熱があっても出社してしまう僕たちへ

熱があっても出社してしまう僕たちへ

体調より仕事を優先してしまう日々の現実

風邪っぽいなと思いながらも、いつものようにスーツに袖を通す。喉が痛くても、頭がぼーっとしていても、「とりあえず今日の予定だけはこなさなきゃ」と、自分に言い聞かせて車に乗り込む。こういう日、実は結構ある。体調よりも「お客さんが待ってる」「締め切りがある」「事務員一人じゃまわらない」という不安のほうが勝ってしまう。司法書士という仕事は、表には出ないけれど、こうした“自己犠牲”の連続だ。特に地方の小さな事務所では、替えがきかない現実がある。誰かに頼るより、自分が出た方が早い。そう思ってしまうのだ。

「ちょっとぐらい平気」で動き出す朝

朝起きて熱がある。でも「37.5℃なら出られるか」と、体温計を見て言い訳を探す自分がいる。少し喉がイガイガしても、マスクをして、薬を飲んで出勤する。事務所の鍵を開け、メールチェックをして、今日の予定を確認する頃には、もう“スイッチ”が入ってしまっている。体調なんて後回し。いつも通りに動こうと無理をする。結局、どこかでガタがくるのに、それを忘れて毎度同じことを繰り返す。出勤=正義、休む=甘え、そんな考え方が、自分の中に染みついている気がする。

薬を飲んでごまかすルーティン

常備薬をカバンに何種類も入れている司法書士、意外と多いと思う。頭痛薬、総合感冒薬、胃薬。僕のデスクにも、いつのまにか“薬箱”ができた。何かあれば薬でとりあえず抑える。熱があっても、「この薬なら午後には楽になるはず」と勝手な期待を込めて飲んでしまう。そして、案の定効かずにフラフラになる。だけど、休むよりマシだと思ってる。これは完全に思考のクセだ。自分の体より仕事を優先することが、いつの間にか“正解”になってしまっている。

熱があっても電話とメールは止まらない

横になりたいと思っても、事務所の電話は鳴り続けるし、スマホにはLINEやメールが届く。「体調悪いので今日は休みます」と言っても、現実には“休んだ気がしない”。むしろ中途半端に対応してしまって、余計に疲れる。一度「動けるかも」と思ってしまうと、完全にシャットアウトするのが難しいのだ。結局、寝込んでいるはずの時間も気が抜けない。司法書士って、物理的な体力以上に、精神的な“気の張り”でなんとかやっている部分が多い。

倒れるまで頑張ることが「美徳」だった時代

僕が若かった頃、というより学生時代の野球部の頃から「倒れるまで走れ」「休むのは甘えだ」と言われてきた。理不尽だなと思いつつも、それが当たり前だった。そして今、司法書士になっても、その精神論がどこかに残っている。無理してでも頑張るのがかっこいい。体調が悪くてもやり切るのが“責任感”だと、自分に言い聞かせている部分がある。でも、それが本当に正しいのかと、最近はよく考えるようになった。

元野球部の根性論がまだ残っている

根性論で乗り切る癖は、正直抜けない。昔は「気合で治せ」とか「汗かけば風邪も治る」なんてことを本気で信じていた。司法書士になってからも、そういう精神が残っていて、どんな状況でもやりきらなきゃいけない気がしてしまう。だけど、根性では治らないものがある。体調も、メンタルも。無理を続けた結果、ある日突然、体も心も動かなくなる。そこまで行かないと止まれないなんて、本当はとても不器用だと思う。

休む勇気より、出る覚悟を選んでしまう

「今日は休もうかな」と布団の中で一瞬思う。でも、そのあとすぐに、「でも今日の案件…」「あの書類…」と仕事のことが頭をよぎる。そして、結局起き上がってしまう。これはもう、癖というより“思い込みの壁”だ。自分が休むとすべてが止まる。事務員に任せるには荷が重い。そう考えてしまって、休む勇気が出ないのだ。責任感なのか、意地なのか、自分でもよくわからない。ただ、こうしてまた体を削る一日が始まる。

無理を続けることで失っていくもの

無理して出勤した日、成果が上がるかといえばそうでもない。むしろ、集中力が落ちてミスが増える。体が本調子でないと、思考も鈍くなるし、お客さんとのやりとりも雑になる。気づけば声も枯れて、印象も悪くなっている。それでも、その日をこなしたという自己満足だけが残る。ふと振り返ると、「あれ、これ意味あった?」と思う。無理をするほど、自分も、仕事も、周りも、どこかすり減っていく。

