「がんばってるね」のひと言を待ちながら、僕は書類と格闘している
司法書士の仕事は、誰かに見られることもなければ、拍手されることもない。山積みの書類に囲まれて、地味な作業を繰り返す日々。けれど、ふとした瞬間に「がんばってますね」って誰かが言ってくれたら、それだけで救われるような気がする。そんな一言を待ちながら、今日も机に向かっている。
司法書士って、誰にも褒められない仕事
僕のやっていることは、派手さとは無縁だ。登記簿を丁寧に整え、法務局に足を運ぶ。書き間違えればやり直し。正しくやって当たり前。感謝の言葉も少ない。誰かに「すごい」と言われるよりも、「そりゃ大変だね」と一緒にため息をついてくれる方が、よほど心が軽くなる。
お客さんにありがとうと言われることはあるけれど
「ありがとう」と言ってくれるお客さんもいる。でもそれは、あくまで仕事の成果に対して。自分自身が「がんばった」ことには誰も気づかない。「お疲れさま」と言ってくれる人は、もっと身近にいるべきなんじゃないかと思ってしまう。
「ありがとう」は結果への評価、「お疲れさま」は存在への共感
「ありがとう」は仕事の結果に対する言葉だ。一方、「お疲れさま」は、その人の努力や存在そのものへの共感だ。誰かが自分の疲れに気づいてくれること、その一言にどれほど救われるか。言葉ひとつで、孤独な一日が報われることもある。
事務所に帰ってきても「ねぎらい」は風のように通り過ぎる
仕事から戻ってきて、事務所で一息ついても、誰かが「今日も大変だったね」と言ってくれるわけじゃない。事務員さんも忙しそうで、僕に気を遣っている余裕なんてない。結局、自分の努力は自分でしか分からない世界なのだ。
一人事務所の静けさが、かえって心に刺さる
静かな事務所で、コーヒーを飲みながら今日の出来事を振り返る。何も音がしない空間が、逆に胸に響いてくる。こんな日は、誰かと何気ない会話を交わすだけで、少しは気が晴れるのになと思う。
たまに聞こえる「プリンターの音」だけが、今日の仕事の証
唯一の「がんばった証」は、プリンターの印刷音。それすらも、仕事の一部としてただ流れていく音でしかない。自分の存在を証明する音が、こんなにも味気ないものだなんて、20代の頃は思いもしなかった。
頑張ってるアピールもできない仕事のリアル
SNSで「がんばってるアピール」もできるような華やかな職業じゃない。黙々と、ひたすら、正確さを求められる作業。誰にも気づかれない努力を積み重ねても、それを見せることすら許されないような空気がある。
「地味で目立たない」ことが司法書士の誇りであり、呪いでもある
目立たないことは、プロとして誇るべきだと教えられてきた。たしかに、裏方に徹することができてこそ一人前なのかもしれない。でも、その結果として「存在感がない人間」になることの怖さもある。
正確であることは評価されない、ミスしたときだけ注目される
日々の正確な仕事は空気のようにスルーされ、何か一つミスをすれば責められる。この仕事の厳しさは、そういう不公平の積み重ねだ。だからこそ、「ちゃんと見てるよ」「いつもありがとう」と言ってくれる誰かが欲しい。
だから余計に「よくやってるよ」と言われたい気持ちになる
子どもの頃は「人に褒められたい」と言えば甘えていると思われた。でも大人になって、褒められることもなくなった今、「褒めてほしい」という感情は切実なものになっている。自分の存在を認めてくれる言葉が、ただただ欲しい。
ふとした瞬間の「お疲れさま」に、涙腺がゆるむ夜もある
コンビニのレジで、少し疲れた顔をしていたのかもしれない。店員さんが笑顔で「お疲れさまでした」と言ってくれた。その瞬間、胸に込み上げるものがあった。ほんの一言だけで、人はこんなにも救われるのかと驚いた。
コンビニの店員さんのひと言に救われることも
日々の中で、最もやさしさを感じる瞬間が、意外にも赤の他人からだったりする。接客マニュアルに沿ったひと言だとしても、その声に救われる夜があるのだ。誰かの声が、自分の孤独を溶かしてくれる。
赤の他人のやさしさが、知り合いの沈黙より刺さる
知っている人の無関心より、知らない人のやさしさの方が、なぜか心に染みることがある。無言の時間が長くなった知人との距離感よりも、他人からかけられたひと言の方が、心の奥に届くという皮肉。
ひとりで耐える癖がついてしまった日常
「大丈夫です」が口癖になり、「愚痴を言う相手」がいなくなった。自分で抱えて、自分で処理して、また次の日も同じように仕事をこなす。気がつけば、誰にも頼らずに生きることが当たり前になっていた。
「愚痴を言える誰か」がいないという孤独
仕事の不満を誰かにこぼせたら、もう少し気が楽なのにと思う。でも、誰に言えばいいのか分からない。事務員に気を使い、家族もいない、友人とも疎遠。仕事に疲れても、心の逃げ場がない。
事務員には言えない、友人もいない、恋人もいない
事務員さんには余計な心配をかけたくない。友人とは疎遠になりすぎて、もう何から話していいか分からない。恋人? そんな気配は一切ない。笑って話せる誰かが、そばにいるだけで全然違うのにな。
独身であることに慣れすぎて、誰かに甘える方法を忘れた
一人で暮らすことに慣れすぎた結果、誰かに寄りかかることが難しくなってしまった。愚痴を言えば「そんなに大変ならやめれば」と言われそうで怖い。自分の弱音を受け止めてくれる存在が、今はただ欲しい。
もし誰かに「がんばってるね」と言ってもらえたら
たとえひと言でも、誰かがそう言ってくれたら、明日も頑張れるような気がする。見返りなんていらない。ただ、認められたい。ひとりの司法書士として、生きてる意味を、そっと肯定してくれる誰かがいれば、それでいい。
ただ、それだけで救われるような気がしている
人は意外と、そんな小さなことで立ち直れる。「お疲れさま」と言ってくれる人がいるだけで、少し泣けて、そして笑える日がくる。そう思いながら、今日も書類の山と向き合っている。
だから今日も、疲れたフリもせず、黙々と働いてしまう
結局、誰かに期待することもあきらめて、自分の中で折り合いをつけている。疲れた顔も見せず、文句も言わず、「ちゃんとした大人」としての役割を演じ続ける。ほんとは、誰かのひと言が欲しいのに。