朝のコーヒーが苦く感じる瞬間
朝イチで飲む缶コーヒーが、今日はやけに苦い。事務所に着いてパソコンを立ち上げる前、スマホをなんとなく眺めたのが失敗だった。SNSに流れてきたのは、中学の同級生が地元で起業して成功したというニュース記事。映る顔はあの頃のままだけど、背後にあるものが違いすぎて、何だか直視できなかった。別に自分も不幸なわけじゃない。でも、「置いていかれた感」がこっそり心の隙間から染み出してくる。そんな朝は、缶コーヒーすら慰めにならない。
スマホを開けば目に飛び込む誰かの成功
SNSって、本当に便利なんだけど、見たくない現実まで勝手に運んでくる。今日も例外じゃなかった。「司法書士として独立して10年目!」なんて投稿がタイムラインに流れてきた。投稿者は司法書士試験の受験仲間。今ではセミナー講師までこなしていて、フォロワー数も自分の数十倍。それを見て「おめでとう」と思う前に、まず胃がキリキリ痛む。自分の10年は、果たして誰かに見せたい10年だったのか。自問自答ばかりが募る。
自分より若く見えた元同級生が社長だった
週末、たまたま行った居酒屋で高校時代の同級生にばったり会った。驚いたのは、彼が今では地元で社員30人を抱える会社の社長だという話。笑顔で「お前もがんばってるな」と言ってくれたけど、その一言がやたら遠く感じた。彼はスーツもピシッとしていて、髪型も小洒落ていた。こっちはというと、平日の疲れが抜けきらず、ヨレヨレのシャツに顔もむくみ気味。「年取ったなあ」と笑いながら、本当は笑えなかった夜だった。
どこで人生の分岐があったんだろうと考える
考えてみれば、あいつと自分のスタートは同じだった。むしろ、学生時代は自分の方が成績は上だったし、野球部でもレギュラーだった。でも社会に出てからの分岐点って、目には見えない小さな選択の積み重ねなのかもしれない。就職するか、資格を取るか、地元に残るか、都会に出るか。気づいたときには、景色が全く違っていた。比べても仕方ないのはわかってる。でも、わかっていても、やっぱりどこか悔しい気持ちが残るのだ。
自分のペースを保つって意外と難しい
他人と比べない、自分は自分のペースで。それが理想だとわかっていても、実際に実践するのは難しい。特に仕事がうまく回っていない時期や、トラブル続きのときには、なおさら心が揺らぐ。どんなに地道にやっても結果がついてこないと、自信が揺らぐ。そんな時に他人の成功談を見てしまえば、ダメージは倍増だ。ペースを保つどころか、自分の足元さえ見失いそうになる。心のバランスを取るって、本当に技術が要る。
「比べるな」って言われても無理なものは無理
「人は人、自分は自分だよ」とは、よく言われる。でも、それができたら苦労しない。特に同年代、しかも昔一緒に笑っていたような顔ぶれが成功していると、自分の立ち位置を冷静に保つのが本当に難しい。比べたくなくても、無意識に比べてしまうのが人間だ。むしろ、比べることを責めるのではなく、そういう感情が湧いてしまう自分を認めてやることから始めた方が、ちょっとだけ楽になる気がする。
登記申請と締切と胃の重さ
今週だけで、登記の修正依頼が3件、決済の立会いが2件、さらに法人の新規設立が1件と、仕事は立て込んでいる。書類に囲まれながら、ふとため息が出る。司法書士という仕事は、華やかさとは無縁だ。地味な作業の積み重ね。でも誰かにとって必要で、確実な責任が求められる仕事。それがプレッシャーになって胃にくる。昼ご飯を抜くこともしばしば。食べる時間より、ミスの確認を優先してしまう。それでもミスは起こるからつらい。
今日も地味に頑張るしかない
派手な成果も、目を引く実績もないかもしれない。でも、依頼を受けた案件をひとつひとつ丁寧に処理していくこと、それが自分にできる精一杯の誠意だと思っている。今日も不動産の登記の確認を何度も繰り返し、法務局とのやり取りで頭を悩ませながらも、何とか一日を終えた。誰に褒められることもないけれど、明日もこの場所で、小さな積み重ねを続けていく。それしかできないし、それが自分の役割だと思う。