慢性的な疲労が心と体をむしばむ

無理を続けていると、気づけば慢性的な疲労が蓄積していく。朝起きるのがしんどくて、目覚ましを何度も止める日々。週末になっても疲れが取れない。どこかに出かける気力もない。この状態が“普通”になってしまうと、もはや何が健康で、何が不調なのか、感覚が鈍ってくる。そして、自分が不機嫌になっていることにも気づかず、家族や周囲にイライラをぶつけてしまう。ひとり暮らしだからまだマシだけど、もし家庭があったら…と想像するとゾッとする。

集中力が切れてミスが増える

体が疲れていると、やることなすことが雑になる。登記簿の確認も、日付のチェックも、どこか曖昧になる。なのに、司法書士の仕事はミスが許されない。誤記や漏れが命取りになる職業だ。そんな状態で仕事を続けている自分に、危うさを感じる。実際、僕も一度体調不良のなかで処理した案件で、書類の添付漏れをやらかした。自分で気づいたから良かったけど、もしそのまま提出していたらと思うと、今でも冷や汗が出る。

結果的に誰のためにもなっていない

無理して出た一日が、結局誰のためにもならない日になることがある。自分はヘロヘロ、お客さんには心配され、事務員にも気を使わせてしまう。だったら最初から休んでおけばよかったのに…と後悔する。無理して動いても、成果が上がらないなら、休んでしっかり回復した方がずっとマシだった。頭ではわかっているのに、それができない自分に、また落ち込む。悪循環とはまさにこのことだ。

なぜ自分を後回しにしてしまうのか

自分の体調よりも仕事を優先してしまう理由。それはたぶん、「休んだら迷惑をかける」「自分がやらなきゃ」という強い思い込みにある。誰かに任せることが不安で、自分で抱え込んでしまう。そして「ちゃんとしてる自分」でいたいというプライドもある。本音では、少し甘えたいし、誰かに「今日はもう休みなよ」と言ってほしいのかもしれない。でも、司法書士という看板を背負っていると、なかなかそれが言えない。

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体調より仕事を優先してしまう日々の現実

風邪っぽいなと思いながらも、いつものようにスーツに袖を通す。喉が痛くても、頭がぼーっとしていても、「とりあえず今日の予定だけはこなさなきゃ」と、自分に言い聞かせて車に乗り込む。こういう日、実は結構ある。体調よりも「お客さんが待ってる」「締め切りがある」「事務員一人じゃまわらない」という不安のほうが勝ってしまう。司法書士という仕事は、表には出ないけれど、こうした“自己犠牲”の連続だ。特に地方の小さな事務所では、替えがきかない現実がある。誰かに頼るより、自分が出た方が早い。そう思ってしまうのだ。

「ちょっとぐらい平気」で動き出す朝

朝起きて熱がある。でも「37.5℃なら出られるか」と、体温計を見て言い訳を探す自分がいる。少し喉がイガイガしても、マスクをして、薬を飲んで出勤する。事務所の鍵を開け、メールチェックをして、今日の予定を確認する頃には、もう“スイッチ”が入ってしまっている。体調なんて後回し。いつも通りに動こうと無理をする。結局、どこかでガタがくるのに、それを忘れて毎度同じことを繰り返す。出勤=正義、休む=甘え、そんな考え方が、自分の中に染みついている気がする。

薬を飲んでごまかすルーティン

常備薬をカバンに何種類も入れている司法書士、意外と多いと思う。頭痛薬、総合感冒薬、胃薬。僕のデスクにも、いつのまにか“薬箱”ができた。何かあれば薬でとりあえず抑える。熱があっても、「この薬なら午後には楽になるはず」と勝手な期待を込めて飲んでしまう。そして、案の定効かずにフラフラになる。だけど、休むよりマシだと思ってる。これは完全に思考のクセだ。自分の体より仕事を優先することが、いつの間にか“正解”になってしまっている。

熱があっても電話とメールは止まらない

横になりたいと思っても、事務所の電話は鳴り続けるし、スマホにはLINEやメールが届く。「体調悪いので今日は休みます」と言っても、現実には“休んだ気がしない”。むしろ中途半端に対応してしまって、余計に疲れる。一度「動けるかも」と思ってしまうと、完全にシャットアウトするのが難しいのだ。結局、寝込んでいるはずの時間も気が抜けない。司法書士って、物理的な体力以上に、精神的な“気の張り”でなんとかやっている部分が多い。

