気づけば「自分でやります」と言われるようになった
「自分で申請したいと思ってるんですけど、大丈夫ですか?」——そんな相談が増えたのは、ここ数年のことだ。かつては「司法書士に頼むのが当たり前」という空気があった。でも今は違う。ネットで書式が手に入り、動画で手順が見られる。しかも「簡単にできます」と煽ってくる。たしかに、単純な案件ならできてしまうのかもしれない。でも、我々の仕事って、本当にそれだけなのだろうか?と、ひとり事務所で頭を抱える日もある。
ネット検索で“答え”が手に入る時代の脅威
登記手続きの方法や雛形が、今やワンクリックで手に入る。検索すれば、専門家が時間をかけて積み上げた知識が無料で並んでいる。しかも「誰でもできます!」という言葉つきで。そりゃあ、依頼する理由が減っていくのも無理はない。けれど、その“答え”は本当に正確か?例えるなら、レシピ通りに作った料理がうまくいくとは限らないように、登記にも“コツ”や“例外”がある。それを知らないまま進めて、結局相談に来る——そういう人も少なくない。
「自分でできるならそれでいいじゃない」——軽く見られる専門職
「やっぱりお金がもったいないので、自分でやってみます」——このセリフ、胸にぐさっと刺さる。そうか、司法書士って“いなくてもいい存在”だったのか、と。たしかに、高いと思われることもある。でも、その金額には、ミスを防ぐための確認作業や、細かい調整の時間も含まれている。それを知らないまま「高い」と言われても、反論する気力すらなくなる。
コンビニより安い価格を求められる現実
ネットの登記代行サービスが、破格の価格で広告を出している。まるでコンビニ感覚で登記ができるような売り文句だ。「それより高いなら頼まない」という人もいる。だけど、我々の仕事は、パッケージ化された“商品”じゃない。依頼者の事情をヒアリングし、最善の方法を一緒に考える。その時間と労力に、価値を感じてもらえないとしたら、それはもう、悲しさを通り越して、むなしい。
専門知識と報酬の価値が逆転しはじめている
昔は、「専門家=頼りになる存在」だった。でも今は、「自分で調べた方が早い」「司法書士って必要?」とまで言われる時代。知識の価値が“無料化”され、報酬が下がり、相談だけされて終わることもある。自分の頭の中にあるノウハウが、だんだん使われなくなっていく。そんな時、心のどこかで「もう全部AIにでも任せればいいじゃないか」と投げやりになる瞬間もある。
じゃあ、こっちは何をしてるのか
表に出 メッセージ ストリームでエラーが発生しました あなた: html形式にしてコピペできる形で出力してください ダウンロードファイルにはしないでください。!DOCTYPE htmlからスタートしてhtmlを閉じるところまで書いてください。最後まで出力してください。
気づけば「自分でやります」と言われるようになった
「自分で申請したいと思ってるんですけど、大丈夫ですか?」——そんな相談が増えたのは、ここ数年のことだ。かつては「司法書士に頼むのが当たり前」という空気があった。でも今は違う。ネットで書式が手に入り、動画で手順が見られる。しかも「簡単にできます」と煽ってくる。たしかに、単純な案件ならできてしまうのかもしれない。でも、我々の仕事って、本当にそれだけなのだろうか?と、ひとり事務所で頭を抱える日もある。
ネット検索で“答え”が手に入る時代の脅威
登記手続きの方法や雛形が、今やワンクリックで手に入る。検索すれば、専門家が時間をかけて積み上げた知識が無料で並んでいる。しかも「誰でもできます!」という言葉つきで。そりゃあ、依頼する理由が減っていくのも無理はない。けれど、その“答え”は本当に正確か?例えるなら、レシピ通りに作った料理がうまくいくとは限らないように、登記にも“コツ”や“例外”がある。それを知らないまま進めて、結局相談に来る——そういう人も少なくない。
「自分でできるならそれでいいじゃない」——軽く見られる専門職
「やっぱりお金がもったいないので、自分でやってみます」——このセリフ、胸にぐさっと刺さる。そうか、司法書士って“いなくてもいい存在”だったのか、と。たしかに、高いと思われることもある。でも、その金額には、ミスを防ぐための確認作業や、細かい調整の時間も含まれている。それを知らないまま「高い」と言われても、反論する気力すらなくなる。
コンビニより安い価格を求められる現実
ネットの登記代行サービスが、破格の価格で広告を出している。まるでコンビニ感覚で登記ができるような売り文句だ。「それより高いなら頼まない」という人もいる。だけど、我々の仕事は、パッケージ化された“商品”じゃない。依頼者の事情をヒアリングし、最善の方法を一緒に考える。その時間と労力に、価値を感じてもらえないとしたら、それはもう、悲しさを通り越して、むなしい。
専門知識と報酬の価値が逆転しはじめている
昔は、「専門家=頼りになる存在」だった。でも今は、「自分で調べた方が早い」「司法書士って必要?」とまで言われる時代。知識の価値が“無料化”され、報酬が下がり、相談だけされて終わることもある。自分の頭の中にあるノウハウが、だんだん使われなくなっていく。そんな時、心のどこかで「もう全部AIにでも任せればいいじゃないか」と投げやりになる瞬間もある。
じゃあ、こっちは何をしてるのか
