独身司法書士、ペンより重い孤独を抱えて

独身司法書士、ペンより重い孤独を抱えて

仕事は山のようにある。でも、帰宅して話す相手はいない

この歳になると、「忙しいから一人でいいや」という言葉が、だんだん言い訳ではなく本音に変わってくる。朝から晩まで書類と向き合い、登記、相続、債務整理、会社設立……やることは尽きない。けれど事務所を出て家に帰ると、そこには沈黙だけが待っている。晩飯を温め、テレビのニュースを見ながら一人で頷く。世間話も反論もない、静かな空間。ペンを置いた瞬間、ふっと心に隙間風が吹くのを感じる。

相談されるけど、誰にも相談できない立場

司法書士という仕事は、人の悩みを預かる職業だ。時には相続トラブルで揉める家族の仲介役になり、時には借金に追われた若者の味方にもなる。でも、ふと気づくと、自分のことを誰かに相談した記憶がない。強くなければやっていけない仕事だけど、強くいることで心がすり減っていくこともある。周囲には「先生」として見られ、頼られる分だけ、こちらの弱音を吐ける場所がどんどん少なくなっていく。

人の問題を処理する毎日が、自分の問題を押し潰す

あるとき、依頼者から「先生って、完璧そうですよね」と言われた。苦笑いするしかなかった。完璧なんて言葉からは一番遠い場所に、自分がいるのに。人の書類は几帳面にまとめても、自分の健康診断の予約は放置。人の不安には的確に対応しても、自分の孤独には鈍感を装ってきた。誰かの問題を片付けることで、自分の現実から目を背けていたのかもしれない。

登記の手続きは完璧に。でも、私生活は未登記のまま

司法書士としての仕事は、法律の通りに、期限の通りに、ミスなくやるのが当然だ。登記に漏れがあれば信用を失うし、依頼者の信頼も裏切ることになる。でも、私生活はどうだろう? 誰かに「結婚は?」と聞かれれば、「忙しいからね」と笑ってごまかす。でも本音は、「どうやって始めたらいいか、もう分からない」だ。仕事は順調でも、プライベートは完全に空白欄のままだ。

ひとりの食卓、ひとりの夕方、そしてまた明日

19時を過ぎた頃、ようやく事務所を出てコンビニに寄る。レジでお弁当と缶ビールを買い、誰とも言葉を交わさず帰る夜。自宅の照明が冷たく感じる日もある。「このままでいいのか?」と思いながら、それでも朝になれば同じように仕事に向かう。ひとりの食卓は慣れたけれど、ふとした瞬間に押し寄せる寂しさには、今でもうまく対処できない。

たまにテレビから流れる幸せなCMが刺さる

「パパ、おかえりー!」なんて声が流れるCMに、なぜか胸がぎゅっとなる。普段は気にしないのに、疲れているときほど、そんな何気ない幸せが眩しく見える。自分もかつては、家庭を持つ未来を想像したことがあったはず。でも、いつからか「諦めた」というより「考えるのをやめた」になっていた。CMの30秒が、10年分の後悔を引き出すこともある。

事務所は静かで、効率的。でも寂しさも効率的にやってくる

事務所は清潔で、整理整頓されていて、仕事も無駄がない。でもそのぶん、人間らしい「雑音」がない。電話が鳴る以外の音がほとんどしない空間で、キーボードの音だけが響く。集中できる環境ではあるけれど、ふとしたときに「この静けさは、誰にも必要とされていない静けさかもしれない」と思う瞬間がある。孤独は、静かすぎる空間で膨らんでいく。

事務員さんの気配りが唯一の救い

うちの事務所には、優秀な事務員さんが一人いる。電話の対応も完璧で、私のミスもこっそりカバーしてくれる。本当にありがたい存在だ。でも彼女が帰ったあとの事務所は、まるで空き家のように感じることがある。彼女の「お疲れさまでした」の一言が、唯一の人間的なやりとりだった日もある。感謝しているけれど、どこかで線を引かれているのもわかる。雇い主として、それ以上踏み込めない。

