連絡先リストを開いて、ふと感じた空虚さ
スマートフォンの連絡先リストを何となく開いてみた夜、スクロールしてもしても、特に連絡を取りたい人がいないことに気づいた。件数はそれなりにある。けれど、その多くは取引先、顧客、昔の同級生、元恋人――もう二度と連絡を取ることはないであろう名前たち。画面に並ぶその名前は、生きてはいるが、すでに「過去の人」だ。僕は45歳の司法書士。地方で小さな事務所を構え、一人の事務員とともに毎日を回している。仕事に追われているうちに、連絡先リストから「今」繋がっている人がどんどん減っていたことに気づいてしまった。
「こんなに少なかったっけ?」と画面を見つめる夜
高校時代や大学時代の友人たちの名前を見かけるたび、懐かしさよりも気まずさが先に立つ。何年も連絡を取っていないのに、なぜか消せない。いや、消すのが怖いのかもしれない。自分の人生に関わった人を、自分の手で消してしまうことが怖いのだ。「元気かな」と思っても、いまさら何の用件で連絡するんだと、すぐに心の中で打ち消す。気づけば、連絡を取っているのは仕事相手と業者くらい。たまの営業電話が、ちょっとしたコミュニケーションにすら感じるようになった。
名前だけが残って、もう繋がらない人たち
大学時代、毎日のように麻雀をしていたA君。卒業後も何度か飲みに行ったが、ある時を境に疎遠になった。彼の名前も、電話番号もまだ残っている。彼の誕生日は12月だったな、とふと覚えている自分がいた。でも、もう何年もその番号を押していない。たとえ今かけたところで、「どうしたの?」と警戒されるのがオチだろう。名前だけが残っている。生きている証明のようで、実際にはもう届かない存在たち。その「届かない感覚」が、連絡先リストのスカスカ具合に拍車をかけている。
消せない、でも連絡もしない
削除ボタンに指をかけて、結局キャンセルを押す自分がいる。情けないと思いつつ、過去を捨てきれない。きっと、いつか奇跡的に連絡が来るのでは、という期待がどこかにある。いや、正確には「誰かに必要とされたい」という未練がにじみ出ているのかもしれない。こんな僕でも、誰かの記憶の中には存在していると信じたいだけなんだろう。消せない番号たちは、もはや僕の中の“存在証明”なのかもしれない。
忙しさにかまけて、人付き合いを減らしてきた結果
「仕事が忙しい」という言い訳は万能だ。飲み会、同窓会、誘いの連絡。全部、断る理由にできる。事実、僕の仕事は忙しい。登記に関する問い合わせ、急ぎの依頼、時には夜間までの作業。けれど、ふと立ち止まったとき、僕は何を得たんだろう?と思う。確かに仕事はこなしてきた。収入も、それなりに安定している。でも、手元には誰とでもない孤独感だけが積み重なっていた。
飲み会も断る、付き合いも減らす――それで得たものは?
「飲み会行かないと人脈できないよ」と言われていた時期があった。でも、司法書士という職業柄、どうしても時間を優先してしまう。仕事が終わったら家に直帰、土日は書類整理と洗濯と買い出し。誰かと過ごす時間が、いつの間にか「コスト」に思えるようになった。でも、たった一杯のビールを断って失った関係も、きっとあったはずだ。そう思っても、もう昔のように誰かを誘う気力すら湧かない。
「仕事だから仕方ない」と思い込んでいた
仕事を盾にして、人付き合いをサボってきた。その結果が、今のこの「スカスカ」の状態だ。人付き合いは面倒だけど、時にそれが自分を支える「土台」になる。でもそれに気づいたのは、土台が崩れてから。後悔しても、もう遅い。誰かの近況をSNSで眺めては「へぇ」と呟くだけの自分になってしまった。
その仕事も、結局は孤独な作業の連続
司法書士という仕事は、表向きは人と関わる職業だ。でもその実、書類とにらめっこしている時間の方が圧倒的に長い。法務局とやり取りし、依頼人と連絡を取り、でも心を通わせるような関係ではない。終われば次の案件、また次の案件。感情を残さずに仕事をこなすのが、ある種の正解。それが積み重なって、今の「誰とも繋がっていない」現実がある。
それでも繋がりを求めている自分がいる
そんな僕でも、時々思う。「誰かに話を聞いてほしいな」と。仕事の愚痴、将来の不安、たまに起きる失敗談。誰かに聞いてもらうだけで、少しだけ気が楽になるのに。その「誰か」がいないのが、今の一番の課題なのかもしれない。LINEの通知が鳴るたびに、わずかに期待してしまう自分がまだいる。
本当は、誰かとちゃんと話したい
居酒屋のカウンターで、くだらない話をしながら笑いたい。恋愛の話でも、仕事のグチでもいい。自分の言葉が誰かに届いて、共感されたり、笑われたりする――それだけで救われる瞬間がある。でも、そういう相手がいないという事実が、日々の空虚さを膨らませている。多忙な毎日が、その寂しさに気づかせないよう、誤魔化してくれているだけなんだ。
「忙しいから」はただの言い訳だったのかもしれない
本当は、連絡すればいいだけのことなのに、「忙しい」「時間がない」と言い訳してしまう。そのくせ、夜はYouTubeをぼーっと見て終わる。誰かに連絡を取るには、少しの勇気と少しの余裕が必要だ。でもその勇気を出す気力もなく、結局スマホを閉じて眠る。連絡先はある。でもその先の「繋がり」は、自分から動かなければ得られないのだ。
LINEの通知音に、まだ少しだけ期待している
ピロン、と鳴る通知音に、いまだに少しだけ心が跳ねる。でも、大体はAmazonの配送完了通知か、広告か、業者からの連絡。それでも、いつか誰かから「元気?」って連絡が来るんじゃないかと、どこかで期待してしまう自分がいる。その期待を捨てきれないから、連絡先リストは今日もスカスカのまま、削除も追加もされず、ただ存在している。