恋愛相談されるけど自分の相談はできない

恋愛相談されるけど自分の相談はできない

恋愛相談を受ける立場になった理由

司法書士という職業柄、相談を受けることには慣れている。登記や相続の話から、なぜか恋愛相談にまで発展することがある。相手が安心して話せるように耳を傾けていると、「聞き上手ですね」と言われることが増えた。たしかに、黙って相槌を打っていれば好印象にはなる。でも、それはあくまで“受ける側”の話。こちらが誰かに恋愛のことを話そうとしても、その空気はなぜか生まれない。まるで「話す側になる資格がない」と言われているような気がするのだ。

「聞き上手ですね」と言われる裏側

聞き上手だと評価されることは、ある意味ありがたい。でもそれは同時に、自分の気持ちを外に出すチャンスを失うことでもある。話し手は安心して本音を話してくれるが、こちらはどんどん“聞く機械”のようになっていく。ある友人が「お前って、いつも人の話聞いてるけど、自分のことって全然話さないよな」と言ってきたことがあった。図星だった。話すのが苦手なわけじゃない。ただ、話してもどうせ理解されないだろう、という諦めが根っこにあるのだ。

共感はするけど、共感されない人生

相手の話には共感できる。でも、自分の話に共感してもらえることはほとんどない。例えば、「恋愛って難しいですよね」と言っても、「え、誰かいるんですか?」と冗談のように返される。冗談じゃない。こっちは本気で悩んでる。だけど、恋愛の悩みを抱える司法書士って、あまりイメージに合わないのかもしれない。仕事は真面目、プライベートは見えない。だから話すだけ無駄だという感覚に、自然となっていく。

優しさが「便利な人」にされる瞬間

一度、「彼にLINEしても返事がないんです」と事務員さんに相談されたことがあった。真面目に聞いて、落ち着いた口調で「きっと忙しいだけじゃないかな」と答えると、「やっぱり先生って優しいですね」と笑われた。その時思った。この優しさは、人のためにはなるけど、自分のためにはならないんだなと。恋愛相談の場で優しさを発揮すればするほど、自分の恋愛の可能性が遠ざかるという皮肉。

なぜ自分の恋愛相談はできないのか

恋愛相談を受ける立場になった今、自分がそれを誰かにするというのはどうにも居心地が悪い。相手に気を遣わせてしまうのではないか、自分の立場を損なうのではないか。そんな思いが先に立ってしまう。結果として、「まあ、俺は大丈夫だから」と言って心を閉ざしてしまう。誰かに相談したい気持ちはある。でも、それ以上に「相談できる人間関係」が自分にはない現実を突きつけられてしまうのだ。

弱音を見せたくないという変なプライド

司法書士という肩書きがあるせいか、弱音を吐くことに抵抗がある。普段、相談を受ける側であるがゆえに、「自分が相談するなんて格好悪い」と思ってしまう。実際にはそんなことはないのに、どこかで“先生”であり続けなければならない気がしているのかもしれない。そんなプライドが、自分の首を絞めているのは分かっている。だがそれを捨てる勇気もない。歳を重ねるごとに、その壁はどんどん高くなるばかりだ。

愚痴は言えるけど、甘えられない性格

愚痴は言える。書類が多すぎるとか、法務局の対応が遅いとか。でも、寂しいとか、好きな人に連絡できないとか、そういう“感情”の部分はどうしても口にできない。愚痴は仕事の延長線で、甘えは心の奥底の話。前者は社会人として受け入れられても、後者は“らしくない”と思われる気がしてならない。実際、昔それを話したら「意外ですね」と言われたことがあり、その「意外」が妙に刺さったのを覚えている。

「司法書士」という肩書きの重さ

司法書士という肩書きは、確かに信頼にはつながる。でも、その肩書きが壁になることもある。「先生は恋愛とか関係なさそう」とか、「先生ってもっと余裕あるイメージでした」と言われるたびに、こちらも人間だと言いたくなる。感情も、孤独も、悩みも、全部ある。だけどそれを見せると“らしくない”となる。この肩書きの重さを、恋愛の場面でも感じてしまうのだ。誰かに相談することすら、許されていないような気がしてしまう。

聞き役としてのしんどさ

聞き役というのは、一見すると気配りのできる良い役割に思えるかもしれない。でも実際には、話を受け止め続けることの疲労感が大きい。特に感情の話となると、こちらも同じように揺さぶられる。けれど、聞き役は聞き役でいなければならない。リアクションは控えめに、共感はしても主張はしない。そんな立場が当たり前になると、自分の感情の出口がどこにもなくなってしまう。

相手の話はちゃんと覚えているけど

誰がどんな相手とどんなトラブルを抱えているか、わりと正確に覚えている。だからこそ、ふとした時にアドバイスもできる。でもその記憶力も、自分のためには使われない。自分の話を誰かがこんな風に覚えてくれているだろうか、と考えることがある。多分、ない。そもそも話していないし、話せない。覚えられることがない人間になってしまっていると気づいたとき、ちょっと胸が痛くなった。

返ってこない「あなたはどうなの?」の一言

恋愛相談を聞いていて、一番しんどいのは「あなたはどうなの?」と聞かれないことだ。こちらばかりが聞く側に固定されていて、まるで壁と話しているように扱われることもある。それが職業的な関係性ならまだしも、プライベートでもそうなると、本当に自分が透明人間になった気がする。「君はどうなんだ」と誰かに問いかけてもらいたい。それが、思った以上に心を救ってくれるのではないかと思う。

司法書士という仕事と孤独

この仕事は、書類と法律と人との間に立つ仕事だ。でも、そのどれもが感情とは少し距離がある。感情を出せば出すほど、ミスが生まれそうな気がして、どこかで自分を押し殺している。そうしてできあがるのは、冷静だけど孤独な自分。恋愛相談されるほど人から信用されているのに、相談できる相手はいない。そんな矛盾の中で、今日も誰かの悩みに耳を傾けている。

感情を抑える職業病が染みついている

感情を抑えることが当たり前になっている。登記の間違い一つでクレームになりかねない世界では、感情的になることはリスクでしかない。だから、穏やかに、丁寧に、感情は心の奥にしまって仕事をする。でもその抑圧が、日常にも影響しているのだ。楽しかったことも、悲しかったことも、無意識のうちに「まあまあ」と処理してしまう癖がついている。恋愛も、そうして処理してきてしまったのかもしれない。

誰にも見せられない、夜のため息

仕事が終わり、部屋に戻った夜。ため息をつくのが習慣になっている。誰にも気を遣わず、誰にも話しかけられず、自分だけの空間。楽なようで、虚しい。「今日も誰とも心の会話をしていないな」と思う夜が、たまにある。恋愛相談にのっている時間のほうが、むしろ誰かとつながっている気がするのは皮肉だ。心を開くって、こんなに難しいものなのかと、自分でも驚く。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。