依頼人の笑顔だけが支え
忙しさに埋もれて、何のために働いているのかわからなくなる日
司法書士という仕事は、派手さとは無縁です。地味で淡々としていて、ひたすら書類と向き合い、誰かの人生にそっと関わっている。そんな日々の中で、ふと「自分は何のために働いているんだろう」と立ち止まる瞬間があります。朝から晩まで働いても、終わらない仕事。休日にまで持ち込む案件。感謝されることよりも、クレームや問い合わせに神経をすり減らすことの方が多いのが現実です。でも、それでもやめられない。やめたらもっと怖い。そんな気持ちで、今日も机に向かっています。
数字じゃない、でも数字から逃げられない
売上、件数、納期。事務所を経営していると、司法書士である前に経営者としての顔が求められます。依頼を断れば赤字、無理に受ければ自分が潰れる。その狭間で毎日判断を迫られています。経済的な安定を求めてこの道を選んだわけじゃない。でも現実は、経済的な不安定さと戦い続ける日々です。数字は冷たい。こちらがどんなに頑張っても、赤字は赤字。成果が出ない日は、自分が否定されているような気にもなります。
依頼人の人生を扱う重みと、日常業務のギャップ
相続や登記といった業務は、依頼人にとっては人生の大きな節目です。ところが、こちらにとっては業務の一部にすぎないという現実もある。だからこそ、油断すれば心がどこか麻痺してしまう。でも、ふとした瞬間に依頼人の涙や笑顔に触れ、「この人にとって大切な手続きなんだ」とハッとするんです。そのとき、少しだけ背筋が伸びる気がします。
一通の登記完了通知に込められた想いは誰にも伝わらない
登記が完了した通知書を投函するとき、少しだけため息が出ます。「これでやっと終わった」と思うと同時に、「誰もこの苦労には気づかないんだろうな」という虚しさもある。依頼人にとっては当たり前の手続き、でもこちらにとっては徹夜して仕上げた仕事。そんな気持ちのズレに、孤独を感じることも少なくありません。
仕事が終わっても心は休まらない
書類を片付けて、パソコンをシャットダウンして、家に帰っても、心が仕事モードのまま抜けきれない。食事中も風呂の中も、ふと頭をよぎるのは「あの書類、添付書類に漏れなかったか?」「あの期限、大丈夫だったか?」という不安。眠れない夜が続くと、日常がどんどん灰色になっていく感覚に襲われます。
「あの件、忘れてないよな」と寝る前に頭をよぎる名前
忘れようとしても、依頼人の名前が脳裏に浮かんできます。「あの人、急いでたけど、大丈夫だったか?」そう思い出してスマホでカレンダーを確認する毎日です。一度気になると、眠れなくなる。確認せずにはいられない。結局、夜中に事務所に戻って書類を確認したこともあります。完全に病気ですね。
コンビニ弁当の味を感じる余裕すらない夜
帰宅が遅くなって、晩ごはんはコンビニ弁当。テレビもつけずに食べて、歯磨きして寝るだけ。味なんて覚えてない。食べてるのか流し込んでるのかも曖昧なまま。そんな夜が続くと、「この仕事に何の意味があるんだろう」と思ってしまうんです。
誰にも頼れない責任の中で
司法書士という立場上、ミスは許されません。そして基本的に、すべて自分の責任。相談相手がいないまま、ひとりで判断して、ひとりで背負っていく。人に甘えるのが下手な自分にとって、それはとても息苦しい現実です。
ひとり事務所の限界と、事務員さんのありがたさ
事務所には事務員さんが一人います。とても助けられているけれど、やはり任せきることには不安もある。責任の所在を考えると、どうしても最終確認は自分でやってしまう。結果、仕事量は減らず、疲れは溜まっていくばかり。もっと信頼したい。でも、失敗したときに責められるのは自分だけという現実が、それを阻むんです。
任せることの怖さと、任せなきゃ潰れる現実
最近、体調が悪くなってきたことで、初めて「このままでは自分が倒れる」と実感しました。任せなきゃいけない。でも、任せるには準備が必要で、それも時間がかかる。悪循環です。結局、自分を信じるしかないという状態は、けっこうしんどいものです。