野球部だったあの頃の無敵感
高校時代、野球部で白球を追っていたあの頃は、将来に不安なんてなかった。汗をかいて、声を出して、仲間とぶつかり合って、試合に勝てば最高だったし、負けても泣きながら次を目指していた。その頃の無敵感は、今の自分にはもうない。大人になって、仕事をして、責任を背負って、ふと気づけば「頑張る」ってことの意味すらわからなくなることもある。たまにグラウンドの匂いを思い出しては、あの頃の熱量が恋しくなる。
あのときの友情とユニフォームの汗
引退試合のあと、みんなで飲んだスポーツドリンクの味はいまだに覚えている。誰もが汗だくで、でも晴れやかだった。あの頃の友情は、言葉がなくてもわかり合えた気がする。仕事をするようになってからは、あんな熱い関係はなかなか築けない。誰かと競うよりも、誰かと並んで走れたあの感覚が、今は一番ほしいものなのかもしれない。孤独に感じる司法書士という仕事に、ちょっとした「味方」がいたら、救われるのに。
もう一度あのがむしゃらさを思い出したい
最近、自分の仕事に対する姿勢がどこか「守り」に入っていることに気づいた。リスクを避けて、できることだけやって、あまり深く踏み込まない。もちろんそれが安全だけど、あの頃のように、がむしゃらに前に進む気持ちはどこへ行ったのだろう。失敗を恐れず、全力でぶつかっていた高校時代の自分を思い出すと、今の自分はなんだか慎重すぎて、つまらない。年を取ったと言えばそれまでだけど、少しずつでも、前に出ていきたい。
でも現実は登記と督促の連続
理想や夢だけでは生活はできない。現実は、登記申請の不備チェック、取引先への確認、依頼人への書類督促…。仕事に追われて一日が終わる。時々「何のためにやってるんだろう」と立ち止まりそうになる。でも、その先にある「ありがとう」の一言や、「またお願いしたい」の声に、なんとか心を繋いでいる。そういう小さな報酬だけを頼りに、また明日も同じ作業を繰り返す。華やかさなんてなくても、自分なりに誠実にやっていきたい。
それでも歩き続ける理由が欲しい
正直、毎朝「行きたくないな」と思う日もある。やめようかと思ったことだって、何度もある。それでも、今日まで続けてこれたのは、小さくても自分にしかできないことがあったからだと思いたい。誰にも言えないけれど、心の奥では「誰かに必要とされたい」と強く思っている。モテなくても、独身でも、それでも役に立てる場所がある。それが今の仕事である限り、もう少しだけ頑張ってみようと思える。
モテないとか、独身とか、それでもやれること
40代半ば、独身。しかもモテない。そんな状況を笑い話にできる日もあれば、深夜にしんみりする日もある。でも、だからこそ、やれることもある気がしている。家族に気を使わずに仕事に打ち込めるし、無理な予定変更にもなんとか対応できる。誰かの生活を支える役割ではなく、誰かの一場面に関われる仕事。寂しさはある。でもその分、自由がある。そう思って、今日もまた登記簿とにらめっこしている。
司法書士という仕事にしかできないことがある
この仕事は、地味だけど、確実に誰かの人生の転機に立ち会っている。不動産を購入する、会社を設立する、相続の手続きをする…。どれも人生の一大事だ。そんな場面に自分が関われるのは、決して当たり前じゃない。責任もプレッシャーもあるけど、その分、やりがいもある。この仕事に就いていなければ、味わえなかった瞬間がたくさんある。だから今日も、失敗を恐れながら、それでも手続きを丁寧に進めていく。
今日もまた、誰かの人生に関わっている
目立たないし、感謝されることも少ない。でも、自分の書いた一枚の書類が、誰かの人生を大きく動かす。それを忘れずにいたい。たとえ同年代の誰かが眩しすぎても、自分には自分の役割がある。今日もまた、新しい会社の設立登記を無事に終えた。依頼人の笑顔を見て、ちょっとだけ報われた気がした。そんな小さな積み重ねが、自分の誇りになるように、これからも一歩ずつ進んでいきたいと思う。