「落ち着いてるね」が刺さる言葉になる

「落ち着いてるね」が刺さる言葉になる

「落ち着いてるね」って、本当に褒め言葉なのか?

「落ち着いてるね」と言われるたびに、心のどこかがモヤモヤする。世間的には褒め言葉だとされているけれど、私にとってはどこか「冷たい」とか「つまらない」といった印象を含んでいるように感じる。司法書士という職業柄、冷静であることが求められる場面は多い。でも、その裏で感情を抑えすぎて、自分自身が何を思っているのかすら分からなくなることもある。だからこそ、この言葉が「刺さる」瞬間には、皮肉も混ざっている。

昔から言われ続けてきたこの言葉

「落ち着いてるね」。この言葉は、もう子供の頃から言われてきた。小学校の授業参観でも、親が先生から「お子さん、とても落ち着いてますね」と言われて嬉しそうにしていた。でも私自身は、その裏で「目立たない」「感情を出さない」と言われているようで、なんとなく寂しかった。運動会でも騒がず、文化祭でも前に出ず。そういう「おとなしい優等生」的なキャラに自然となってしまった。

小学校の頃の「落ち着いてる」は目立たないの裏返し

今思えば、あの頃からすでに自分を抑える癖がついていたのかもしれない。先生に怒られないように、友達と揉めないように、空気を読んで、言葉を選んで、行動を慎重にする。そんなふうに「落ち着いてる」と言われるたび、自分の中の何かが静かに押し込められていった。周囲の評価を気にするあまり、自分が何をしたいかよりも「波風を立てない」が最優先だった。

「元気がないね」と紙一重のニュアンス

大学時代、合コンに誘われたことがあった。久々にちょっと浮かれて参加したものの、開始10分で「○○さんって、落ち着いてるねー」って言われて終了した感じがした。にぎやかに盛り上げられるわけでもなく、面白い話もできず。まるで「元気ないね」の丁寧語みたいな扱いだと感じた。場のテンションに合わせられない自分にガッカリして、その後は誘いも断るようになった。

大人になっても変わらないレッテル

司法書士になってからも、この「落ち着いてるね」という言葉はついて回る。依頼者に言われるたびに「まぁ、そりゃそうだよな」と納得しつつも、「でもこれ、褒め言葉なんだろうか?」と心の中で首をかしげている。感情を抑え、冷静沈着に仕事を進めるのがこの業界では重宝される。でも、その「落ち着き」は、時に自分の人間味を奪うように思える。

司法書士になっても「落ち着いてる」

とある相続の場面で、家族全員が涙をこらえながらも感情的になっていたとき、私だけが淡々と説明を続けていた。後で「先生はやっぱり落ち着いてて助かります」と言われたけれど、実際は内心焦っていたし、場の空気に飲まれそうになっていた。ただ、それを表に出せない。それがプロとしての姿勢だとはわかっている。でも「落ち着いていること」=「何も感じていない」と誤解されると、なんとも言えない虚しさがある。

依頼者の安心感と引き換えに、自分の感情を消す日々

仕事中、泣いている依頼者を前に「一緒に泣いてあげられたら」と思うこともある。でもそれをやってしまったら、仕事が成り立たない。だから、私は「落ち着いている司法書士」であり続ける。そうすることで依頼者は安心し、信頼してくれる。でもそれは同時に、自分の感情を押し殺す選択でもある。気づけば、喜怒哀楽の表現がどんどん下手になっていくのを感じる。

職場での「落ち着き」と孤独の関係

今の事務所は、私と事務員さん一人だけ。朝から晩まで、基本的に静かだ。雑談もほとんどない。たまに依頼者と電話で話す以外は、ほぼ無言の時間が続く。この空気が嫌いではない。でもふとした瞬間に、「自分、誰とも本音で話してないな」と思ってしまう。そんなときに、「先生って、ほんと落ち着いてますよね」と言われると、余計に孤独を突きつけられたような気持ちになる。

事務員さんにすら言われた「感情が見えないですね」

ある日、ちょっとした手違いがあって、事務員さんに注意をした。感情的にならないよう冷静に伝えたつもりだったが、翌日「先生って怒っても静かですね。何考えてるのかわかんないです」と言われた。ショックだった。怒鳴ったりしたくないから冷静にしたのに、それが逆に「感情がない」と受け取られる。言葉にしないと伝わらない。そんな当たり前のことが、できなくなってきているのかもしれない。

感情を出したくても出せない環境

「怒るのが苦手」というより、「怒ることに慣れていない」。おそらく私は、感情を露わにすることに罪悪感を持っているのだと思う。職場で感情を出すことが「プロらしくない」と思い込んでいる部分もあるし、「落ち着いてる」キャラを崩すことが怖いのかもしれない。でも、それって自分を縛ってるだけなんじゃないかとも思う。時には、素直に怒っても、笑っても、いいのかもしれない。

一人職場の壁、愚痴を吐く相手もいない

コンビニ帰りに缶コーヒーを片手に、「あー疲れた」とつぶやいても、誰も聞いていない。そんな日々が続くと、自分が感情を表現する意味が薄れていく。愚痴を言う相手がいないというのは、意外に堪える。仲間内で「ほんと大変だよね」と言い合えたら、それだけで救われることもあるはずなのに。孤独の中で保たれる「落ち着き」は、まるで静かに沈んでいく船のようだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。