ミスが許されないって知ってたけどさ

ミスが許されないって知ってたけどさ

「間違えちゃいけない」って分かってたつもりだった

司法書士という職業に就く前から、「ミスは許されない仕事だ」と言われてきた。それは試験勉強のときから、耳にタコができるほど聞かされてきた言葉。でも、実際に現場で書類にハンコを押し、登記を申請するようになってから、その重みが全然違うことを思い知る。「間違えたらどうなるか」を“知識”で知っているのと、「実際に間違えてしまったらどうなるか」を“実感”として知るのは別物だった。現場に出てからが、本当の意味でのプレッシャーの始まりだった。

試験勉強の頃から刷り込まれていた恐怖

司法書士試験の過去問では、「たった一字の違い」が正解と不正解を分ける。それが当たり前の世界だったから、「完璧じゃないといけない」という感覚は自然と身についていた。でも現実の仕事では、問題は四択じゃない。無限にあるケースの中から、最適解を導かなくちゃいけない。しかも、相手は生きた人間で、事情も感情も複雑に絡んでくる。机上の勉強より、現場の判断のほうがよっぽど難しい。そう実感するたび、試験の頃よりもプレッシャーは増していった。

登記は一文字の違いが命取り

たとえば、土地の地番を「5−2」とすべきところを「5−3」と打ってしまったとする。それだけでまったく違う不動産になる。依頼人からすれば「ただの数字の打ち間違い」で済むかもしれないが、法務局に提出すれば当然アウト。補正通知がきて、場合によっては信用も失う。そんな小さな「点」のようなミスが、大きな「線」となって信頼に亀裂を入れてしまう。だからこそ、毎回ドキドキしながら申請ボタンを押している。

でも人間だもの、って逃げ場が欲しい日もある

ミスしないのが当然、ミスすれば即アウト。そんな世界で生きていると、どこかで「自分は人間だから、たまには間違えても仕方ないよね」と言ってくれる人が欲しくなる。でも現実にはそんな甘えは許されないし、自分自身が一番それを分かっている。逃げ道を探しながらも、逃げられない。事務所で一人、確認作業を何度も繰り返して、肩をすくめながら「間違ってませんように」と祈るように申請する。それが日常になってしまっている。

申請ボタンを押すたびに胃がキリキリする

「登記・供託オンライン申請システム」の画面を前にしたとき、たぶん誰もが一度は緊張すると思う。特に、慣れていない分野の登記だったり、添付書類がギリギリのときは、心臓の鼓動が自分でもわかるくらい早くなる。クリック一つで、すべてが法務局に飛んでいく。その一発勝負に備えて、何度も確認し、何度も深呼吸する。そんな慎重な自分を「慎重すぎるかな?」と思うこともあるけれど、少しでも気を抜けば、それこそ命取りになるのがこの仕事だ。

「補正がきませんように」と願う瞬間

送信した直後、「受付完了」の画面が出るとホッとする。でも、それも束の間。次にやってくるのは「補正通知が来ないか」という不安との戦いだ。メール通知が来るたびに、画面を開く手が震えることすらある。「何か間違えたかな」「添付書類、あれで大丈夫だったかな」と頭の中でぐるぐると不安が駆け巡る。実際、些細なミスで補正になったことも何度かある。そのたびに、自分の甘さと向き合わされて、「ああ、まだまだだな」と肩を落とす。

形式ミスも致命傷になりかねない現場

内容に問題がなくても、形式的なミス——たとえば添付ファイルの形式がPDFじゃなかったとか、スキャンの順番が違っただけでも、補正は容赦なくやってくる。しかも依頼者には「先生にお願いすれば安心」と思われているから、こちらのミスはそのまま信用の失墜に直結する。だから、たとえ形式の話でも手を抜けない。実務の世界では「形式=信頼」と言っても過言ではない。それを痛感するたび、肩こりがひどくなる。

事務員さんにも背負わせられない重圧

うちには事務員さんが一人いるけど、彼女に全部の責任を背負わせるわけにはいかない。チェックはしてもらう。でも、最終確認と判断は自分がやるべきだと思っている。彼女は本当に優秀で助けられてるけど、それでも最後の「決定ボタン」を押すのはこっちの役目。だからこそ、何重にも確認して、自分の目で確かめる。誰かに任せることも必要だけど、結局「もしもの時」の矢面に立つのは、自分なんだという覚悟は常に持っている。

