疲れていても仕事は待ってくれない

疲れていても仕事は待ってくれない

今日も机に向かうけど、心はすでに帰りたがっている

朝、目覚ましが鳴る前に目が覚めた。正確には、眠りが浅すぎてほとんど寝た気がしないまま布団から体を引きずり出した。司法書士という職業は、一見デスクワーク中心で体力は使わなさそうに見えるかもしれない。でも実際には、体よりも先に心が削れていく。今日も事務所に行かなければ。依頼者からの電話やメールが待っている。法務局の期限も迫っている。けれど正直、心はもう事務所に行きたがっていない。ただただ、「今日だけは休ませてくれ」と願っている。

朝起きた瞬間からすでに疲れている

毎晩寝る前に「明日はちょっと余裕があるかも」と希望を持って布団に入るのに、目覚めた瞬間にその希望は跡形もなく消えている。あの感じ、なんだろう。まるで借金返済の督促状が寝起きに投げ込まれてくるような圧力。僕の場合、地方の小さな事務所だから代わりの人間はいないし、事務員も一人だけ。だからこそ、どんなに眠くても、どんなに体調が悪くても「自分がやらなきゃ」という思いが常にある。まるで、自分の体力と引き換えに回っている歯車のような毎日だ。

誰も助けてくれない、という現実

「手伝えることあったら言ってくださいね」と言われたことがある。でも、本当に頼んでいいのかと迷ってしまうのがこの業界の難しさだ。法律が絡む仕事は、責任の所在がはっきりしている分、気軽に「じゃあこれやっておいて」とも言えない。結局のところ、自分で抱え込んでしまう。自分が倒れたら終わり。でも誰かが代わりにやってくれるわけでもない。その矛盾と孤独が、日々じわじわと心を蝕んでいく。

「ちょっとだけ休みたい」が永遠に叶わない

何度も思う。「今日だけは休もう」と。けれど、その“今日”に限って大事な登記申請があったり、急な相談の電話が入ったりする。まるで、休もうとする意思を試すかのように仕事は襲いかかってくる。時間に追われる生活が続けば、体も気持ちも麻痺してくる。けれど、それでも仕事は止まらない。誰も「もういいですよ、今日は休んで」とは言ってくれない。

依頼は止まらず、登記も止まらない

登記は待ってくれない。申請期限、法務局の開庁時間、依頼者の希望スケジュール――すべてがこちらの都合などおかまいなしに進んでいく。昔、一度だけ締切前日に高熱を出して寝込んだことがある。でも布団の中でも頭はぐるぐると回転していて、「あの書類、間に合うか」「補正が来たらどうしよう」と不安が止まらなかった。結局、翌朝フラフラになりながら法務局へ出かけた。そのときの達成感より、ただただ「誰か代わってくれ」という無力感の方が強く記憶に残っている。

休日に来る着信の恐怖

日曜の午後、ようやく久しぶりに録画していたドラマを観ようとした矢先、スマホが鳴る。番号を見て、依頼者とわかる。出たら終わる。何かトラブルだ。出ないという選択肢もある。でも、出なければ不信感を持たれるかもしれない。その一瞬の迷いのうちに、着信は切れた。結局、観ていたドラマの内容はまったく頭に入らず、気持ちだけがざわざわしたまま日曜が終わってしまった。

「出たら最後」だからこそ、出たくない

一度電話に出れば、そこからメール、LINE、書類の確認……と、次々と「休日ではなくなる」スイッチが押されてしまう。だから怖い。何気ないワンコールが、休みを崩壊させる合図になることもある。急ぎで大事な案件もある。でも、なぜ土曜の夕方や日曜の昼に限って電話がかかってくるのか。運命を恨みたくなるときさえある。

無視すればいい? それができたら苦労しない

「無視すればいい」「折り返せばいいだけでしょ?」と言う人がいる。でも、それができない性格だからこの仕事をしているのかもしれない。依頼者との信頼関係は壊れやすく、誤解も生じやすい。だからこそ、無視することへの罪悪感が膨らむ。たった一本の電話が、精神的に何倍も重くのしかかるのだ。休日は心の休みであるはずなのに、逆に緊張とストレスで終わる日も少なくない。

事務員一人でも、ありがたい…でも限界はある

うちの事務所には長く勤めてくれている事務員さんが一人いる。それだけで本当に助かっているし感謝している。でも、任せられる範囲にも限界があるし、負担をかけたくないという気持ちもある。だからつい、仕事を一人で抱えてしまう。そしてまた、自分が疲弊していくという悪循環。小規模事務所の経営者は、孤独との戦いでもある。

全部任せられるわけじゃない

登記の書類一つとっても、最終確認や押印、責任の所在はすべて自分にある。信頼していても、やはり「もし何かあったら」と思うと、最後の最後まで手放せない。結果的に、夜遅くまで自分だけ残って確認作業をしている。きちんとした人に限って、自分でやらないと気が済まない性分なのかもしれない。

「先生、ちょっといいですか?」が刺さる日

忙しいときに限って「先生、ちょっといいですか?」と声をかけられる。その「ちょっと」が、実は30分以上の話になることもある。そして話し終わる頃には、自分の仕事がさらに後ろ倒しになっている。わかってる、相談してくれるのはありがたい。けれど、正直な気持ちを言えば「今日だけはそっとしておいてくれ」と思う日もある。

体調が悪くても、代わりはいないという絶望

熱があっても、胃が痛くても、ぎっくり腰でも、とにかく出勤するしかない。誰かに任せるという選択肢がないということは、つまり「働けなくなったらすべて止まる」という意味でもある。これは、体調不良そのものよりも、精神的に追い込まれる理由になる。

熱があっても、登記は待ってくれない

38度の熱があった日の記憶は、いまだに鮮明だ。汗をかきながらキーボードを打ち、なんとか申請を完了させた。でもその後、ぐったりと椅子に沈んで動けなくなった。誰も褒めてくれないし、休んだ分の補填もない。ただ「間に合った」という事実だけが残る。これが士業か、と苦笑いするしかなかった。

病院に行く時間すら惜しい

「行った方がいいですよ」と言われるけど、病院に行くことで一日潰れることもある。午前中いっぱい待たされ、診察してもらい、薬をもらって、戻ってきたら午後が終わっている。だったらもう少し我慢して仕事してしまおう、と考えてしまう。でもそれを繰り返すうちに、確実に身体はすり減っていく。

寝ていても、頭の中で締切が鳴っている

ようやく布団に入っても、思考が止まらない。「あの書類、あれでよかったか?」「法務局から補正が来るかもしれない」など、心配事が次々に浮かんでくる。眠りにつくまでに何度も寝返りを打ち、結局また眠れぬまま朝を迎えることもある。体が休んでいないことに、心が追いつけなくなっていく感覚――これが一番しんどいのかもしれない。

それでもやめられない理由がある

こんなにしんどいのに、それでもこの仕事を続けている自分がいる。理由は明確じゃない。ただ、依頼者の「助かりました」という一言や、登記が無事に完了したときの安堵感。そういった小さな達成感が、疲れの中にぽつんと灯る。もしかしたら僕は、自分の限界を試し続けているのかもしれない。でも、誰かの役に立てるなら、それはそれで悪くない――そんなふうに、自分を言い聞かせながら今日もまた仕事に向かう。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。