断れない性格が首を絞める
「先生、ついでにこれもお願いできますか?」と、今日もまた言われる。司法書士の仕事は法律に関する専門的な業務が中心のはずなのに、気づけばどんどん“お願いごと”が積み重なっていく。性格的に断るのが苦手で、頼まれるとつい「いいですよ」と返してしまう自分がいる。嫌な顔をせずに引き受けてしまうのは、相手に嫌われたくない気持ちと、昔からの「頼られることは良いことだ」という思い込みがあるのかもしれない。でもそのせいで、自分の首を絞めてしまっていることに最近やっと気づいてきた。
つい「いいですよ」と言ってしまう自分
学生時代の野球部の名残か、後輩気質が抜けないのかもしれない。先輩や監督からの指示に「はい!」と応えていた習慣が、社会人になっても根付いている。今では依頼人からの軽いお願いも、事務員からの無茶ぶりも、条件反射のように「大丈夫です」と返してしまう。自分で自分のキャパを狭めているとわかっていながら、つい口が先に動く。お願いされた内容を一つ一つこなすうちに、自分の本来の業務はどんどん後回しになっていく。
頼まれると嫌とは言えない心理
相手の期待を裏切りたくない、がっかりされたくない、そんな気持ちが根底にある。特に地域密着型の司法書士としてやっていると、ご近所づきあいや顔の見える関係が重視される。だからこそ「断る」ことへの抵抗が強くなってしまう。ほんのちょっとのつもりで受けたお願いが、実はなかなか骨の折れる内容だったりする。そういうケースが積み重なると、心身ともに消耗していく。
優しさが仇になる瞬間もある
「先生って本当に頼りになりますね!」という一言が、逆にプレッシャーになっていたりする。褒められたら断りづらくなるし、「前にやってくれたから今回もお願いね」という流れも生まれやすい。そうして“優しい先生”というキャラを演じ続ける羽目になる。だんだんと、自分がどこまで引き受けるべきかの線引きがわからなくなってくる。
事務所に響く「ついでにこれも」
「先生、ついでにコピー取っておいてもらっていいですか?」とか、「あの書類の封筒、今日中に投函してくれません?」なんて軽く言われる。たしかに一つひとつは小さなことだ。でもその“ついでに”が日に何度も続けば、決して軽い負担じゃない。仕事に集中したいタイミングで横から入ってくる「お願いごと」は、意外と精神を削ってくる。
雑用のオンパレードに思考が止まる
電話対応をしながら封筒に宛名を書き、FAXの受信確認をしながら郵便物の仕分けをする。そんな同時進行が続けば、目の前の登記案件に集中できるわけがない。しかも、事務員が忙しいときは自然とその雑用がこっちに回ってくる。事務員の仕事を軽んじているわけじゃない。お互い様の精神もある。でも、やるべき業務と頼まれごとの比重が逆転してくると、なんのためにこの仕事をしているのかと考えてしまう。
司法書士の仕事は机の上だけじゃない
「先生って外回りもするんですか?」と驚かれることがある。します。役所、銀行、法務局、郵便局……その合間にコンビニに寄ってコピー機に並ぶ。そんな姿、誰も想像していないかもしれない。でもそれが現実。小さな事務所では何でも自分でこなすしかない。司法書士という肩書きがあっても、現場ではとにかく“便利な人”として動かざるを得ない場面が多い。
掃除も買い出しも「先生がやっておいて」
事務員が風邪で休んだ日など、掃除機をかけ、トイレ掃除をし、コピー用紙の買い出しまで一手に引き受ける。誰にも頼めないから、結局自分でやるしかない。だからこそ「これもお願い」が重なった日には、もう心の中で何度も「もう無理」とつぶやいている。こんな日々を過ごしている司法書士、きっと自分だけじゃないはずだ。
「これもお願い」攻撃が止まらない
一つ終われば次のお願い。次のお願いが終わる前にさらにもう一つ。タスクの終わりが見えない中で、依頼人の笑顔に無理やり笑顔を返す。心の中では「今だけは勘弁してくれ」と叫んでいる。それでも口に出せないのが、地方の司法書士のつらいところ。断れば評判に響く、断らなければ心がすり減る。どちらを選んでも、正解が見つからない。
事務員からも振られる軽作業
「重たい荷物があるんですが…」と声をかけられ、笑顔で「いいですよ」と持ち上げる。ほんの数分のことだけど、スケジュールはその分ズレる。書類作成の集中力は切れる。事務員との関係を悪くしたくないから、何も言わずに引き受ける。それが続くと、心がささくれてくるのを自分でも感じる。
やるべきこととやらされることの境界線
自分の業務として当然やるべきことと、善意でやっていること。その境目があいまいになると、「自分は何をしているんだろう」と虚無感が襲ってくる。誰もが忙しいことは理解している。でも、“頼みやすい人”にすべてが集中してしまうと、それは不公平だし、持続不可能でもある。
誰もやらないなら俺がやるしかないのか
「誰かやってくれるだろう」という空気の中で、気がつくといつも自分が動いている。誰かが困っていると放っておけない。それは美徳だと言われることもあるけれど、当の本人は疲弊している。時には、自分が動かないことで全体の仕組みが変わるんじゃないかとすら思うこともある。それでも今日もまた、「いいですよ」と答えてしまった。