でも「お先に失礼します」の声がやけに遠く感じる

午後6時、パタパタと片付けの音がして、彼女が「では、お先に失礼します」と言って出ていく。その背中を見送るたびに、「今日もひとりか」と改めて実感する。誰もいない事務所に残り、残務をこなす時間が一番孤独だ。静けさがじわじわと広がって、やがて心に入り込んでくる。何年も繰り返してきた光景なのに、慣れない。

この仕事が好きなはずだった。それでも苦しい夜がある

司法書士を目指したころは、「誰かの役に立つ仕事がしたい」と本気で思っていた。今でもその気持ちは嘘じゃない。でも、ふと夜の帰り道で「本当にこれで良かったのか?」と考えてしまうときがある。使命感だけでは、満たされないことがある。特に一人でいる時間が長いと、自分の選択が正しかったのか、自問自答のループから抜け出せなくなる。

「やめたい」とは思わないけど、「報われたい」とは思う

この仕事を投げ出したいとは思わない。けれど、どこかで「もう少しだけ誰かに分かってもらえたら」とは思う。努力してきた年月、乗り越えてきたトラブル、それらがちゃんと誰かの記憶に残ってくれていれば、それで救われるような気もする。自己満足では限界がある。人は、やっぱり誰かに認めてもらうことで、生きていけるのだと思う。

異性にはモテない。話す機会もない

これは本当に笑えない話だが、女性との接点がほとんどない。仕事で話す女性は多いけれど、それはあくまで「お客様」として。プライベートで誰かと食事に行くことも、ましてやデートなんて、ここ数年まったく記憶にない。出会いがない、ではなく、出会おうという気力がないのかもしれない。

「先生」と呼ばれても、それ以上にはならない現実

司法書士という肩書きは、ある意味で「壁」になることがある。相談者は礼儀正しく接してくれるけれど、それはあくまで仕事の範囲内。先生、先生、と持ち上げられるたびに、逆に自分の素の部分はどんどん隠されていくような気がする。人間として見てもらえる瞬間が、減っているのだ。

マッチングアプリに登録してみたけど即退会した

半年前、思い切ってマッチングアプリに登録してみた。でも、プロフィールを書く時点で心が折れた。「司法書士です」と書いたところで、堅苦しいだけ。趣味も特技も思い出せず、写真も昔のスーツ姿ばかり。数日だけ頑張ってみたが、結局メッセージのやりとりも億劫になり、あっという間に退会。そんなこともあった。

それでも、この仕事を続けている理由

それでもこの仕事をやめないのは、やはり「誰かの役に立っている」という実感があるからだ。依頼者の不安を解消できたとき、ありがとうの言葉をもらったとき、少しだけ心が温まる。誰かの人生の一部に関われたこと、それがこの仕事の大きな価値だと感じる。孤独でも、この役割を手放したくはない。

「ありがとう」が、たまに心を救ってくれる

「先生のおかげで助かりました」「不安がなくなりました」——そんな言葉を聞ける日がある。それだけで、何日分もの疲れが和らぐ。この仕事にしかない報酬だと思う。報酬はお金だけじゃない。感謝の言葉は、思った以上に人を生かしてくれる。

誰かの不安を減らせたとき、自分の孤独も少しだけ薄れる

面白いことに、人の悩みを解決したあと、自分の孤独が少しだけ軽くなっていることがある。人の人生に少しでも関われたという充実感が、心に小さな光を灯すのだ。だから、明日もまた頑張れる。自分の人生が誰かの安心につながるなら、それだけで意味があると思える。

最後に:独身であることも、司法書士であることも、受け入れていく

人生は思い通りにはいかない。でも、それでも今の自分を選んできたのは、他でもない自分だ。独身であることも、司法書士であることも、時にしんどいけれど、それでも誇りを持ってやっていきたい。誰かと比べる必要はない。今日もペンを握って、誰かの人生の一助になる。そんな日々の積み重ねが、自分の物語になっていくのだと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。