誰もいない事務所に、なぜかまだ灯りがついている
夜9時を過ぎても、僕の事務所の灯りはついたままだ。周囲の建物はとっくに暗くなっていて、事務所の窓から漏れる光が、まるで「ここだけはまだ終わっていない」とでも言いたげに、外の道をぼんやり照らしている。別に緊急の案件があるわけでもない。誰かに急かされているわけでもない。ただ、なんとなく帰れない。いや、正確に言えば「帰りたくない」のかもしれない。そんな自分が、机に向かいながらどこか冷静にその状況を見つめている。
「帰れない」のではなく「帰らない」自分がいる
依頼が立て込んでいる日はもちろんある。でも、今日はそこまででもない。定時に区切りをつけようと思えばつけられる。でもなぜか、書類を一枚、また一枚と眺めては机の上に戻して、意味のない繰り返しに浸ってしまう。これは完全に習慣だ。仕事が多いから残っているんじゃない。「残っていたい」だけなんだろう。周りから見れば、真面目で頑張ってる司法書士に見えるかもしれない。でも本音は違う。ただの寂しがり屋が、蛍光灯の下に安心しているだけなのかもしれない。
仕事が終わらない?いや、終わらせないだけかもしれない
本気を出せば、1時間で終わる書類整理を、僕は3時間かけてやっている。それは集中力が切れているわけじゃない。単純に「時間を使いたい」からだ。誰かと会う約束があるわけじゃないし、帰った先に話し相手がいるわけでもない。だったら事務所にいた方がいい。そう自分に言い聞かせながら、無駄に時間をかけてしまう自分に、どこか嫌気もさしている。でも、その嫌気も含めて、自分を保つための儀式になっている気がする。
締め切りよりも、誰かの「不安」の方が怖い
実を言えば、書類の締め切りよりも怖いのは、依頼人の「不安」だ。電話越しにため息混じりで話す高齢の依頼人、怒り口調で進捗を迫る相続人たち。僕たち司法書士は、書類を通して他人の人生に触れている。だから「間違いが許されない」というプレッシャーに取り憑かれている。それが怖くて、つい完璧を求めて、余計に時間をかけてしまう。ミスをしないための時間稼ぎ――それが、今日も僕を事務所に縛りつけている。
机の上には依頼書と、冷めたお茶だけ
ふと気づくと、夕方にいれたはずのお茶がすっかり冷えている。湯気の立たないマグカップと、積み上げられた書類の山。これが今の僕の生活そのものを象徴しているようで、少しだけ虚しくなる。気の利いた音楽も、温かい料理もない。ただ、紙の匂いと静けさに包まれて過ごす夜。こんな生活、誰に憧れられるわけでもない。でも、変えようにも変え方がわからない。そう思いながら、また一口、冷めたお茶をすすった。
この仕事は“割り切り”で終わるほど軽くはない
「ただの書類屋でしょ?」と、かつて付き合っていた女性に言われたことがある。そのときは何も言い返せなかった。でも本当は違う。司法書士の仕事は、人の相続、離婚、借金、人生の転機とどこかで交差している。だからこそ、割り切れない。依頼人の顔が浮かんでしまうし、書類一枚の向こうにある背景を無視できない。たとえそれが自分の首を締める結果になったとしても、やっぱり雑には扱えない。そんな仕事だ。
でも「ありがとう」が出ないことの方が多い
相手の人生を支える仕事をしているはずなのに、「ありがとう」と言われることは驚くほど少ない。逆に「こんなにかかるの?」「まだ終わらないの?」という不満の方が多い。そういう仕事だと分かってはいる。でも、心のどこかで「ちょっとは認めてくれよ」と思ってしまう自分がいる。それがたまってくると、モチベーションがじわじわと削られていく。見返りなんて求めちゃいけない。でも人間だから、やっぱりしんどい。
感謝されない努力は、続ける意味があるのか
司法書士という仕事は、表に出にくい。目立つことも少ない。でも責任だけは重い。そんな中で、日々の努力が誰にも見られずに消えていくと、「自分は何のためにやっているんだろう」と思うことがある。誰にも評価されず、誰にも頼られないような気がしてしまう。そんなとき、自分の存在意義すら疑ってしまう夜がある。それでも、誰かの暮らしを少しでも支えていると信じて、また明日も事務所の灯りをつける。
ふと気づくと、電気も消さずに夜が更ける
夜11時を過ぎると、さすがに身体も重くなってくる。もう何度目か分からないため息をついて、やっと席を立つ。でも、照明のスイッチにはなかなか手が伸びない。この灯りを消したら、今日が終わってしまう気がして怖い。そう、あの灯りには何か意味がある。もしかしたら、それは「僕がまだここにいる」という証明なのかもしれない。誰も見ていないけれど、自分にだけは見せておきたい。そんな灯りなのだ。
「事務所の灯り」=「自分がまだ頑張ってる証」なのか
事務所の灯りを見て、通りすがりの人は「まだ働いてるのか」と思うだろう。僕も、もし逆の立場ならそう思う。でも、その灯りは「仕事」だけじゃない。たぶん「僕の存在を示す最後の光」なんだ。こんな片田舎の司法書士が、誰にも必要とされずに終わっていくのは、あまりにも寂しすぎる。その灯りが、せめてもの証明であり、孤独な戦いの痕跡だと思えば、簡単には消せない。だから今日も灯っている。
それともただ、誰かとつながっていたいだけか
誰かとご飯を食べる予定があるわけでもない。LINEも鳴らない。だから、もしかすると、この灯りは「誰かとつながりたい」という小さな希望の表れなのかもしれない。たまたま見た人が「頑張ってるな」と思ってくれたら。それだけでもいい。その妄想のために、今日も僕は蛍光灯をつけている。事務所は、僕にとっては“舞台”なのかもしれない。誰もいない観客席に向けて、淡々と演じているだけの舞台。
帰っても待つ人はいない──だから遅くまで仕事をしている
誰かが待ってくれていれば、もっと早く帰る努力をするかもしれない。でも今は違う。玄関の鍵を開けても、誰の気配もしない部屋。電気もつけっぱなしにしないと、心が寒くなる。そんな暮らしが続いている。だから仕事をしている方がラクなんだ。ラクというより、紛れる。灯りの下で書類と向き合っている間は、自分の空っぽさに気づかずに済む。だから、僕はまだ帰れない。この灯りが、今日も僕だけを照らしている。