目がしょぼしょぼしながら書く日報

目がしょぼしょぼしながら書く日報

終わらない日報、始まらない夜

時計の針はすでに23時を回っている。なのに私は、まだ今日の日報に手をつけられていない。夕方に「今日は早く帰ろう」と思っていたはずが、気づけば事務所にひとり残っている。照明の光がまぶしくて、パソコンの画面に向かう目がしょぼしょぼする。そろそろ目薬の消費量も経費で落ちるんじゃないかと思うくらいだ。今日も、書類との戦いに明け暮れた一日。その疲れの総仕上げとして、最後に待ち構えているのがこの「日報」だ。

「もう寝よう」が口癖になった頃

40代に入ってからというもの、夜のパフォーマンスが著しく低下した気がする。以前は夜型で、多少遅くまで起きていてもなんとかなっていた。でも最近は、「もう寝よう…」と呟く時間がどんどん早まってきている。眠気と疲労がダブルで襲ってくる深夜、日報を書く手も止まりがちだ。脳が働かず、語彙が貧困になって、「今日は疲れました」とだけ書いて終わりにしたい衝動にかられる。だが、それでは明日の自分に申し訳ないような気がして、どうにか絞り出す。

眠気と闘う深夜のパソコン

モニターの明かりがまぶしい。まるで自分のダメさを照らし出しているように感じて、余計にしんどくなる。カーソルが点滅している間に、私の意識も何度か落ちかける。お湯を沸かしてインスタントコーヒーを作るけれど、それもぬるくなる頃には効力を失っている。もう一度目を擦って、日報の冒頭に「今日は…」と書いて、またしばらく止まる。日報が仕事の一部であることはわかっているけれど、この時間になると正直どうでもよくなる。

打ち間違いすら愛おしい疲労感

眠さのピークに達すると、誤字脱字が増える。「顧客」も「故客」になるし、「報告」も「暴酷」になっていたことがある。もはやホラーだ。誤変換すらツッコミを入れる気力がなく、「ま、いっか」と放置したくなる。その疲れっぷりに、逆に笑いが込み上げてくる瞬間もある。疲れて笑うってなんだよと思いつつも、それがなぜか救いに思えたりする。疲労の蓄積が妙な境地に導いてくれるのだ。これが司法書士の“味”なのかもしれない。

日報に書くことが…ない?

毎日が忙しいわりに、日報に書く内容が見つからない日がある。登記のオンライン申請をして、電話を何本かかけて、書類の束を整理して……で? それって昨日と何が違ったんだろうか。自分がロボットみたいに思えてくる瞬間だ。大きな出来事もトラブルもなければ、文章にするモチベーションも湧いてこない。そんな日は、「書かないといけない」義務感だけが机に残っていて、それを前にして溜め息が漏れる。

業務報告よりも感情の吐露

本来、日報とは業務の記録であるべきだ。でも私の場合、いつしか感情の記録になっていた。たとえば「今日の法務局、なんかピリピリしてた」とか「依頼者の一言で泣きそうになった」みたいな、もはや業務じゃない内容が大半を占めることもある。そんなことを誰かに提出しているわけではない。完全に自分のための備忘録だ。でもだからこそ、無理せず書ける。感情を吐き出すことで、なんとか次の日も自分をつなぎ止めている。

「頑張った」とだけ書いて寝たい

究極的には、「今日は頑張った」の一言で済ませられたらどれほど楽かと思う。実際、それでいい日もあるんだろう。でも私は「書かないと気が済まない」タイプらしい。誰も読まない日報に、なぜここまでこだわるのか。たぶん、自分の存在証明のようなものなんだろう。誰かに話すわけではないけれど、「私は今日もちゃんとやった」と書き残すことで、少しだけ安心して眠れる気がしている。

孤独な仕事の、静かな締めくくり

地方で司法書士をしていると、同業者と会う機会も少ない。ましてや愚痴を言い合える仲間なんて、ほとんどいない。そんな孤独の中で、一日の終わりに日報を書く時間だけが、ちょっとした癒しになることもある。黙って画面に向かう時間に、自分自身と向き合っているような感覚すらある。誰かに話すことができない想いや、小さな達成感をそっと書き留める。たとえ目がしょぼしょぼしていても、それは大切な時間だ。

事務所の灯り、ひとつだけ

夜の事務所に明かりが灯っているのは、自分だけだと気づく瞬間がある。外は真っ暗で、人の気配もしない。エアコンの音と、キーボードを打つ音だけが響く。ああ、今日も自分しかいないのか、と思いながらも、その静けさが悪くないと感じることもある。誰にも気を遣わず、黙々と作業できるこの空間が、案外心地よかったりするのだ。

話し相手はモニターだけ

気づけば、今日一日、誰ともまともに会話していない日もある。依頼者との電話も、役所とのやり取りも、すべて業務的な言葉ばかり。冗談ひとつ言わないまま、一日が終わる。そんな時、モニターが話し相手になる。カーソルが点滅する画面を見ながら、「今日もがんばったよな」と自分に言い聞かせて、最後の文章を綴る。

会話のない日も日報はしゃべる

人と話さなくても、日報には言葉を残せる。今日は失敗したとか、ちょっと嬉しいことがあったとか。そういう一言が、後から自分を支えてくれる時がある。読み返して、「ああ、こんな日もあったな」と思うだけでも、なんとなく救われる。誰かに話す勇気がないことでも、日報なら書ける。しょぼしょぼした目で、それでも書き続けるのは、そんなささやかな理由のためなのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。