今日はちょっとだけ、弱音を吐いてもいいですか?
一人で背負いすぎた夜に
司法書士という職業は、なんでも一人でこなして当たり前と思われがちだ。実際、事務所の中で発生するすべての責任を最終的に引き受けるのは、私一人。たった一通の登記書類の提出が遅れただけで、クライアントから怒号を浴びることもある。そんな日が何日も続くと、ふと「自分、何やってるんだろうな」と天井を見上げたくなる。夜になるとその気持ちはますます強くなり、誰にも言えないまま心にしまいこむしかない夜がある。
「先生なんだからしっかりして」…その重さ
「先生なんだから間違えないでくださいね」と笑顔で言われることがある。それが冗談であっても、重い。たとえば、カフェのレジで千円札を出したら、相手が間違ってお釣りを出しても「まあ、いいですよ」と言えるのに、司法書士は違う。1円でも登記の登録免許税が違えば、全責任を問われる。そんなピリピリした緊張感を、毎日黙って引き受けていると、自分が人間じゃないように思えてくる。ロボットか何かのように、常に完璧を求められる。
事務員さんに弱音は見せられない現実
うちの事務所には、優秀な事務員さんが一人いる。とても助かっているし、感謝もしている。だけど、彼女の前で「しんどい」とは言えない。雇用している側として、弱さを見せたくないという変なプライドが邪魔をするのだ。本当は、ちょっとした愚痴をこぼしたい夜もある。でもそれを言えば「この人、信用して大丈夫かな?」と思われるんじゃないかと不安になる。結果として、自分のしんどさはどんどん蓄積されていく。
「ありがとう」の一言より、そっと置かれる書類の山
一番つらいのは、「無反応」だ。丁寧に仕事を終えても、返ってくるのは次の依頼書。ありがとうの一言もないまま、ファックスやメールで「急ぎでお願いします」とだけ送られてくる。たとえば飲食店であれば、「おいしかったよ」の一言で救われることがある。でも司法書士は、仕事が完璧であることが当たり前。それは理解しているけれど、やっぱり人間として、心が疲れてしまうのだ。
感謝よりも、無言の依頼が多すぎる日常
ある日、クライアントから登記の相談を受けた。夜の9時、すでに事務所は閉めている時間だったが、「どうしても今日中に処理したい」と頼まれ、帰宅を諦めた。淡々と処理し、深夜0時にメールを送信。その後の返信は、「了解です」の一言だけ。正直、「お疲れ様」や「ありがとうございました」が一言あるだけで、こちらの気持ちは大きく変わる。でもその一言が、ほとんどないのがこの仕事なのだ。
「お金を払ってるんだから当然でしょ」の空気感
「報酬払ってるんだから、当然でしょ?」という空気は、言葉にされなくても伝わってくる。仕事として報酬をいただいている以上、全力で対応するべきだとは思う。けれども、機械じゃない。人間なのだ。感謝を求めるつもりはないけれど、報酬=気持ちのすべて、という扱いをされると、どこか虚しくなる。こちらの努力や時間が、数字だけで換算されることに、どうしても心がすり減っていく。
言葉じゃなく態度でしんどさが染みる瞬間
先日、登記が無事完了した報告をしたところ、依頼者は「ふーん、それで?」とだけ返してきた。その人の表情に悪気はなかったのかもしれない。でも、その態度に、どれだけ心が沈んだか。「感情のない返事」がこれほど人を疲れさせるとは思わなかった。たとえ笑顔が嘘でも、「助かりました」と言ってもらえたなら、また明日も頑張ろうと思える。けれど、あの「ふーん」が今でも胸に残っている。
「休めばいいじゃん」と言われるけど
よく言われる。「そんなに大変なら休めばいいのに」と。でも、その言葉に救われるどころか、余計に苦しくなる。自営業の休みは、誰かが代わりにやってくれるわけじゃない。1日休めば、その分すべてのタスクがズレ込む。そして、後から自分がそれを倍にして巻き取るしかない。だから、気軽に休むなんてできないのだ。
そもそも、休む=仕事が後ろ倒しの恐怖
以前、熱を出して丸一日休んだことがある。その日の分の業務は、翌日から3日かけて取り戻す羽目になった。ただでさえタスクが詰まっている中での後ろ倒しは、ただの地獄だった。締切は待ってくれないし、相手方も事情を察してはくれない。「体調管理も仕事のうち」などと正論をぶつけられて、どんどん追い詰められる。そんな環境で、心も身体も休まるはずがない。
本当に怖いのは「休んだ後の自分」かもしれない
実は、休むこと自体よりも、休んだ後に「怖くなる自分」が問題だと思っている。次の朝、メールを開くのが怖くて、胃がキリキリする。たまっている依頼、返せていない電話、催促のLINE。それを目の前にして、「やっぱり休まなきゃよかった」と思ってしまう。そんな後悔があるから、結局は休まない。休む=罪悪感という構造を、誰かに変えてほしい。