信用していたはずの人に心がざわついた日
ある日、何気なく開いたスマホの画面が、僕の中の平穏を崩した。「たぶん大丈夫だろう」と思っていた人からの連絡が、なぜかよそよそしい。文面は丁寧だけど、どこか距離がある気がしてならなかった。僕は地方で司法書士事務所を営んでいて、毎日書類や登記と向き合う日々。忙しくて人と会う時間もろくに取れない中で、ようやくできた関係だった。それだけに、ちょっとした違和感でも心が騒ぐ。信頼していたはずの相手に対して、ふと「もしかして」という感情が湧いてきた瞬間、自分でも驚くほど動揺していた。
まさか自分が疑う側になるとは思わなかった
司法書士として仕事をしていると、人に「信頼される側」にいることが当たり前になってくる。依頼人の財産、権利、そして人生の一部に関わる仕事だからこそ、こちらも誠実であらねばと常に気を張っている。だからだろうか、人を疑うという感情に対して、自分は少し免疫がなかったのかもしれない。今回の出来事で、その未熟さを突きつけられた気がした。頭では「疑ってはいけない」と思いながらも、心はざわつく。こんな感情を抱く自分を、情けなく感じる夜だった。
司法書士という職業と信頼のギャップ
「司法書士って、ちゃんとしてそうですよね」なんて言われるたびに、いつも気恥ずかしい思いをする。ちゃんとしているように見えるだけで、実際の僕は不安定だし、孤独だ。人を信じることの怖さを知っているからこそ、誰かに裏切られそうになると、過剰に反応してしまう。ましてや、そんな相手が心のよりどころだった場合、そのギャップに押しつぶされそうになる。肩書きなんて、結局のところ心の弱さを隠す仮面でしかないのかもしれない。
仕事の信頼とプライベートの信頼は別物
仕事では「信頼される人間」としてやってこれた自負がある。けれど、プライベートとなると事情は違う。恋愛なんて、駆け引きもあれば感情の揺れもある。理屈だけではどうにもならないことばかりだ。自分が信じたいと思っている相手を、疑うことほど苦しいことはない。けれど、仕事で得た信頼と、個人としての信頼はまったく別物であると、この一件で痛感した。肩書きで得た信用では、人の心はつなぎとめられないのだ。
一通のメッセージが心をかき乱した
その日届いたLINEのメッセージには、確かに違和感があった。内容そのものは普通だったけれど、文末の句読点、スタンプの種類、既読のタイミング……普段は気にしないような些細なことが、やけに胸に引っかかった。たったそれだけのことかもしれない。でも、それがきっかけで、どこか自分が置いてきぼりにされているような気がしたのだ。どれだけ仕事が順調でも、誰か一人に拒絶されるだけで、こんなにも心がざわつくとは思わなかった。
事務所の帰り道に感じた違和感
普段と同じように残業を終え、事務所の鍵を閉めて帰る途中、何気なくその人のSNSを開いてしまった。そこに写っていたのは、見知らぬ誰かと笑っている姿。いや、ただの友達かもしれない。深読みしすぎかもしれない。それでも、心のどこかで「もう僕の居場所はないのでは」と感じてしまった。仕事の帰り道が、急に冷たく感じたのは、その写真のせいか、自分の被害妄想のせいか、もうわからなかった。
疑いと自己嫌悪が同時に襲う夜
疑ってしまった自分を責める気持ちと、もしかしたら本当にそうかもしれないという不安とが、入り混じって眠れない夜があった。司法書士という職業柄、理詰めで物事を処理する癖があるけれど、恋愛だけはどうにもならない。感情の泥沼にはまっている自分が、恥ずかしくてたまらなかった。なぜこんなにも動揺してしまうのか。結局、心の奥底で「自分には誰かに必要とされたい」という欲が、まだ残っていたのかもしれない。
なぜか肩書が邪魔をするときがある
