見た目がすべてじゃないと言われても
「見た目で判断しちゃいけない」と言われても、世の中はけっこう見た目で判断されるものです。自分で言うのもなんですが、私は肩幅も広くて声もでかい。元野球部で日焼けしてるせいか、強そうに見えるらしいです。でも中身は豆腐どころか、ゼリーくらいゆるゆるで、ちょっとした一言で一日中気分が沈むこともあります。繊細であることが恥ずかしいように思えて、ずっとそれを隠してきましたが、最近ようやく「それでもいいんじゃないか」と思えるようになりました。
平気な顔で今日も登記をこなしてる
たとえば、相続登記の依頼を受けたとき。依頼人にとっては人生で一度あるかないかのことですから、当然こちらの説明も慎重になります。それでも「ちょっと何言ってるかわからない」と冷たく返されることもあります。そんなとき、見た目が強そうなせいか「この人なら大丈夫」と思われてるのか、クレーム調で来られることもしばしば。でも内心では「ちゃんと伝えられなかった…」と凹みっぱなしで、帰り道はずっと自己嫌悪に包まれます。強く見えても、心までは強くなれません。
「頼りになりそう」と言われる違和感
「先生って頼りになりそうですよね」と言われるたび、ちょっとだけ胸が苦しくなります。そう言ってもらえるのはありがたい。でも、実際は毎晩不安で寝つけなかったり、ちょっとした言葉にぐるぐる悩んでしまう自分がいます。期待されることと、自分の中の現実とのギャップが大きすぎて、時々、自分が偽物みたいに思えてしまうんです。「繊細」って言葉は、自分にとってはちょっとした呪いでもあります。
断れない性格と疲弊のループ
困っている人を見ると断れない性格で、それがまた自分を追い詰めます。「ちょっとだけでいいから」「今日だけお願い」と言われると、つい引き受けてしまう。結果、残業続きで休みも取れず、心身ともにボロボロになります。でも、頼られるのが嬉しくて断れない。強そうに見えることが、実は自分を縛っているのかもしれません。優しさが裏目に出るって、こういうことなんだろうなと、疲れた夜にふと考えることがあります。
繊細な性格と仕事の相性について
司法書士という仕事は、細かい書類や期限、法的な責任が問われる場面が多く、繊細な性格とはある意味相性がいいとも言えます。ただし、それは「うまくいってるとき」に限ります。少しでもイレギュラーが起きたり、クライアントとのやり取りで行き違いがあると、一気にメンタルが乱れる。繊細な性格が、自分を守る盾にもなれば、刃にもなる。それを痛感するのは、夜、ひとりになったときです。
小さなミスに何日も引きずる日々
ミスをしても、切り替えて次に行ける人が羨ましいです。私は、たった一つの誤字や、送信タイミングの遅れ一つで、3日くらい引きずります。しかも「なんであんなことに気づけなかったんだろう」と、夜中にひとりで再現VTRを頭の中で流し続けるんです。自己否定のクセが抜けなくて、それがどんどん心を削っていく。ミスを恐れるあまり、慎重になりすぎて、かえってパフォーマンスが落ちる悪循環。自分を信じるって難しい。
完璧主義と優しさのせめぎ合い
「完璧にやらないといけない」「でも、相手のペースにも合わせたい」。この二つがせめぎ合って、毎日ぐったりしています。優しさって、時には自分を犠牲にすることになりませんか? 相手を傷つけたくないと思えば思うほど、自分の内側が削れていくような感覚。それでも「ちゃんとしなきゃ」と自分を追い立てる。繊細さと責任感のバランスって、本当に難しい。逃げられないけど、もうちょっと楽になりたい。
元野球部の根性論とのギャップ
学生時代、野球部で鍛えた根性論は、今の仕事にはあまり通用しません。「つらくても耐えれば何とかなる」「歯を食いしばれば結果は出る」と思っていたけれど、司法書士の仕事はメンタルが資本です。むしろ無理をすればするほど、判断力が鈍り、凡ミスが増える。あの頃の「気合と根性」は、今や自分を苦しめる思考のクセになっているようにも感じます。耐えることが美徳じゃないと気づいたのは、もう40を過ぎてからでした。
事務員一人の現実と孤独な戦い
小さな事務所なので、私と事務員の二人だけ。業務のほとんどを私が担い、何かあっても基本は自分で対応。正直、プレッシャーはすごいです。誰かに「ちょっと愚痴ってもいい?」と言えれば違うんでしょうけど、そんな相手もいないし、愚痴る時間すら惜しいと感じるときもあります。孤独って、声に出さないとますます深くなる気がします。最近は、事務所の中で時計の音がやけに大きく聞こえる日が増えました。
誰にも相談できないし頼れない
たとえば、法務局でのちょっとしたトラブル。誰かに「これってどうすればいいんだろう」って聞けたらどれだけ楽か。でも、ひとり事務所だとそれができない。ググっても答えが出ないこともあるし、聞いたところで「そんなのも分からないのか」と思われるのが怖い。だから結局、自分の中で悶々と悩み続ける。間違えたら自分の責任。正解かどうかも分からないまま、進むしかない怖さがあります。
声をかけられない優しさが自分を追い詰める
事務員に相談すればいいのに、と思うかもしれません。でも、彼女も忙しそうにしていると、つい遠慮してしまうんです。優しさのつもりが、結局は自分の首を絞めている。「ごめん、ちょっとだけ手伝ってくれない?」の一言が言えない自分が情けない。もっと気軽に話しかけられる空気を作らないとと思いつつ、気を遣いすぎて、いつもタイミングを逃します。結果、誰にも言えず、自分の中で膨らんだ不安だけが残る。
それでも毎朝事務所の鍵を開ける理由
それでも、毎朝事務所のシャッターを開けて、コーヒーを淹れて、パソコンの電源を入れる。小さなルーティンに救われている気がします。「今日もやることはある」と思えるだけで、少しだけ心が軽くなる。見た目ほど強くない自分も、毎日頑張ってる。それだけでも十分なんじゃないかと、最近は思えるようになってきました。誰かの役に立ててるなら、それが小さくても、自分の存在に意味があるのかもしれません。
見た目とのギャップを受け入れるということ
「強そうに見えるね」と言われても、もう否定はしません。中身は繊細で、情けない部分もある。でもそれも自分。無理して強くなろうとするより、そのギャップを受け入れた方が、楽に生きられる気がします。司法書士として、人として、少しずつでも自分を好きになっていけたら。そんなふうに思いながら、今日も静かに、事務所で書類を綴じています。
繊細さは弱さじゃないと気づくまで
繊細であることは、弱さじゃない。そう言えるようになるまでに、私は20年以上かかりました。ずっと自分を責めて、隠して、無理をしてきた。でも、それをやめたときに少しだけ肩の荷が下りた気がします。今、この記事を読んでいるあなたが、もし同じような気持ちでいるなら、「そのままでいい」と伝えたい。繊細だからこそ、人の気持ちに寄り添える。強さは、外見じゃなく、毎日ちゃんと立ち上がることだと思います。
モテないけど優しさは誇り
女性にはモテません。でも、自分の優しさや誠実さを捨てようとは思いません。うまくいかないことばかりだけど、根がまじめで、ちょっと不器用なこの性格も、いつか誰かの役に立てばいい。そう思って、今日も一件ずつ丁寧に仕事をしています。繊細であることに疲れる日もあるけれど、それでも自分を嫌いにならないように。見た目とのギャップを、自分の一部として受け入れられるように、少しずつ歩いています。