心の奥底に押し込めた誰にも言えない弱さ
司法書士という肩書きは、信頼される仕事だ。だからこそ、いつも毅然としていなければと自分に言い聞かせている。だが夜、一人事務所に灯をともして書類を眺めていると、ふと、「誰かに甘えたい」と思ってしまうことがある。情けない話だ。でも、正直に言えば、自分だって人間だ。誰かに弱音を吐きたくなる時もあるし、「それでいいんだよ」と肩を叩いてほしい夜もある。
一人事務所の気楽さと孤独の狭間
個人事務所は気楽で自由が利く。好きなようにスケジュールを組み、誰に気兼ねなく働けるのは大きな利点だ。でもその反面、何か問題が起きたとき、相談できる相手がいない。「自分でどうにかするしかない」という重さは、日に日に蓄積していく。ちょっとした登記のミスや依頼者との行き違いも、誰かと話せれば楽になるのに、という思いは心の片隅にある。
誰にも頼れない仕事の重圧
登記の締切、依頼人の不満、役所とのやりとり——どれも一つ一つは大したことない。でも全部一人で背負っていると、気づけば肩がパンパンになっている。誰かに「大変だったね」と言ってもらえたら、それだけで気が緩むのに、と願うことがある。だがその願いは声に出さず、心の中にしまったまま、明日の準備をしている自分がいる。
成功の裏にある「一人で抱える」習慣
周囲には「順調そうだね」と言われる。でもその裏側には、深夜まで事務所で黙々と作業していた日々がある。誰にも頼らず、自分の力で乗り越える癖がついてしまっている。それが自信になったこともあるが、ふと「これ、ずっと続けられるのか」と不安がよぎるときもある。誰かにそっと寄りかかって、「ちょっと疲れた」と言える場所がほしいのだ。
愚痴をこぼす相手すら見つからない日常
「愚痴なんて聞きたくないでしょ」と自分で壁を作ってきたせいか、今では誰にも気軽に話せる相手がいない。唯一の事務員さんにすら、弱音を吐くのは気が引ける。愚痴をこぼすのが苦手な自分は、つい酒に逃げてしまうこともある。コンビニで買った缶チューハイを片手に、誰かに聞いてほしいだけの話を、ただ黙って飲み干す。
「今日もなんとか終わった」だけの報告
たまに連絡する昔の同期にも、「今日も何とかやってるよ」としか言えない。深く話すほどの仲ではないし、相手にもそれぞれの生活がある。だからこそ、つまらない日常の中のささやかな愚痴ですら、「甘えてる」と思われるのが怖くて飲み込む。それでも本当は、「聞いてよ、今日こんなことがあってさ」と言いたい夜がある。
誰かに「頑張ったね」と言われたい
実は、ただその一言が欲しいだけなのかもしれない。書類を山のように処理し、役所を何度も往復し、気づけば夕飯を食べ損ねた夜。そんな日々の積み重ねの中で、誰かに「頑張ったね」と言われることは、自分にとって大きな救いになる。でもその一言は、空っぽの事務所では聞こえてこない。だから今日も自分で自分を励まして、なんとか乗り越えている。
「強くあらねば」が自分を追い詰める
元野球部だった自分は、「泣くな、耐えろ」「我慢が一番」と教え込まれてきた。だからこそ、大人になってもその価値観が染みついている。「司法書士なんだから強くなきゃ」と思うたびに、弱さを見せることができなくなっていく。気づけば、自分自身に無理を強いている状態になっていることもある。
元野球部の精神論が邪魔をする
真夏のグラウンドで倒れても、「水飲むな、気合で行け」と怒鳴られた記憶が、いまだに忘れられない。そういう時代だったのだ。だから今でも、「こんなことで弱音を吐いたら、負けだ」と思い込んでしまう。けれど、それが自分を追い詰めているのだと気づくのに、何年もかかった。いま思えば、もっと早く心を楽にする術を知っていればよかった。
「我慢が美徳」と信じてきた昔の自分
あの頃の自分は、耐えることで成長すると信じていた。確かにそれは間違いではなかった。でも、司法書士という仕事は、我慢だけでは回らない。相手との信頼、細やかな気配り、自分の体調管理、すべてを一人でコントロールするには限界がある。もう少し誰かを頼ることができていたら、自分の心も体も、もう少し楽だったはずだ。
頼ることは敗北ではないと気づくまで
頼ることは負けじゃない。むしろ、自分を守るための大事な手段だとようやく思えるようになった。でも、それを実践するのはなかなか難しい。相手に迷惑をかけたくないという気持ちが先に立って、つい遠慮してしまう。でももし、誰かが自分に頼ってきたら、喜んで手を貸すだろう。だったら自分も、少し甘えてみたっていいのかもしれない。
誰かに甘えることへの罪悪感
この年になって甘えるなんて、と思っていた。でも心のどこかでは、誰かにそばにいてほしいと思っている。何も言わずに、ただ隣に座ってくれるだけでいい。けれど、その思いを口に出すことすら恥ずかしいと感じてしまうのは、自分の中にまだ「甘え=悪」という意識が根強く残っているからかもしれない。
弱音を見せるのが怖いという本音
人に弱音を見せるのは、怖い。「そんなふうに思ってたんだ」と引かれたらどうしようとか、「情けない」と思われたくない気持ちが強すぎる。でも、どこかで限界を迎える前に、自分の弱さを認めることも必要だ。それができなかったあの時の自分を、今では少し可哀想に思う。
「頼られたい」けど「頼れない」ジレンマ
頼られるのは嬉しい。でも、自分が頼る側になると、急に躊躇してしまう。「あの人も大変そうだから」「自分のことで手を煩わせたくない」と思い込む。そんな風に、自分にばかり責任を負わせてしまう癖がある。だけど本当は、誰かに「大丈夫、任せて」と言ってもらいたい夜もあるのだ。