ダブルチェックは当たり前、それでも怖い

目を通して、もう一度見直して、さらに事務員さんにチェックしてもらっても、まだ不安は残る。登記の書類って、完璧が求められるのに、完璧なんて幻想なんじゃないかとすら思う。だから、ダブルチェック、トリプルチェックは当たり前。でもそれでも、人の目には限界がある。しかも、忙しいときに限って気が抜けやすい。そういうときに限って、大事な案件が重なってくるから、仕事ってほんとに意地悪だ。

他人に任せたミスも最終的に自分の責任

たとえ自分が見落としていなくても、他人がミスをして、それに気づけなかったら、その責任は自分に返ってくる。これはつらいけど、仕方がない。司法書士として名前を出している以上、その名前に対する信用を守るのは自分自身だ。だから、どんなに信頼していても、最後の「確認」は譲れない。誰かのせいにしたい気持ちが湧く日もあるけど、それをぐっとこらえて「すみません、こちらのミスです」と頭を下げる。その繰り返しだ。

「プロなんだから当然でしょ」のプレッシャー

依頼者から見れば、司法書士は「完璧にやってくれて当然」の存在。でも、こっちだって人間だし、知らないこともあるし、ミスもゼロにはできない。でも「プロなんだから、当たり前でしょ」と言われると、それに応えなきゃいけない気持ちが強くなる。それが「いい仕事をしよう」という原動力になる一方で、自分を追い詰める鎖にもなる。この仕事のプレッシャーは、静かに、でも確実に、心と体をすり減らしていく。

信頼は一瞬で崩れ、回復には年単位

これまで丁寧に積み重ねてきた信頼も、一度のミスでガラガラと崩れることがある。特に、不動産登記や会社設立のような大きな手続きでは、依頼者の人生がかかっていることもある。そんな中でのミスは、「間違えました、すみません」では済まない。信頼って、本当に繊細なものだ。一度傷つけば、何年かけても戻らない。だからこそ、「やりすぎかな?」と思うくらいの慎重さが必要になる。でも、それが日常になってしまうと、正直しんどい。

ミスをした同業者の話が、自分の首を締める

たまに聞く「司法書士がミスをしたせいで揉めた」とか「登記が間違っていた」みたいな話。それが回り回って、「やっぱり士業も信用できないね」と言われてしまう。こっちとしては、別の人の話でも、自分が責められてるような気持ちになる。そして、「自分もそう思われないようにしなきゃ」と、ますます慎重になる。業界全体の信頼を守るって、そんな大げさな話じゃないかもしれないけど、現場では常に意識せざるを得ない。

「ミスしない人」じゃなく「ミスしても立て直せる人」になりたい

完璧を目指す。でも、それでも人間だから、いつかミスをしてしまうかもしれない。そう思ったとき、「ミスしないこと」よりも、「ミスしてしまったときにどう立ち直るか」が大事だと感じるようになった。落ち込むだけじゃなく、原因を分析して、次に活かす。それができる人でありたい。責任ある仕事をしているからこそ、ミスへの備えも仕事のうちだと思うようにしている。そうじゃなきゃ、この仕事、やってられない。

失敗から学ぶことの重さと意味

ミスをして、怒られて、落ち込んで、反省して……。そんな経験を何度も繰り返してきた。でも、そこから学んだことが、今の自分の支えになっている気がする。たとえば、「これは以前ミスしたから、念のため確認しておこう」という感覚。失敗が、未来の安全装置になる。ミスはしないに越したことはないけれど、失敗を完全に否定せず、学びに変える姿勢を持ち続ける。それが、自分なりのプロ意識だと思っている。

ミスを隠さず認める強さが、結局信頼になる

ミスをしたとき、最初に出てくるのは「隠したい」という気持ち。でも、それをグッとこらえて、「すみません、こちらのミスです」と言えるかどうか。それが、その後の信頼を大きく左右する。正直に伝えて、謝罪し、迅速に対応する。そうやって信頼を回復していくしかない。完璧じゃないけれど、誠実であろうとすること。それが、司法書士として一番大事なことなんじゃないかと、最近ますます思うようになった。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。