売ろうとしたのに、名義が祖父のままで、親族全員に連絡を取るところからやり直しになりました。結局、売却のタイミングを逃して、損をする形に。そのときの「もっと早くやっておけばよかった…」という言葉、何度聞いたかわかりません。

不動産の売却や融資にも影響が出る

登記が放置されていると、相続人全員の同意が必要になるため、銀行からの融資も下りません。事業資金を確保したいという若い後継ぎさんが、父親の代の名義のままの不動産で断られている姿を見ると、本当に心が痛みます。司法書士の仕事って、こういうところで人の人生の歯車を少し動かしているんだなと実感する瞬間でもあります。

相続人が増えて収拾がつかなくなるケース

時間が経てば経つほど、相続人はどんどん増えていきます。最初は兄弟4人だったのが、10年経つと孫世代も絡んできて、気付けば相続人が20人以上。誰がどこに住んでいるかもわからず、連絡もとれない。こうなってくると、もはや「放置したツケ」は一個人では払いきれないレベルにまで膨れ上がります。司法書士として関わるのも、正直かなりしんどいです。

司法書士の立場から見た相続登記の現場

登記って、外から見たらただの事務手続きに見えるかもしれません。でも実際には、人間関係の調整と説得と、そして何より「信頼」を築く地味で繊細な作業の連続です。登記申請書を提出するまでに、裏では小さなドラマがいくつもある。そういう裏側を知らない人ほど、相続登記を「放置でもいい」と思ってしまうのかもしれません。

本人確認に時間がかかりすぎる現実

昔の戸籍は本当に読みにくい。達筆すぎて字が崩れているし、除籍や改製原戸籍を何通も取り寄せてようやく一人の人間のつながりが見えてくる。さらに本人確認書類を整え、印鑑証明を揃える…それだけでも時間がかかります。相手が高齢だったり、意思確認が難しい場合は、こちらの判断力も問われる。本当に、根気と慎重さのバランスが必要なんです。

高齢の親族とのやりとりのしんどさ

「もう年だから、書類のことは任せるよ」と言われても、署名押印が必要な書類には説明責任があります。電話じゃダメ、郵送だけでも不十分。だからこちらが訪問したり、対面で説明したり。しかも一度で済まない。暑い中、山道を登っておじいちゃんの家まで行くこともあります。司法書士って、地味に体力勝負の仕事なんですよ。

登記に至るまでの地道すぎる段取り

登記が完了するまでには、本当に多くの書類と手続きが必要です。固定資産評価証明書、戸籍、印鑑証明、住民票…それを一つずつ揃えて、ミスのないようにまとめ、法務局に提出。そのあとの補正が来ればまた対応。こんなに手間がかかるのに、表面上は「ただの登記一件」として処理される。理不尽といえば理不尽ですが、これが現場のリアルです。

それでも伝え続ける理由

いくら誤解されても、軽く見られても、やっぱりこの仕事は人の人生に寄り添っていると感じます。たとえ地味で、スポットライトが当たらなくても。放置されたままの登記を、丁寧に整理して未来へつなげる作業。これをやれるのは、他でもない司法書士です。

依頼人の未来を守るためにやっている

過去の登記をきちんと整えることで、未来のトラブルを未然に防ぐ。司法書士の仕事って、地味だけど未来志向なんです。相続登記をやっておけば、子や孫の世代が困らない。そう思うと、多少の愚痴はこぼしつつも、やる意味が見えてくる。今日もまた一つ、誰かのための「見えない橋」をかけているつもりで書類に向かっています。

小さな一件がトラブルを防ぐ礎になる

過去に、遺産分割協議がまとまらず兄弟が絶縁状態になった家族がありました。でも、もし10年前に名義変更だけでも済ませていれば、話がもっとスムーズに進んでいたはずなんです。相続登記って、何もない今だからこそ意味がある。未来で泣かないための準備なんです。

愚痴を言いつつも逃げたくない自分がいる

「もう、やってられんわ」と思う日もあります。正直に言えば、何度も司法書士を辞めたいと思ったこともある。でも、それでも続けているのは、たぶん自分なりの責任感と、ほんの少しの誇りがあるからなんでしょうね。誰にもモテないし、一人でご飯を食べる夜も多いけど、この仕事だけは、自分の存在を支えてくれている気がしています。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。