静かな日が逆に怖い
「今日は静かで平和だな」――普通の職業なら、そんな日はありがたがられるのかもしれない。でも司法書士として一人事務所をやっていると、その「静かさ」が逆にプレッシャーになる。電話も来客もなく、メールも鳴らない日。最初は「たまにはいいか」と思うけれど、数時間もすれば「おかしい」「何かあったか?」と不安が顔を出す。誰にも迷惑をかけられていないのに、自分の存在価値が揺らぐような感覚。妙に居心地が悪い。忙しさに慣れすぎた体は、静寂すら恐れてしまうようだ。
静寂がもたらす妙な不安
開業当初、電話が鳴らない日々はむしろ普通だった。静かな事務所で「どうしよう…」と手帳をにらみながら一日を潰したこともあった。今では少しは仕事も定着して、事務員さんも雇えるようになったけど、それでもやはり「静かな日」は落ち着かない。心のどこかで「売上=音の数」みたいな式が出来上がってしまっていて、電話がない=無収入に近いという思考になる。事務所がシーンとしているだけで「ヤバいな、今月足りるか?」と脳内会議が始まるのだ。
忙しさに慣れすぎた自分の感覚
昔は「のんびり仕事がしたい」と思っていた。実際に開業当初は暇だったけど、それはそれで地獄だった。売上の不安、将来の不安、全部が静寂とセットでやってくる。忙しくなってきた今でも、体はそのときのトラウマを覚えていて、少しでも静かになると「またあの日々が…」と心配になる。自分で忙しくしておいて、暇になると不安になる。もはや感覚が麻痺している。
電話が鳴らないだけで不安になる理由
電話一本で人生が変わることがある。それは大袈裟ではなく、登記の依頼一つが月の売上を左右するような事務所では、一本の着信がまさに希望そのもの。逆に言えば、何も鳴らない日は「誰にも必要とされていない」ように感じてしまう。AIとかクラウドの時代で、人と人の接点が減っている今だからこそ、電話が鳴るだけで「まだ大丈夫」と思える。それが鳴らないとなると…もう、落ち着かないったらありゃしない。
なぜ静けさを怖がるようになったのか
心の奥底にあるのは「安定しない業界」という不安だ。司法書士は、目に見えない「依頼」という流れに乗って仕事をしている。だからこそ、静かになったときに「この流れ、切れたんじゃ?」と感じてしまう。目に見えないものへの恐怖は、音がないほど大きくなるのかもしれない。
売上と静けさのリンクに怯える日々
ひと月の半分が「静か」だと、もう心が持たない。売上と音の関係は、まるで野球の打席と歓声みたいなもの。元野球部としては、観客のざわめきがあると調子が出た。今、それが「電話の着信音」になっている。売上が立つ日は、事務所がザワザワしていて活気がある。でも静かだと…「あれ、誰もこっち見てない?」と不安になる。
昔の「暇な日」を思い出しては焦る
思い出したくもないけど、開業1年目の7月、1件も登記がなかった。毎日「今日こそ来る」と思って、何も来なかった。あのときの焦りと絶望は今でもはっきり覚えてる。だから静かな日はその記憶を呼び起こしてくる。冷房の音しか聞こえない午後に、あの日のことがフラッシュバックする。あの「怖さ」が、いまだに染み付いている。
積み上げてきた不安という名の勘
人間って慣れる生き物だけど、慣れが恐怖を生むこともある。長く仕事をしていると、パターンがわかるようになる。依頼が止まる前の、あの独特の静けさ。変な胸騒ぎ。勘は当たることもあるから厄介だ。だからこそ「静かな日」に自然と身構えてしまう。
経験が裏目に出る瞬間
「今日は何もないから、ゆっくりすればいいのに」と言われても、全然リラックスできない。それどころか「こんな日は何か起こるぞ」と逆に緊張する。経験値が高くなるほどに、安心できない日が増えるという皮肉。もっと鈍感になれたら、どんなに楽か。
静か=前兆?悪い予感の正体
静かな日に限って、夕方に大きなトラブルの電話が入ったことがある。何かの合図だったかのように、それが何度も続いた。だからもう「静か=前兆」みたいな思考になってしまっている。実際はただの偶然なんだろうけど、一度刷り込まれると、それを疑えなくなる。それがまた怖い。
暇だと罪悪感を抱いてしまう
不思議なことに、暇であることが悪いことのように感じてしまう。働いていないと、不誠実な気がしてくる。「こんなことで報酬をもらっていいのか」とまで考えてしまう。でもそれっておかしいよな、と頭ではわかっている。でも止められない。
「何か忘れてる気がする」症候群
静かな日って、「何かやり忘れてるのかも」と勝手に不安になってくる。特に登記の期限や期日を抱えていると、その感覚は強い。「あれ、提出したっけ?」と何度も確認してしまうし、送信済みのメールも再確認してしまう。暇なのに、頭の中はぜんぜん暇じゃない。
働かないと不安になる呪い
子どもの頃、父親が「休むな、働け」とよく言っていた。昭和の価値観かもしれないが、その言葉は思った以上に染み付いている気がする。だから何もしていないと「悪いことしてる」ような気になる。完全に呪い。でも、なかなか解けない。