倒れるまで頑張ることが「美徳」だった時代

僕が若かった頃、というより学生時代の野球部の頃から「倒れるまで走れ」「休むのは甘えだ」と言われてきた。理不尽だなと思いつつも、それが当たり前だった。そして今、司法書士になっても、その精神論がどこかに残っている。無理してでも頑張るのがかっこいい。体調が悪くてもやり切るのが“責任感”だと、自分に言い聞かせている部分がある。でも、それが本当に正しいのかと、最近はよく考えるようになった。

元野球部の根性論がまだ残っている

根性論で乗り切る癖は、正直抜けない。昔は「気合で治せ」とか「汗かけば風邪も治る」なんてことを本気で信じていた。司法書士になってからも、そういう精神が残っていて、どんな状況でもやりきらなきゃいけない気がしてしまう。だけど、根性では治らないものがある。体調も、メンタルも。無理を続けた結果、ある日突然、体も心も動かなくなる。そこまで行かないと止まれないなんて、本当はとても不器用だと思う。

休む勇気より、出る覚悟を選んでしまう

「今日は休もうかな」と布団の中で一瞬思う。でも、そのあとすぐに、「でも今日の案件…」「あの書類…」と仕事のことが頭をよぎる。そして、結局起き上がってしまう。これはもう、癖というより“思い込みの壁”だ。自分が休むとすべてが止まる。事務員に任せるには荷が重い。そう考えてしまって、休む勇気が出ないのだ。責任感なのか、意地なのか、自分でもよくわからない。ただ、こうしてまた体を削る一日が始まる。

無理を続けることで失っていくもの

無理して出勤した日、成果が上がるかといえばそうでもない。むしろ、集中力が落ちてミスが増える。体が本調子でないと、思考も鈍くなるし、お客さんとのやりとりも雑になる。気づけば声も枯れて、印象も悪くなっている。それでも、その日をこなしたという自己満足だけが残る。ふと振り返ると、「あれ、これ意味あった?」と思う。無理をするほど、自分も、仕事も、周りも、どこかすり減っていく。

慢性的な疲労が心と体をむしばむ

無理を続けていると、気づけば慢性的な疲労が蓄積していく。朝起きるのがしんどくて、目覚ましを何度も止める日々。週末になっても疲れが取れない。どこかに出かける気力もない。この状態が“普通”になってしまうと、もはや何が健康で、何が不調なのか、感覚が鈍ってくる。そして、自分が不機嫌になっていることにも気づかず、家族や周囲にイライラをぶつけてしまう。ひとり暮らしだからまだマシだけど、もし家庭があったら…と想像するとゾッとする。

集中力が切れてミスが増える

体が疲れていると、やることなすことが雑になる。登記簿の確認も、日付のチェックも、どこか曖昧になる。なのに、司法書士の仕事はミスが許されない。誤記や漏れが命取りになる職業だ。そんな状態で仕事を続けている自分に、危うさを感じる。実際、僕も一度体調不良のなかで処理した案件で、書類の添付漏れをやらかした。自分で気づいたから良かったけど、もしそのまま提出していたらと思うと、今でも冷や汗が出る。

結果的に誰のためにもなっていない

無理して出た一日が、結局誰のためにもならない日になることがある。自分はヘロヘロ、お客さんには心配され、事務員にも気を使わせてしまう。だったら最初から休んでおけばよかったのに…と後悔する。無理して動いても、成果が上がらないなら、休んでしっかり回復した方がずっとマシだった。頭ではわかっているのに、それができない自分に、また落ち込む。悪循環とはまさにこのことだ。

なぜ自分を後回しにしてしまうのか

自分の体調よりも仕事を優先してしまう理由。それはたぶん、「休んだら迷惑をかける」「自分がやらなきゃ」という強い思い込みにある。誰かに任せることが不安で、自分で抱え込んでしまう。そして「ちゃんとしてる自分」でいたいというプライドもある。本音では、少し甘えたいし、誰かに「今日はもう休みなよ」と言ってほしいのかもしれない。でも、司法書士という看板を背負っていると、なかなかそれが言えない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。