ひとりごとのような独り言が増えた

ひとりごとのような独り言が増えた

ひとりごとのような独り言が増えた理由とは

最近、自分の中で妙なことに気づいた。「あれ?今、声に出してた?」と。誰もいない事務所で、登記簿とにらめっこしながら「これミスってたら補正だな…いや、いけるか?」などと、無意識に口が動いている。若い頃にはなかった癖だ。独り言って、なんとなく年配の人のイメージがあったが、気づけば自分がその域に片足を突っ込んでいたらしい。忙しさの中で誰にも相談できず、溜まった思考が、言葉として漏れ出しているのかもしれない。

気づけば誰もいない部屋で話している

ある日、登記官からの補正連絡に一人でうなだれていたとき、「またか…」と声が出ていた。ふと我に返って、周囲を見渡す。もちろん誰もいない。気まずさはないけど、どこか自分の脳内が音声付きで漏れているような気恥ずかしさがある。昔なら、野球部の仲間とふざけて「お前独り言多すぎ!」と突っ込まれたのに、今は突っ込んでくれる人もいない。寂しさというより、思考の整理をアウトプットで行う癖がついてきたのかもしれない。

相手がいない会話の癖

誰かと話すことで整理していた思考を、今は自分の中で処理するしかない。事務員には仕事の細かい愚痴をこぼすのも気が引けるし、かといって友達に登記の話をしても興味はない。そうなると、自ずと「ひとり会議」が始まる。「この申請は…いや、ちょっと危ないか?」「いやいや、待てよ?」と、口から出る声は、誰かとのやりとりというより、自分の判断を裏付ける確認作業のようなものになっている。

言葉にしないと頭の中が整理できない

独り言を言うことで、頭の中が意外と整理される。これは予想外だった。考えているだけだと不安になることも、声に出してみると一つの選択肢として受け入れられるようになる。外では気をつけないと「変な人」に思われる危険性もあるが、事務所という閉じた空間だからこそ許される「思考の音声化」が、今の僕のバランスの取り方になっている。

誰にも話せない悩みを言葉に出す癖

司法書士という仕事は、想像以上に孤独だ。誰かとチームで動く職種でもないし、間違えれば自分の責任。失敗の相談相手がいないというのは、なかなか精神的にくる。そんなとき、誰に向けるでもない独り言が、意外と救いになっている。吐き出すことで軽くなる言葉もあるのだ。

事務員には言えない経営の本音

例えば、月末の資金繰りの話。事務員に「今月ちょっと苦しいな…」なんて口が裂けても言えない。でも、その不安を抱えたままだと、気持ちが滞ってしまう。だから気づけば、「どうする?あの案件もう少し早く回らないか?」なんて、ブツブツ呟いてしまう。もはや自分自身が経営会議の議長であり、唯一の参加者なのだ。

仕事の愚痴も自分で処理

「なんで今さら補正なんだよ…」とか、「またあの銀行か…」など、愚痴のほとんども独り言になる。SNSで愚痴ることもできるけど、それもまたリスクがある。だから、壁に向かって一人でつぶやくことで、誰にも迷惑をかけず、感情を消化できる。やってる本人は真剣でも、他人から見たらコントみたいだと思う。

独身ゆえの“空白時間”の使い方

帰宅しても誰かがいるわけじゃない。夕食も一人、テレビも一人、ふとした時に「今日も疲れたなぁ」と声に出してしまう。独身であることが悪いとは思わないが、共有の相手がいない分、言葉が行き場をなくして、自分の中でループする。これもまた、独り言の背景にある静かな要因かもしれない。

独り言が増えたのは老化か進化か

40代半ばに差し掛かると、いろんなところに「変化」を感じるようになる。体力だけでなく、思考のパターンにも変化が出てきたような気がする。独り言も、かつては「年寄りの特徴」と思っていたが、今では「自分流の思考整理法」として自然と使っている。果たしてこれは老化か、それとも一種の進化か。

40代を過ぎてからの脳の働き方

以前に比べて、集中力が細切れになってきた。そのぶん、「今、何をしようとしてたんだっけ?」という瞬間が増える。そんなとき、声に出して行動を確認することでミスを防げるという、半ば実用的な意味も含んだ独り言になってきた。「登記識別情報…どこ置いたっけ?あ、これか」みたいな。便利だけど、傍から見たら完全に“おじさん”だ。

アウトプット重視の思考回路

年を重ねると、情報をインプットするよりも、アウトプットして確認する癖がつく。「覚えた気になる」だけでは済まされないのがこの仕事。書類一つで依頼人の信頼が左右される以上、言葉にして自分の行動を自覚するプロセスが必要になってくる。独り言もその一環だと思えば、少し誇らしくすら思えてくる。

孤独を埋める言葉の習慣

結局のところ、誰かと話すことで心の隙間を埋める人が多いように、僕の場合は“言葉を発する”こと自体が心の栄養になっているのかもしれない。誰かの反応はないけれど、それでも言葉にすることで、少しずつ不安が整理されていく。寂しさを否定するのではなく、受け入れながら前を向くための“ひとりごと”なのだ。

ひとりごとの効能と副作用

独り言が習慣になると、意外にも仕事のミスが減った。声に出すことで確認が取れるし、心の中のもやもやも言葉にすることで軽減される。とはいえ、それが常時外に漏れていると、周囲の目も気になるし、思わぬ誤解を招くリスクもある。独り言にも、効能と副作用があるようだ。

メンタル整理と誤解のリスク

一人で「これ、登記通るよな?いや…あの銀行だしな」とか言ってると、たまに来客が入ってきてギョッとされることがある。「誰かいるのかと思いました」と言われたこともある。メンタルの整理には役立っているけど、無意識にやっているぶん、他人には「変な人」と思われるリスクがあるのは否めない。

電話と間違えられる悲劇

スマホのイヤホン会話が当たり前になった現代では、独り言なのか通話なのか見分けがつきにくい。が、僕は古い人間なので、Bluetoothなんて使わない。だから完全に一人でブツブツ言っている姿は、「誰と話してるんだろう?」と不安がられる対象になっているのだろう。事務員にも一度「先生、電話ですか?」と聞かれて赤面した。

聞かれてはいけないひとりごと

「あの担当者、ちょっと苦手なんだよな…」と無意識に声に出してしまい、そこに本人から電話がかかってきたときは、本気で背筋が凍った。独り言は内なる声のはずが、外に出てしまった瞬間から“発言”になってしまう。癖になるのはいいが、油断は禁物。誰も聞いていないようで、意外と耳はある。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。