気づけば、仕事中に深呼吸する回数が増えていた

気づけば、仕事中に深呼吸する回数が増えていた

気づけば、仕事中に深呼吸する回数が増えていた

― 一人事務所の司法書士が吐き出す、誰にも言えない胸の内 ―

忙しさに慣れたはずの身体が、悲鳴を上げるとき

毎日同じように出社し、同じように書類を整理し、同じように登記手続きをこなす。特別な事もないのに、今日はやたらと深呼吸が多い。どこかで何かが広がってしまいそうな、そんな不安に驚かされながら働く時間が続いた。

ふと気づけば、深呼吸の疲れ

なぜこんなに呼吸を意識するのか。自分でもわからなかったけど、じわじわとした気持ちのことを考えているとどうもそのあたりから。仕事の上で不安や効率の悪さが重なっている。何もしていないようで、脅威は知らずに近づいている感覚。それにしぼしぼと深呼吸で対抗しているのかもしれない。

満員のタスクに、わずかな階段を作る

この年齢になると、なかなか新しい仕事のやり方を取り入れるのは難しい。それでも、このままではまずいと思って、自分のペースでできる改善の階段を探る。深呼吸は、その最初の一歩だった。

悪いサインではなく、警告ランプ

自分を悪いと気づかせるための深呼吸ではない。もっと大きなものが声を上げている。そんな感覚が、働き方を見直す可能性を移してきた。「疲れてるよ」と言われてるような気がした。

事務所にいるのに、孤独感だけが積もっていく

小さな事務所。事務員さんはいるけど、あまり話しかけすぎても負担になるかな、と思ってしまう。気づけばモニター越しに語りかけてる自分がいて、ちょっと怖くなったこともある。

話しかける相手は、PCのモニター

「あれ?この書式でよかったっけ?」なんて、声に出して確認したくなるときがある。でも、返事があるわけじゃない。事務員さんは別の作業で手一杯。だからモニターに「どう思う?」なんて冗談で聞いてみる。苦笑いしながらも、それが一番安心できたりもする。

事務員さんに気を遣いすぎて、逆に疲れる

彼女の仕事ぶりには満足しているし、感謝もしている。ただ、気を遣わせてしまっていないか、こちらが気にしてしまって逆に変な空気になってしまうことがある。これは多分、私の性格の問題だ。

「相談できる誰か」がいない現実

仕事上の悩みを、他の司法書士に聞いてもらおうとはなかなか思えない。弱音を吐くこと自体が下手だし、そもそもそんなに頻繁に交流もない。一人で抱え込むのが、当たり前になってしまった。

深呼吸の回数は、心の警報かもしれない

「疲れた」とか「辛い」とか、言葉に出す前に身体が先に反応してるのかもしれない。深呼吸の回数は、そのサインだったのかと今は思う。

一人開業のストレスと誰にも見えない不安

独立してよかったと思うこともあるが、その反面すべての責任が自分に降りかかるというプレッシャーは大きい。経営者として、実務者として、時にはクレーム対応までも。全方位の不安に耐えるには、深呼吸ぐらいしか手段がない日もある。

事務所を回すだけで手一杯になる毎日

理想を語っていたころが懐かしい。今では「とりあえず滞りなく回せればOK」というのが本音。毎日が綱渡りだ。将来のことを考える余裕なんてどこにもない。

「誰のためにやってるんだっけ?」という問い

顧客のため?自分のため?社会貢献?どれも違うようで、全部のようでもある。結局、「辞めなかった」という事実だけが積み重なっている。

それでも、辞めなかった理由

なぜか、と聞かれると答えに詰まる。でも、いくつかの小さな出来事が、心の中でひっそり支えてくれている。

「ありがとう」の言葉が、意外と効く

登記が終わって、ほっとした顔で「助かりました」と言われると、こちらも「やっててよかったな」と思える。報酬以上に、言葉の重みが支えになる瞬間がある。

登記が終わって、ふっと見せてくれた笑顔

自分では当たり前と思っていた仕事でも、相手にとっては大きなハードルだったりする。だからこそ、その笑顔を見ると、深呼吸が少し楽になる。

この仕事しかないという悲しさと誇り

他にできる仕事があるわけじゃない。でも、それでも続けてきたという事実だけが、今の自分の支えになっている。誇れるかはわからないけど、後悔はしていない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。