急ぎの電話はたいてい、面倒な話
「今すぐ対応してほしいんですが」――このフレーズを聞くたび、胃がキュッとします。急ぎの依頼に限って、必要書類が足りないとか、内容が不明確とか、問題が山積みなことが多い。そしてそんなときに限って、こちらのスケジュールはパンパン。結局、夜や休日を使って対応する羽目になることも少なくありません。
「至急対応お願いします」は魔法の言葉じゃない
「至急」と言われたって、できることには限界があります。魔法使いじゃないし、過去には戻れない。それでも「司法書士なら何とかしてくれる」という期待に応えたくなってしまうのが、この仕事の難しさでもあり、優しさでもあります。だけどそれが積み重なって、自分の時間も体力も奪われていく。正直、キツいです。
それでも、救われる瞬間がある
そんな日々の中でも、ふと報われる瞬間があります。それが「依頼人の笑顔」です。どんなに疲れていても、「本当に助かりました」と微笑まれると、なぜか胸が熱くなる。報酬でも、評価でもない。その一瞬の表情が、何よりの報酬になるんです。
「先生、ありがとうございます」の一言で報われる不思議
長い時間かけて進めた成年後見の案件。終わったとき、依頼人の娘さんが泣きながら「先生、本当にありがとうございました」と言ってくれました。その瞬間、自分がこの仕事をやってきた意味がすべて詰まっているような気がしました。そんな一言で、全部チャラになるくらいの力があるんです。
書類よりも笑顔の方がずっと重たくて、温かい
普段は無表情で手続きだけ淡々と進める依頼人も、最後の最後で見せる笑顔があります。それを見ると、「自分のしてきたことに意味があった」と思える。無機質な仕事の中に、人間的な温度が戻る瞬間。その温度が、次の一歩を支えてくれるのです。
裁判所より、役所より、依頼人の表情が一番正直
どんなに丁寧に書類を作っても、役所は何も言ってくれない。裁判所は事務的。でも依頼人だけは違います。直接顔を合わせて、「ありがとうございます」と言ってくれる。何より正直で、何より大きな報酬です。だから今日も、机に向かうことができるんです。
モテないし、華やかでもないけれど
独身のまま45歳を迎えてしまいました。モテた記憶もないし、出会いもない。仕事に打ち込むことが恋愛の言い訳になっているような気もします。それでも、誰かの人生に少しでも関われているなら、自分の存在にも意味があるのかもしれません。
結婚しないのかって、そりゃこっちが聞きたいよ
親戚や友人から「結婚は?」と聞かれるたびに、適当に笑って流しています。でも本音を言えば、こちらが聞きたいくらいです。「どうしたら結婚できるのか」って。仕事が忙しいから、というのはただの言い訳で、本当はどう向き合っていいかわからないだけなんです。
それでも、今はこの仕事に人生預けてる
恋愛や結婚よりも、まずは目の前の依頼人。そう思って過ごしてきたら、あっという間に40代。寂しさを感じる夜もありますが、それでもこの仕事をしている自分が嫌いじゃない。人に必要とされている実感が、唯一の救いです。
司法書士という仕事を選んだ自分への問いかけ
たまに思います。「この道、選んで正解だったのか?」と。でもすぐに答えは出ません。ただ、今まで助けてきた依頼人の顔を思い出すと、きっと間違いではなかったと思えるのです。誰かのためになっているなら、それで十分だと。
「楽になりたい」と「やめたい」は違う
しんどいとき、ふと「やめたいな」と思うことがあります。でも本当は「楽になりたい」だけなのかもしれません。誰かに話を聞いてほしかったり、少し甘えたかったり。そんな気持ちを抱えたままでも、明日もまた、事務所の鍵を開けている自分がいます。
それでも今日も、やるしかない
現実は厳しく、孤独で、不安でいっぱいです。でも、依頼人の笑顔がある限り、立ち止まるわけにはいきません。完璧じゃなくても、誰かの役に立てるなら、それでいい。今日もまた、淡々と、でも確かに前に進んでいこうと思います。