どこにも『ほっとする瞬間』が見当たらない —司法書士という仕事と、心の置き場について—
「ほっとする暇がない」という現実に気づいた瞬間
私が「ほっとする暇がないな」と自覚したのは、ある冬の夜だった。帰宅してストーブをつける間もなく、事務所から持ち帰った登記書類の確認に追われていたときのことだ。気がつけば、夕食を取るのも忘れていた。事務員は定時で帰るが、私はそこからが“本番”。誰にも言わずに背負い込む癖があるせいか、手を止めるのが怖くなっていた。結果的に、休むことが「サボっている」とすら感じてしまう。気が張ったままの日常。それがいつの間にか、習慣になっていた。
気づいたら一年中、ずっと何かに追われている
春は相続登記が立て込み、夏は農地転用の相談が増える。秋は企業の定款変更、冬は成年後見関係。季節が変わっても、仕事の種類が変わるだけで“忙しさ”は止まらない。一日が終わる頃には、翌日の心配をしている自分がいる。まるで常に背中を誰かに押されているような感覚。決して嫌いな仕事ではないのに、「自分がやらねば」という思いに縛られて、どこにも逃げ場がない。気づけば一年中、仕事に追われる構図ができあがっていた。
朝起きてから寝るまで、スケジュールが頭にこびりつく
朝の目覚ましが鳴るより先に、今日やるべき案件が頭をよぎる。着替えながら申請の受付状況を確認し、移動中も電話で相談対応。昼食の味を感じる間もなく、午後の打ち合わせに頭を切り替える。夜になれば未処理の書類とにらめっこ。こうして一日が過ぎていく。休日も「来週の予定」が気になって気が休まらない。スケジュール帳ではなく、頭の中にずっと何かが書かれている感じだ。
息抜きが「タスク化」してしまう悲しさ
「少し散歩でもしてこよう」と思っても、それすらも“予定”になる。カフェに寄るにも「メールを返すついで」、銭湯に行っても「案件のことを考える時間にしよう」と無意識にタスク化してしまう。息抜きのはずが、ただの“作業の場”になっているのだ。本来、何も考えずにボーッとする時間が必要なはずなのに、その「空白」を怖がっている自分がいる。これが疲れの正体かもしれない。
自営業の重みは、目に見えない疲労となる
司法書士という資格職でありながら、結局のところ、自営業は自営業だ。集客、経理、トラブル対応、時には掃除までやる。業務の内容よりも、「全部自分でやらなきゃ」という心理的プレッシャーの方がよほどしんどい。何かがうまくいかなくても、誰のせいにもできない。これはじわじわと体と心を削ってくる。
数字を見ても安心できない、仕事があっても不安になる
一ヶ月の売上がそこそこ良くても、「来月はどうなるだろう」と思ってしまう。例えば相続登記が続いてホッとしたのも束の間、今度は「固定客にはなりづらいからまた営業しなきゃ」と焦り始める。月末の銀行残高を見てため息をつくより、翌月のスケジュールを見て胃が痛くなる。自分のことなのに、自分の商売に対して常に不信感を持っているような気持ちだ。
売上よりも「問い合わせが止まった」ことの方が怖い
売上の波はあって当然。でも本当に怖いのは、「電話が鳴らない日」が続いた時だ。スマホの通知がゼロ、メールも来ない。「今日は静かで助かる」なんて思うはずなのに、むしろ不安になる。「このまま忘れられるんじゃないか」「自分の存在は必要とされていないんじゃないか」——そんなことばかり考えてしまう。
誰にも相談できない孤独感との付き合い方
周囲に同業者の知り合いはいても、競合でもあるし、弱みは見せづらい。事務員さんにも気を遣わせたくないから、つい「大丈夫だよ」と言ってしまう。結果、どんどん孤独が濃くなっていく。家に帰っても誰もいない。話しかけられず、話しかける相手もいない。孤独を抱え込んだまま寝る夜が、どれだけ続いただろうか。