最近元気ないって言われるのが一番しんどい

最近元気ないって言われるのが一番しんどい

なんとなく疲れてる顔をしていたらしい

自分では意識していなかったけれど、最近「元気ないね」と声をかけられることが増えた。特別な不調があるわけでもないし、仕事も休まず淡々とこなしている。でも、ある日ふとコンビニで「大丈夫ですか?」とレジの店員に言われたとき、自分の顔に何かが出ていたんだなと気づいた。別に落ち込んでいたわけじゃない。むしろ「やることが多すぎて無心だっただけ」なのに、他人からそう見えてしまう自分にがっくりした。疲れが顔に出る年齢になったのか、それとも心の疲れがにじみ出ていたのか。どちらにせよ、気づいてないフリをしてたものが、他人の言葉で現実になるのはつらい。

鏡で見る自分と他人が見る自分の違い

鏡を見るときって、自分の顔を「見よう」として見てるんですよね。だから、どこか客観性に欠ける。疲れて見えても「まあこんなもんだ」と済ませてしまう。ところが他人から見る自分っていうのは、そういう自意識のフィルターがかかっていない。その分、リアルで残酷だ。「目の下、クマすごいね」とか「顔色悪くない?」とか、思ったことをそのまま言われると、反論できない。ある日、地元の知り合いに久々に会ったら開口一番「元気なさそうだな、大丈夫か?」と真顔で言われた。そのときの居たたまれなさったら…。自分で気づいてなかったわけじゃないけど、やっぱり他人に言われると堪える。

自分ではいつも通りのつもりなのに

朝起きて、顔を洗って、背広を着て、事務所へ向かう。そんな毎日のルーティンが崩れたわけじゃない。時間通りに仕事をこなし、ミスもしない。だから「自分は大丈夫」と思い込んでいた。でも、仕事が“回っている”だけで、“心がついてきていない”状態ってあるんですよね。感情を動かす余裕がないというか、「こなしてる」だけの日々。昔はもっと冗談を言ってたし、近所の人とも世間話くらいはしていた。でも今は挨拶すら省略しがち。そういう小さな変化を自分は見過ごしていても、周りには見えるみたいで、それが「元気ないね」って言葉になって返ってくるのかもしれない。

他人から「元気ないね」と言われる違和感

「元気ないね」という言葉は一見優しさの表れだけど、受け取る側にとっては違和感になることがある。たとえば、こちらが淡々と過ごしているだけのときに、それをネガティブに見られると「自分ってそんなにやばそうに見えるのか…」と余計に落ち込んでしまう。無意識に自分を責め始めるし、「ちゃんと元気そうに見せなきゃ」と無理をすることもある。そんなことを続けているうちに、さらに本当に元気がなくなってくるという悪循環。そもそも「元気がある」とはどういう状態なのか、そんな基準も曖昧なまま、ただ期待に応えようとするのはしんどい。

優しさがプレッシャーになる瞬間

「最近どう?」と聞かれるのはありがたい。でも、正直に「しんどいです」とは言いにくい空気がある。相手が心配してくれているのはわかるし、無下にしたくもない。だからつい「まあまあですね」とか「大丈夫ですよ」と返してしまう。でも、それが本音じゃないとわかっていても、本音は言えない。特に仕事関係の人に対してはなおさらだ。自分がしっかりしていなきゃいけない、頼られる存在でいなきゃいけないというプレッシャーがある。だからこそ、優しい言葉が逆に「弱みを見せられない空気」を強めてしまうこともある。

気にしてくれてるのはわかるけど

「元気ないね、大丈夫?」と聞かれたとき、こっちは「気づかれたくなかった」と思ってしまう。でも、言ってくれた人は決して悪気はないし、むしろ気にかけてくれている。でもその優しさが、心の奥をえぐってくる。本当は誰かに聞いてほしい気持ちもあるのに、それを表に出す勇気が持てない。気づかれたくないけど、放っておかれるのも寂しいという矛盾。こんな自分がめんどくさいと思うけど、これが人間なんだとも思う。

「大丈夫?」に答えたくない理由

「大丈夫?」と聞かれると、なんだかテストされてる気分になる。大丈夫って言えば「じゃあよかった」と話が終わるし、大丈夫じゃないと言えば深掘りされて、余計に気を遣わせてしまう。だからつい、どっちも言いたくなくなる。昔、元野球部のときは「根性出せ」「気合いだ」で済んでた話が、大人になるとそう簡単にはいかない。感情を処理するのに言葉が必要になる。でも、言葉にするほど自分の気持ちが整理できていないとき、「大丈夫?」という一言は、ただただ重い。

事務所をひとりで回す日々のしんどさ

田舎の司法書士事務所なんて、派手さもなければ、サポート体制が充実しているわけでもない。事務員さんを一人雇ってはいるけど、それでも仕事の重みは全部自分にのしかかってくる。登記ミスひとつで信用を失いかねないこの仕事、気が抜けない日々が続く。誰にも弱音を吐けず、「仕事があるだけありがたい」と自分をなだめながら、なんとか一日を乗り切る。そうしているうちに、気づけば顔に疲れが滲んでいたんだろう。

事務員さんがいてくれて助かってるけど

事務員さんは本当にありがたい存在。雑務や書類の準備、顧客対応の下準備など、手際よくやってくれる。だけど、自分の内面までは見えないし、ケアしてもらうわけにもいかない。頼りたいけど、頼りすぎたら申し訳ないという気持ちが働く。だからつい、自分ひとりで抱え込んでしまう。まるでマウンドに立ってるピッチャーみたいに、孤独な緊張感の中で、「自分が崩れたら終わり」というプレッシャーを抱えている。

頼りたくても頼れない自分がいる

性格的に、何でも自分でやらないと気が済まないところがある。人に迷惑をかけたくないし、ミスが出たときに責任の所在が曖昧になるのも嫌だ。だから結局、自分で抱え込む。頼るということは、信頼しているからこそできる行為のはずなのに、自分はなぜかそれが苦手だ。かといって、完璧にこなせるわけでもない。そんな自分へのいら立ちも、表情に出ていたのかもしれない。

人手不足というより、気力不足

たしかに忙しい。けれど、それ以上に「気持ちが乗らない」という感覚が重たい。朝、布団から出るのも億劫になり、書類に向かう集中力も続かない。別に体調が悪いわけでもないのに、何かが重い。これは単なる疲れじゃなく、気力の問題なんだろうと思う。何をしていても「心ここにあらず」で、仕事が終わった後も「何もしていない気がする」という虚無感だけが残る。

やらなきゃいけないことは山積み

やるべき仕事は山のようにある。期限もあるし、書類も積み上がっていく。だから「とにかく進めなきゃ」と思って机に向かう。でも、心が伴っていないと、どれだけ作業しても「仕事をした」という感覚が残らない。機械のように動くだけで、達成感も充実感もない。だから余計に疲れる。そしてその顔を見た周囲が「最近元気ないね」と言ってくる。まさに悪循環。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。