職業のせいにして逃げてる気もする

職業のせいにして逃げてる気もする

「この仕事だから仕方ない」と言い聞かせる毎日

朝の目覚ましが鳴るたびに、「今日もまた始まるのか」とため息が出る。電話が鳴れば緊張し、来客があれば心がすり減る。そんな日々を、「司法書士ってそういう仕事だから」と自分に言い聞かせてきた。でも、ふと気づく。この「そういう仕事だから」という言葉が、自分を守っているようで、実は何かから逃げている言い訳になってはいないかと。

愚痴が増えるたびに感じる「逃げ」の感覚

最近、やたらと愚痴が多くなった。事務員の前でも、友人と飲みに行っても、話すのはほとんど仕事の文句。仕事の大変さを共有することで救われることもある。でも、口にするたびに思うのだ。「本当は自分が変わらなきゃいけないんじゃないのか」と。

本音と建前のはざまで揺れる自分

「お客様のために頑張ってる」と言いながら、実は内心では「なんで自分ばかりが」と思っていたりする。本音では辞めたい、でも建前では責任感で動いてる。この矛盾が心を蝕んでいるのかもしれない。だからこそ、愚痴が出る。矛盾を誤魔化すように。

誰にも言えない「もう限界かもしれない」の声

忙しい時期になると特に思う。「このまま続けていたら、自分は壊れてしまうんじゃないか」。でも、そう思っても誰にも言えない。「司法書士なんだから当然でしょ」と思われるのが怖いから。そんなプレッシャーの中で、限界の声はいつも胸の内に押し込められる。

気づけば「職業病」という言い訳が口癖に

「それ、職業病だね」。最近よく言われる。書類のチェックが異常に細かかったり、予定を詰めすぎたり、いつも気を張っていたり。でも、それが癖になっているのは、本当に「職業のせい」なのだろうか? もしかして、自分が勝手にそういうキャラを演じているだけなのかもしれない。

忙しさに甘えてしまう自分

「忙しいから仕方ない」と、気になる人間関係や健康のことを後回しにしてきた。でも本当は、自分が向き合いたくないことを「仕事」でごまかしているのかもしれない。忙しさに逃げ込んで、自分を守っているのかもしれない。

自分の選択なのに、責任を回避してしまう

司法書士という仕事は、自分で選んだ道だ。それなのに、辛くなると「こんな仕事、向いてないのかも」などとぼやく。選んだのは自分なのに、その責任をどこか他人事のように扱ってしまっている。それが、今の苦しさの原因かもしれない。

「司法書士だから」ではなく「自分だから」

職業に理由を求めるのは簡単だ。でも、本当は「自分がどう生きたいか」を考えることの方が難しいけど大事だと思う。司法書士という職業に縛られるのではなく、自分自身の軸で動けるようになりたい。そんなふうに思うようになった。

逃げではなく、向き合う選択を

逃げることも時には必要。でも、それが続いてしまうと「本当の自分」が見えなくなる。だからこそ、一度立ち止まって考える。「自分はどうありたいのか」「このまま続けていて本当に納得できるのか」。逃げる前に、まず向き合う。

職業に振り回されない働き方とは

司法書士としての責任感はもちろんある。でも、それに縛られすぎて、自分を犠牲にしては意味がない。職業に人生を捧げるのではなく、自分の人生の一部として仕事を捉える。そんな働き方ができたら、少しだけ気持ちは楽になる。

自分の軸を取り戻すためのヒント

日記を書くこと、誰かと本音で話すこと、好きだったことを思い出すこと…。小さなことの積み重ねで、自分の軸は取り戻せる気がしている。司法書士である前に、一人の人間として、自分を大切にする。そこから始めてもいいんじゃないかと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。