気づいたら、何も変わってなかった──数年経っても成長できない自分にモヤモヤする夜

気づいたら、何も変わってなかった──数年経っても成長できない自分にモヤモヤする夜

このままでいいのか、と思い始めた夜

ある夜、仕事を終えてコンビニで買った缶ビールを片手に、テレビもつけずにただ座っていた。ふと、「ここ数年、自分は何か変われただろうか」と問いかけてみた。答えは出なかったけど、なんとなく「いや、変わってないな」と感じてしまった。司法書士として一応、業務は回っているしミスも少ない。でも成長したかと問われると、正直、自信がない。そんな夜が最近増えてきた。

成長していないことへの焦燥感

「何か新しいことをしなきゃ」と思うのに、実際は何も手をつけられずにいる。毎日が同じ仕事の繰り返し。書類を整えて、依頼人に確認して、提出して。もちろんそれは大切な仕事だけど、何かこう…“前に進んでる”実感がないんだ。焦るばかりで、行動は鈍くなる。そんな自分にまたモヤモヤする。

周囲の変化に取り残される感覚

友人の中には行政書士から司法書士へ転身して成功した人もいれば、SNSで集客して勢いに乗っている人もいる。一方、自分はと言えば、事務員と二人、静かに業務をこなす毎日。事務所のHPすら更新していない。時代が動いているのに、自分だけが止まっているような錯覚を覚える。

“何年やっても同じ”という不安

「来年も、再来年も、このままなんだろうな」と思うと、少し怖くなる。資格を取ったばかりの頃は、少しずつでも成長を感じられた。けれど、気がつけば慣れが麻痺を呼び、努力も惰性に変わってしまった。そんな自分を認めたくなくて、つい「忙しいから」と言い訳してきた。

日々の業務に追われて、立ち止まる時間がない

書類の山、電話の応対、急な相談対応。1日はいつもあっという間に終わっていく。「時間があれば自分を見つめ直したい」と思っても、その“時間”が一向に訪れない。結局、夜になって疲れ果てた体で布団に倒れ込むだけ。そんな日々の繰り返しが、思考を止め、変化を遠ざけている。

忙しさが考える時間を奪っていく

「今日はひと段落ついたら、あの業務改善のことを考えよう」なんて朝は意気込む。でも、昼前には次の依頼が入り、午後には緊急対応。そのうち「まあ、明日でいいか」と先延ばしになる。結果、何も変わらない。忙しさに負けた自分を責めつつも、また明日が来る。

いつの間にか、毎日がコピー&ペースト

Wordのテンプレートを流し込むように、毎日がテンプレ化していく。相談内容も似てくるし、提出先も変わらない。イレギュラーがあると、少しほっとする自分がいる。それほど“変化のなさ”に飽き飽きしているのに、いざ変える勇気は湧いてこない。情けないが、それが現実。

「進んでいない」というより「止まっている」

本当に怖いのは、成長していないという実感ではなく、「このままでも生きていける」と納得しかけている自分だった。挑戦もしない、変化も求めない、それでいてモヤモヤする。つまり、自分の中で“納得しきれてない”からこそ、悩んでいるのだ。

スキルも人間関係も横ばいのまま

新しい知識を入れる時間もない。付き合う人も限られてくる。結果、世界がどんどん狭くなる。昔は、業務外の勉強会や異業種交流会に顔を出していたけれど、今はその余裕もない。言い訳は簡単。でも、やっぱり少し寂しい。新しい刺激がないと、人間、すぐに錆びついてしまう。

資格更新より、自分の更新が必要かもしれない

司法書士は一度取ってしまえば、更新制度はない。でも、自分自身は定期的に「アップデート」しないと、どこかで立ち止まってしまう気がする。仕事の制度や法改正に追われるだけでなく、「自分はどこに向かっているのか」を問い直すことの方が、案外大事だったりする。

誰かに認められる実感のなさ

お客さんに感謝されることはある。でも、同業者から何か評価されることもなければ、日々の努力がどこかに記録されるわけでもない。SNSに書くようなこともないし、自分で自分を褒めるしかないのか…と、虚しさを感じる夜もある。

このまま年齢だけ重ねるのかという恐怖

45歳という年齢。普通なら、家庭があって子どもがいてもおかしくない。でも、自分は事務所と自宅の往復。たまの飲み会も話題に入れずフェードアウト。年だけ取って、中身は何も変わってない。そんな現実が胸に重くのしかかる。

独身・友達少なめ・モテないの三重苦

正直、誰かと付き合いたいとか、結婚したいという気持ちはゼロではない。でも、出会いもなければ、自分に魅力があるとも思えない。仕事は真面目にやってるけど、それだけじゃ人間的魅力にはならないんだと痛感する。どこで何を間違ったのか、今さら分からない。

老後がチラつく今日このごろ

「このまま行けば、誰にも看取られずに死ぬんじゃないか」と、ふとした時に考えることがある。悲観しすぎかもしれないが、現実味があるのがまた怖い。今はいい。でも10年後、20年後、自分はどんな姿で、どこにいるのだろう。

それでも、何かを変えたいと思う自分もいる

全部を投げ出したいわけじゃない。今の仕事にも、事務員にも、感謝している。ただ、「このままじゃ終われない」と思う自分も確かにいる。小さな一歩でも、踏み出せたら変われるかもしれない。そう信じたい。

過去の自分と向き合う勇気

昔の手帳をめくってみると、若い頃の自分が書いた目標が出てくる。「業務を効率化したい」「地域とつながる仕事がしたい」——どれも今とは違う、熱のある言葉だ。あの時の気持ちを思い出すことが、第一歩になるかもしれない。

成長は「劇的」じゃなくて「地味」かもしれない

テレビドラマのように、何か劇的に変わることなんてそうそうない。でも、今日より少しマシな明日を積み重ねていくのが、成長なんじゃないか。地味でも、確かな変化を、自分で感じられるようにしたい。

たまに届く「ありがとう」の言葉が救い

依頼者から届いた手紙。「先生のおかげで安心して手続きできました」——この一言が、どれほど支えになっているか。成長している実感はなくても、誰かの役に立っているなら、それは意味があることだと思える。

共感してくれる誰かがいるという救い

同じように悩んでいる司法書士がきっといる。だから、こうして文章を書くことにした。誰かのモヤモヤに寄り添えるなら、それだけで意味がある。悩みは恥じゃない。吐き出すことで、少し軽くなることもある。

愚痴を吐ける場所があるだけで違う

仕事の悩みも、将来の不安も、誰かに聞いてもらえるだけで救われる。こうした記事が、司法書士という孤独になりがちな職業の中で、小さな灯りになればいいと思っている。

誰かの悩みに寄り添える司法書士でいたい

かつて、自分が相談したいと思っていたような存在に、自分がなれたらいいなと思うようになった。法律だけじゃなく、気持ちにも寄り添えるような司法書士を目指して——。それが、今の自分にできる小さな“変化”の始まりかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。