机の上が見えなくなった瞬間、何かが崩れ始めている
気づいたときには、もう遅かった。パソコンの前に座っても、手元にキーボードを置くスペースがない。郵便物、申請書の控え、参考書、期限切れの付箋たちが折り重なって、もはや机が本来の役割を果たせていない状態になっていた。最初は「後でまとめてやろう」と思っていたのに、気づけば「まとめて」が永遠に来ない。これ、実は危ないサインだと気づくのに、私は何週間もかかった。
書類の山が語る心の乱れ
ある日、ふと自分の机を上から見下ろした瞬間、どこかで聞いた言葉が脳裏によぎった。「外の世界は自分の内面の写し鏡だ」――なるほどな、と妙に納得してしまった。机が荒れているときって、心の中もたいてい整理がついていない。書類の山は、そのまま自分の未処理の感情やタスクの象徴だった。ついには郵便物を開けるのすら後回しになり、督促の電話を受けて慌てる始末。「自分はきちんとできる人間だ」と思いたかったが、現実は違った。
「あとでやる」が積もった日々の代償
「今は忙しいから後で片付けよう」――この言葉が、どれほどの落とし穴かは、身をもって思い知らされた。1日後、1週間後、そして1か月後になっても「その時」は来ず、書類の山はただただ高くなる一方だった。そうなると、重要な書類を見失うリスクも高まり、実際に1件、大きな登記書類を紛失しかけたことがある。幸いコピーで代替できたが、冷や汗が止まらなかった。机の混乱は、ただの見た目の問題じゃない。信用問題にもつながる危険をはらんでいるのだ。
片付かないのは忙しさのせい…だけじゃない
確かに業務は多い。相続登記、会社設立、成年後見の相談と、電話も鳴りっぱなしだ。だが、だからといって「忙しいから整理できない」と思い込むのは、単なる言い訳だった。片付けを後回しにする自分の習慣そのものが、問題の根源だと気づいたのは、事務員に「先生、こっちの書類、もう2週間前ですよ」と言われた時だった。恥ずかしさと悔しさが入り混じり、何も言い返せなかった。
本当はわかっていた「優先順位」の混乱
「重要な仕事から手をつけるべき」とはよく言われる。でも、現実には目についたものから手を出してしまい、結果として本当に大事な業務が後回しになる。そんな日が何度も続いた。あれもこれも気になって、優先順位の判断すらあやふやになる。実は、片付いていない机の上は、そうした優先順位の迷子状態を如実に映しているのだ。冷静に見直せば、今日やらなくていい書類もあったはずなのに、積ん読のようにただ積まれていくばかり。
効率を求めた結果、逆に非効率になっている現実
「机の上に出しておけばすぐに取り掛かれる」――そう信じていた。しかし、現実には探し物に時間を取られ、同じ書類を何度もめくるはめになる。ひどい時には、ペン1本見つからずに3分ロス。たった3分と思うかもしれないが、それが10回も重なれば30分になる。しかも、そのたびに気分も乱される。効率を求めた結果がこのザマでは、笑えない。結局、整理整頓こそが効率化の土台だったと、後になってようやく痛感する。
見えない机の下に隠れていた、心の疲れ
整理ができない、物が溢れていく、その背景にはただの怠惰じゃなく「心の疲れ」があるのだと思う。私の場合、それは誰にも相談できない不安だった。登記の期限、法改正の対応、クライアントとのトラブル。ひとつひとつは処理できても、積み重なると心が折れる。そうすると、「机を片付けよう」というエネルギーすら湧かなくなる。だからこそ、机の混乱は、心の疲労度のバロメーターなのかもしれない。
焦り、孤独、無力感の正体
「ちゃんとやらなきゃ」という焦り。「誰にも頼れない」という孤独。「どうせまた失敗するんだろうな」という無力感。それらが渦を巻いて、片付けすら手につかなくなる。私も経験した。夜中にひとり、散らかった机を前にして泣きたくなったことがある。友人と飲みに行くことも減り、気がつけば誰とも深く話さなくなっていた。こんな生活が何ヶ月も続けば、心がすり減るのは当然だ。机が見えないという事実の裏には、こんな重たい感情が横たわっていた。
事務員にも相談できない「代表者の悩み」
事務員はありがたい存在だ。でも、「先生、大丈夫ですか?」と聞かれたところで、「いやもう限界です」とは言えないのが現実。小さな事務所では、代表者の不安は、なかなか外に出せない。顧客には弱みを見せられず、同業者には競争意識もある。だから余計に、誰にも言えない荷物を一人で背負い込むことになる。そしてその荷物が、知らぬ間に書類の山となって机の上に現れるのだ。
「誰にも頼れない」が積もるとどうなるか
一人で何でも抱え込むと、最初は「自分が頑張らなきゃ」という気持ちから始まる。でも次第に「自分しかいない」という呪いに変わっていく。そしてそれはやがて、「もうどうでもいい」にまで進行してしまう。こうなると、業務の質も落ちるし、顧客対応も粗くなる。実際、何度かそうなりかけた。そんな時に「先生、最近元気ないですね」と言われてハッとした。無意識に、疲れが表に出てしまっていたのだ。
整理整頓は再起の第一歩かもしれない
机を片付けることが、こんなにも気持ちを軽くするとは思っていなかった。まずは角の一部分だけ、20分だけ集中して整えてみた。それだけで、視界が広がった気がした。視界が変わると、思考も変わる。不思議なことに、長らく放置していたタスクにも自然と手が伸びた。「忙しい」と言いながら、実は逃げていただけかもしれない。机の上が見えた瞬間、そんな自分と向き合う覚悟も芽生えていた。
まずは机の一角から始めてみた
いきなり全部をやろうとすると挫折する。でも、ほんの一角だけなら、案外できる。その日私は、右上の書類トレイだけを片付けると決めた。手に取るたびに心がざわついていた古い請求書類も、不要なものは捨て、必要なものはファイルに整理した。たったそれだけで、胸のつかえが一つ取れたようだった。まるで呼吸がしやすくなったような、そんな不思議な感覚。片付けは、心の浄化なのだと実感した。
「仕事を片付ける」ではなく「自分を整える」
私たちはつい、「仕事を片付ける」という表現を使ってしまう。でも本当に必要なのは、「自分自身を整える」ことだと思う。忙しさの中で乱れてしまった心を、ひとつひとつ整理していくこと。それが結果として、業務の効率やミスの防止につながる。机を見て、自分の状態をチェックする。これは司法書士に限らず、すべての働く人に共通する大事な習慣かもしれない。机の上は、自分の写し鏡。だからこそ、時々ふと立ち止まって、見つめ直したい。
見えるようになった書類と、見えてきた自分
書類が整理され、机の天板が見えたとき、不思議と心にも少し余白が生まれた。スケジュールを見直す余裕もでき、業務の優先順位もクリアになった。そして何より、「これでいいのか」と自分に問い直す時間が持てた。散らかっていたのは、単なる机じゃなく、自分自身だったのだ。だからこそ、もう一度整え直すことに意味がある。机の上が見えたその日から、私はほんの少しだけ、前を向けるようになった気がしている。