隣の土地がウチの敷地?――“筆が飛んだ”登記ミスの顛末

隣の土地がウチの敷地?――“筆が飛んだ”登記ミスの顛末

土地の筆が「飛んでた」…そんなバカなと思った日

司法書士をやっていると、時々信じられないような事態に巻き込まれる。今回の話もその一つ。「筆が飛んでたんです」と言われて、最初は冗談かと思った。しかしその内容は深刻だった。登記上はちゃんと存在している土地の筆が、現地ではどう見ても存在しない。しかも、隣の敷地に食い込んでいるらしい。登記簿はまるで時空の歪みでも反映しているのかと思うほど、現実と一致していなかったのだ。

ある日届いた電話「先生、土地の範囲が違うって言われたんですけど…」

朝のコーヒーを飲み終えた頃にかかってきた一本の電話。相談者は不安そうな声で「隣の人にウチの庭がその人の土地だって言われて…」と言う。地番を聞いて登記簿と公図を確認しても、記録上は問題がない。しかし「図面ではそうでも、現地は違うんです」と言われると、こちらも黙っていられない。嫌な予感がした。たいてい、こういうときに限って面倒なことになる。

嫌な予感しかしない開口一番の相談内容

「これは…筆がずれてるな」。現地確認前にそうつぶやいたのを覚えている。地元で古くから持たれていた土地は、測量があいまいだったり、登記が一部抜けていたりすることもある。とくに昭和の初め頃に登記されたような土地には、こうした“飛び筆”現象が起きがちだ。私の仕事は、その矛盾を解きほぐすパズルみたいなものなのだ。

図面と現地が違う?そんなことあるのか?

「そんなことあるのか?」と事務員が驚くのも無理はない。紙の上の情報と、現地の風景が一致しないのだから。登記簿は正しい、でも土地がない。これでは、登記の存在意義すら問いたくなる。昔、役所の先輩が言っていた。「登記は地面に落ちてない」と。その言葉の意味がようやく理解できた瞬間だった。

地番は正しい、でも境界が違うという矛盾

調査を進めると、地番は確かに合っている。所有者も間違いない。しかし、問題は筆界だった。筆界と所有権界がずれていたのだ。これはもう“あるある”なパターンだが、当事者にとっては笑いごとではない。特に今回のように、庭の一部が隣地と被っているとなれば、日常生活にも影響が出る。「ここ、ウチの家庭菜園なんですけど」と相談者が困惑していたのが印象に残っている。

筆界と所有権界の違いに悩まされる

筆界とは、法的に区分された土地の境界。一方、所有権界とは実際に使われている土地の境界。このふたつが一致していれば問題ないが、ズレているとトラブルのもとになる。しかも、そのズレを修正するには、関係者の同意、測量、書類のやり取り、すべてが必要だ。正直、胃が痛くなる作業だ。

「うちの庭が他人のもの?」相談者の焦りに冷や汗

「まさか、うちの庭が他人の土地だったなんて…」相談者の表情は曇っていた。家庭菜園で育てていたトマトの苗が、他人の所有地に植えられていたなんて誰が想像するだろう。「子どもがそこで遊んでるんですよ」と言われた時は、私もさすがに言葉に詰まった。こういう時、司法書士は“冷静さ”が求められるのだが、人ごととは思えなかった。

調査に次ぐ調査、それでもつかめない真実

ここからが地味に長い闘いになる。まずは関係する図面をすべて確認。次に現地の状況を写真に収め、古地図との照合を行う。ところがこれがまた一致しない。微妙なズレが次々に出てくる。まるでパズルのピースが足りない感覚。依頼人の顔も日に日に曇っていくし、こっちも内心「なんで俺がこんな目に」と愚痴の嵐だった。

古い公図と謄本に踊らされる苦行の日々

地元法務局で取り寄せた公図は、年代物の薄いインクでかすれかけていた。「え、これが今も有効なのか?」と目を疑う。実際、誤差も多いし、測量技術も今とは段違い。それでもこれを基に説明しなければならない。「昔の公図は参考程度にしかなりませんよ」と調査士さんが苦笑いしていたのが印象に残る。

紙のシワと自分の眉間のシワがシンクロする瞬間

紙の公図を広げるときにできるシワと、自分の眉間のシワが同じように深くなっていく。長年使われてきた資料だから仕方ないとはいえ、現場でこれを信じて判断するのは酷というもの。時代の流れの中で少しずつズレた境界に、今も振り回されるのがこの仕事なのかと思うと、気が滅入る。

「この土地、どこからどこまで?」地元役所との攻防

役所に問い合わせても、答えはいつも「こちらでは判断できかねます」。それでもめげずに、図面や固定資産台帳を洗い直す。担当者も決して悪気はないのだが、話が通じるまでに何度も説明しなければならないのは骨が折れる。ふと「俺、司法書士であって土地家屋調査士じゃないんだけどな…」と心の声が漏れる瞬間だった。

測量士さん登場――救世主かさらなる混乱か

ようやく依頼できた測量士さんに現場を見てもらう。レーザー計測とGNSSで一発解決かと思いきや、出てきたのは「境界立会が必要ですね」。いや、わかってる、わかってるけどね…また一からご近所回りかと思うとため息が出る。何が一番大変って、この“人の手間”なんだよな。

現地立会いは静かな戦場

立会い当日、緊張感のある空気の中、隣地所有者が腕を組んで待っていた。「これは昔からウチのもんや」と言わんばかりの態度。いや、その気持ちもわかるんです。でも法的には…と伝えるのはとても難しい。人間関係も壊さず、でも登記の整合性もとらなきゃいけない。まさに綱渡り。

隣地所有者の「あの木が昔からあるから」論法に困惑

「あの木があるでしょ?あれ、昭和の頃からあそこにあるんやから」…土地の境界証明に“木”が登場した時は、正直頭を抱えた。論理と感情のせめぎ合い。結局、昔の航空写真と役所の資料を合わせて説明するしかなかった。でも最後に納得してもらえたときは、ちょっとだけ報われた気がした。

最後に残ったのは疲労感と、ほんの少しの達成感

すべての調整が終わり、書類も完成。改めて地図を眺めると、ずれていた筆が元に戻ったように見えた。正直、登記って誰のためなんだろうと疑問に思うこともあるけど、依頼者が「本当に助かりました」と言ってくれたその一言で、少しだけ報われた気がする。これがあるから、たぶんまだ続けていける。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。