司法書士という肩書があると、どうしても「しっかり者」「頼れる人」という印象を持たれがちだ。でも実際のところ、僕はそれを演じているだけだ。元々そんなに強い人間じゃない。仕事では頼られても、家に帰れば独り、話し相手もいない。そういう日々の中で、ちょっとした人とのつながりが支えになっていた。でもその支えに疑いを感じてしまった瞬間、肩書がむしろ自分を縛るものになってしまった。
司法書士だからこそ誤解されやすい
仕事では誠実に、丁寧に、というのが僕のモットーだ。でもそれが、プライベートにまで投影されて、「この人なら絶対浮気なんてしない」とか「この人には隙がない」と思われるのは正直しんどい。こちらだって人間だし、弱さもある。だけどそういう部分は肩書のせいで見せにくい。浮気されそうになったときに、逆に「お前が浮気しそうに見えないから油断した」と言われたこともある。なんだそれ、って本気で思った。
真面目そうに見えることの不自由さ
僕自身は、特別真面目なつもりもない。ただ、仕事上そう振る舞っているだけだ。でも、見た目や職業の印象だけで「きっちりしてそう」「浮気しなさそう」なんて決めつけられると、それに応えなければいけないような気持ちになってしまう。しかも、実際には恋愛経験も少ないし、女性からもモテたことはほとんどない。そういう自分を隠したまま付き合うことに、どこかで限界が来ていたのかもしれない。
プライベートの弱さを隠してきたツケ
司法書士として10年以上働いてきて、ある程度は仕事のやり方も身についた。でも、それと比例するように、プライベートでは人との関わりを避けてきた部分もある。仕事に逃げることで、自分の弱さを隠してきたのかもしれない。だけど、人間関係においては逃げてばかりでは信頼されない。今回のことで、それを突きつけられた気がした。浮気されたかどうかではなく、自分が人と向き合う覚悟を持てていたのか、という問題だ。
浮気されそうになると何もかも疑いたくなる
ひとつ疑いが芽生えると、今まで信じていたことまで全部崩れていくような錯覚に陥る。「あのときのあれも、もしかして」「あの言葉には裏があったのかも」と、どんどん妄想が膨らんでいく。こうなると、もはや浮気されたかどうかは関係なく、こっちの心が壊れていく。仕事中にもふとそのことを思い出して集中できない。人を信じるということが、こんなにも危ういものだったのかと痛感する。
あのLINEの絵文字一つが気になる
今思えば、本当にくだらない。LINEにハートマークがあったとか、普段は使わないようなスタンプが送られてきたとか、そんな些細なことで心が乱されていた。でもそれが気になって仕方ないのだ。依頼人の書類の記載ミスよりも、そっちの方がずっと気になってしまう。理屈では「そんなこと大したことじゃない」と分かっている。でも感情は止まらない。こういうとき、司法書士の冷静さなんて、まったく役に立たない。
元野球部の勘が働くときはだいたい当たる
高校時代、野球部で捕手をしていたからか、人のちょっとした変化には敏感だ。サインの出し方ひとつ、声のトーンひとつで「今日はおかしいな」と感じることがよくあった。その勘は、社会に出てからも意外と使える。今回も、相手のちょっとした返信の遅れや言葉選びに違和感を覚えてしまった。勘が当たっていても嬉しくない。でも、たぶん外れていない。その予感が余計に自分を苦しめた。
独身司法書士の虚しさと強がり
この年になって思うのは、人ってどれだけ肩書や実績があっても、最後は誰かと心が通じ合っていないとやっていけないということ。結婚している同級生たちを見て、うらやましいと思う反面、自分は自分と強がってきた。でも、本当は寂しいのだ。事務所に戻っても誰もいない。テレビをつけても音が空虚に響くだけ。そんな中で浮気されそうになると、自分の存在価値すら疑いたくなる。司法書士である前に、僕もただの人間だ。