毎晩ひとり反省会、それでも明日は来る
司法書士という仕事、そしてひとり反省会の始まり
司法書士として独立してから十数年。毎日の業務に追われながらも、仕事の後に必ずやることがある。そう、寝る前の“ひとり反省会”だ。事務員さんが帰った静かな事務所、あるいは自宅の布団の中。頭の中で今日の自分を検証する。これが習慣になったのは、失敗を引きずる性格が災いしているのかもしれない。誰かに愚痴ることもなく、ただ黙って自分を責める。その時間が、なぜか安心感すら与えてくるのだから、やっかいだ。
机の上は片付かないのに、心だけ律したい夜
忙しい一日が終わると、机の上には書類の山が残っている。それを見るたびに「今日もダメだった」とつぶやいてしまう。でも、せめて心だけは片付けたいと思うのだ。誰に褒められるわけでもなく、誰にも責められない立場だからこそ、自分で自分を律するしかない。そんな思いが“反省会”という形になったのだと思う。完璧を求めているわけじゃない。ただ、誰かの信頼を裏切らないようにと願うだけで。
自分のミスは自分で噛みしめるしかない
誰かに怒られることがほとんどない分、自分の中に残る失敗は、深く心に沈んでいく。たとえば登記の細かいミス。クライアントには気づかれないようなものでも、自分でははっきりわかっている。だからこそ、反省の余地がある限り、繰り返すように思い出す。大したことではない、と笑い飛ばせたらどんなに楽だろう。でも、それができない性格だから司法書士をやっているのかもしれない。
「あの時、もっと丁寧に説明していれば…」
依頼者に手続きの説明をしたとき、相手の表情が少し曇ったのを思い出す。おそらく理解できていなかった。でも、こちらの時間も迫っていて、つい確認せずに終わらせてしまった。夜になって思い出し、「やっぱり説明不足だった」と反省する。あの一瞬の違和感に気づけたなら、ほんの5分あれば済んだはずなのに。そういう小さな後悔が、ひとり反省会の常連メニューだ。
電話一本の気遣いができなかった後悔
「あとで電話しよう」と思っていた相手に、結局その日中に連絡できなかった日。何か起きたわけではないのに、罪悪感がじわじわ湧いてくる。あの一報が相手にとっては大きな安心になるのに、自分の都合で後回しにしてしまった。責任感という言葉が重すぎて、結局自分を縛ってしまっているのかもしれない。小さなことほど、自分の優しさや誠実さを試されている気がする。
相手に伝わらない苛立ちは、全部こっちに返ってくる
「そんなつもりじゃなかったんですけど」と言いたくなる瞬間がある。でも、それを言い訳にしたら終わりだと思ってしまう。伝え方が悪かったのは自分。相手に不快な思いをさせたなら、それは自分の責任。だからこそ、夜になると「あの一言、余計だったな」と思い出す。感情のこもった言葉は、必ず反動として自分に返ってくる。
誰にも相談できない日常の小さな詰まり
人には話せない悩みが、じわじわと積もっていく。司法書士という職業柄、ミスはできないし、相談相手も限られている。仕事の悩みを誰かに打ち明ける場面がそもそも少ない。事務員さんにも話せない、プライドとも遠慮ともつかない感情が邪魔をする。結局、布団の中で自問自答するしかない。
事務員さんにすら言えない些細なこと
一緒に働いているとはいえ、事務員さんに心配かけたくないし、仕事のミスに関する話はなかなか口に出せない。「先生でもこんなことあるんですね」と思われたくないという、妙な見栄もある。だから、ほんの些細な相談ごとも飲み込んでしまう。そのせいで、余計にひとりで考え込む夜が増えていく。
「なんでもないこと」を言える人がいない
「今日はちょっと疲れたな」そんな何気ないひと言を言える人がいない。そう思うたびに、孤独が骨に染みる。昔は飲みに行って軽口を叩いていれば楽になったのに、今ではそういう相手も場所もない。気づけば、独り言だけがやたら増えている。
話すと楽になるけど、誰もいない現実
話せば楽になるのはわかっている。でも、話す相手がいない。愚痴をこぼせる相手がいないと、人間は内側にどんどんたまっていく。そうしてたまったものが、夜中に噴き出すように心の中で語り始める。誰に向けたわけでもない、ひとりごとの連鎖。それが、僕の“ひとり反省会”なのだ。
「モテない」は、仕事の忙しさのせいにできるのか
よく「モテないのは仕事が忙しいせい」と冗談のように言うけど、それはたぶん本音じゃない。実際は、何かを共有できる自信がないのだ。自分の時間も心も、誰かに預ける余裕がない。だから「ひとりが楽」と言い訳する。けど、夜になるとそんな自分が情けなくなってくる。
それでも仕事を辞めない理由
こんなに毎晩反省して、それでも翌朝また事務所に向かう理由は何だろう。それは、誰かの人生の節目に立ち会えるという、この仕事のやりがいかもしれない。手続き一つで、人の安心や未来が少し良くなる。そんな瞬間を知っているから、どんなに自分にダメ出ししても、また立ち上がれる。
誰かの人生の節目に立ち会える重み
登記の完了通知を渡したときに見せてくれる安心した表情。遺言書を預けたときの真剣なまなざし。そうした場面に立ち会うたびに、「この仕事、続けていてよかった」と思う。毎晩の反省は、その責任の重さに比例しているのかもしれない。
感謝の言葉が、反省を少し溶かしてくれる
「先生、助かりました」と言われるたった一言が、どれだけ自分を救ってくれるか。寝る前に思い出すのは、反省ばかりじゃない。ふとした笑顔や、あたたかい言葉が、じわっと心に沁みてくる。そんな小さな記憶が、明日もまた頑張ろうと思わせてくれる。
反省会から抜け出すための小さな試み
このままじゃいけない、とも思う。毎晩自分を責めてばかりでは、いつか心が壊れる。だから最近は、小さな工夫をしている。それは、「今日よかったことを一つだけ書く」こと。たった一行でも、少しだけ気持ちが変わる。
一言だけ「今日よかったこと」を書き出す
「無事に申請が終わった」「お客さんにありがとうと言われた」そんなことでも、文字にすると安心する。自分を責めるばかりじゃなく、認める時間も必要なんだと感じる。完璧じゃない自分に対して、少し優しくなる練習だ。
自分を少しだけ褒める練習
「俺、今日よく頑張ったな」そう言える日は、案外悪くない一日だったりする。誰も褒めてくれないなら、自分が自分を褒めればいい。それがわかっていても難しいけれど、毎晩一つ、自分を肯定する言葉を書いてみる。それが最近の小さな挑戦だ。
完璧じゃなくていい、と言い聞かせる夜
完璧じゃなくていい。そう言い聞かせるには、長い時間がかかる。でも、毎晩のひとり反省会のあとにそう思えたら、少しだけ明日が違ってくる気がする。責めるだけじゃなく、許すことも覚えたい。自分に優しくできない人間が、他人に優しくできるわけがないから。