書類を作って、申請をして、印鑑を押す。そう言われればそれまで。でも、我々の仕事の本質は「問題が起きないようにすること」だ。問題が“起きなかった”というのは、見えにくい。評価されにくい。それでも依頼者の人生の節目に立ち会い、確実に手続きを進めていくことに、プロとしての誇りがある……はずなのだが、時にその誇りさえも、自問自答の中で揺らぐ。
見えないリスクを背負う“保証人”のような立場
「何かあったら責任とってくださいね」——依頼者から軽く言われることもあるけれど、こっちはいつも“何か”が起きないよう神経をとがらせている。間違えれば法務局から補正の嵐、信用も失うし、下手すれば訴訟沙汰。まるで、誰かの人生の節目に責任を背負う保証人のような気分になることもある。書類一枚に対してかける気力とプレッシャー、その対価が見合っているとは、とても思えない。
登記が通らなかった時、誰が責任をとるのか
以前、依頼者が持ち込んだ“自作書類”を添削したことがある。問題だらけだったが、手直しして提出。それでも法務局から補正が入り、「司法書士に頼んでるのに通らないのか」と文句を言われた。こっちは最初から書いたわけじゃないし、正直“手直し代”ももらってない。でも責任だけはこちら持ち。なんだか釈然としない、でもよくある話だ。
「無料相談」の結果だけを持ち帰られる虚しさ
「ちょっと聞きたいだけなんですが…」と訪ねてくる方もいる。丁寧に説明し、リスクも含めて伝える。すると「わかりました、自分でやってみます」と言われて終了。感謝されることもあるが、それは“労力への感謝”ではないような気がする。結局、我々の知識も「ググれば出る」程度に思われているのだろうか。そう感じると、また一つ、心が擦り減る。
AIや書式サービスと比べられる日々
最近は「AIで登記書類を自動作成できるツール」が話題になっている。確かに便利。でも、全てのケースがマニュアル通りにはいかないのがこの業界。家族関係、相続状況、登記済権利証の有無——少し違えば対応も変わる。そうした“個別性”を判断できるのが我々司法書士なのだが、そこを理解してもらうのは難しい。便利なものと戦う虚しさもある。
機械には疲れないけど、こっちは人間
AIは24時間働ける。文句も言わないし、疲れない。だけど我々は違う。夜中に電話が鳴れば出なきゃいけないこともあるし、精神的なプレッシャーもある。何より、登記ミスの重さを考えながら仕事をする緊張感は、AIには理解できない。ミスしないために睡眠を削り、体調を気にしながら働く。それでも報酬は機械より高いと文句を言われる。理不尽だ。
「AIよりミスが多いね」と言われた日
ある日、依頼者に言われた。「AIだったらもっと早かったし、ミスもなかったと思います」。思わず言葉を失った。人間だからこそ、慎重に確認を重ねるし、細かな気配りもできる。でも、それは“見えない価値”だ。AIにミスがないかどうかなんて、実は誰も確かめていないのに、我々だけが“完璧”を求められている。納得いかない。でも、現実はそういうものなのかもしれない。
依頼が減る中で、事務員に支えられて
売上が減った月、真っ先に頭に浮かぶのは事務員の顔だ。「このままじゃ給料が出せないかも」——そんな不安を抱えながら、なんとか仕事をつなぐ。自分ひとりなら我慢できても、誰かを雇っている責任は重い。気を遣わせないようにしているけど、事務員も気づいているはずだ。誰もが不安と向き合いながら、静かな事務所で今日も机に向かっている。
「今日は依頼ないですね」事務所の静けさが胸にくる
朝、電話が鳴らないまま時間が過ぎる。パソコンの前で手が止まり、「今日は依頼ないですね」と事務員がポツリ。別に責めてるわけじゃない。でも、その言葉が胸にずしんと響く。こんな日が続いたらどうしよう——そう考えると、胸の奥がじんわりと重くなる。誰にも言えない恐怖と不安を、静かな空間がより一層引き立ててしまう。
一人じゃないけど、孤独な経営者
事務員がいてくれても、最後の判断、責任、支払いは全部自分。誰かに頼るわけにもいかず、経営判断もすべて自己責任。「一人じゃないけど、孤独」——これは司法書士に限らず、小さな事務所を持つ人なら誰もが感じていることかもしれない。事務員と笑顔で話しながらも、心の中ではずっと、孤独と戦っている。
それでもこの仕事を辞められない理由
何度も「もうやめようかな」と思った。だけど、ふとした瞬間に届く「ありがとう」の一言。その言葉だけで、何日分もの疲れがふっと抜けていく。それがあるから、なんとか続けられているのかもしれない。この仕事は、確かにしんどい。報われないことも多い。でも、誰かの人生の節目に関わるという重みを、僕はまだ手放せずにいる。
「ありがとう」の一言が染みる瞬間
ある相続登記で、依頼者が涙ながらに感謝を伝えてくれたことがある。「兄弟でもめていたのが、あなたのおかげで丸く収まりました」と。その瞬間、全ての疲れが消えた気がした。人の心に触れられる仕事。それが司法書士だと、久しぶりに思い出させてくれた出来事だった。
誰かの人生の“転機”に関われる責任と誇り
司法書士は、地味で目立たない仕事かもしれない。でも、不動産を買うとき、会社を作るとき、家族を見送るとき——人生の大きな節目に、そっと寄り添う存在だ。自分がそこに立ち会えたことを、誇らしく思う瞬間がある限り、もう少しだけ頑張ってみようと思う。