ひとり時間が好きだけど、限界はある

ひとり時間が好きだけど、限界はある

ひとりが好きだった。いや、むしろ望んでた

「一人で過ごすのが楽で仕方ない」──そんなふうに思っていた時期が、確かにありました。司法書士という仕事柄、業務中は常に判断と処理の連続。だからこそ、仕事が終わったあとの時間くらい、誰にも干渉されずにいたい。気を遣わずにぼーっとする時間こそ、自分にとっての最高の癒しだったんです。家に帰って、缶ビール片手にNetflixを見る時間。そんな日々に、何の疑問も持っていませんでした。むしろ、誰かと過ごす時間がしんどく感じるほど、「ひとり」であることに快適さを覚えていたのです。

気楽さと自由、それが“ひとり時間”の魅力

朝食を作らなくても誰にも怒られない。週末に何も予定がなくても責められない。そんな“ひとりの自由”を、僕は大事にしていました。自分のペースで過ごせるから、無理がないし、気疲れもしない。人付き合いが苦手というわけではないけれど、仕事では十分に人と関わっているし、それ以上を求められるのは正直、しんどい。特に地方の事務所では、仕事とプライベートの境界も曖昧になりがちだから、プライベートくらいは「誰にも会いたくない」と思ってしまうんです。

誰にも干渉されず、誰の機嫌も取らない日々

人の顔色をうかがわなくていい生活というのは、司法書士のような“気遣いの多い職業”には、ある意味で救いです。事務員の子にも気を遣い、依頼者にも気を遣い、銀行や役所とのやり取りでは言葉ひとつにすら神経を使う。だからこそ、誰にも気を遣わずに済む「ひとり時間」は、心の回復タイムでもありました。ソファに寝転んで、スマホをいじってるだけで満たされる。そんな日々を、僕は好んで選んでいたんです。

会話のない時間が、頭を整理してくれる瞬間だった

誰とも話さないことで、頭の中がすっきりする感覚がありました。登記の段取りや、相続の案件の調整、人間関係のもつれ。そういう「音のない整理整頓」の時間が、僕には必要だったんです。ひとりの静けさの中で、前向きなアイデアが浮かんだり、仕事の段取りが明確になったりすることもありました。だからこそ、「一人でいること」は、僕にとって仕事の一部でもあったのかもしれません。

「独り」でいることの効率と生産性の良さ

仕事でも私生活でも、僕は「誰かと一緒にいるよりも、一人のほうが効率がいい」と感じてきました。余計な雑談に時間を取られることもないし、自分のペースでタスクをこなせる。人と関わると、良くも悪くも予定が狂います。それがストレスだったんです。「だった」というのは、今では少し気持ちが変わってきたから。ですが、当時の僕は、誰とも交わらず、一人で静かに過ごすことが一番の正解だと思っていました。

人といるとペースが乱れる。それが怖かった

誰かと一緒にいると、無意識に合わせてしまうんですよね。相手の話を聞いているうちに、気づけば自分のやるべきことを後回しにしている。仕事が終わって帰宅しても、LINEの返信が来るとそっちを優先してしまったり。そういう「流される感覚」が嫌だったんです。自分の生活を自分でコントロールしたい。そう思えば思うほど、ひとりでいる時間が心地よく思えたんです。

電話も来客もない休日がご褒美だった

電話が鳴らない休日は、本当に貴重でした。司法書士という仕事は、平日でも土日でも急に動かなくてはいけないことがある。だからこそ、電話が鳴らないだけで「今日は当たり日だ」と思ってしまう。そんな日は、コンビニで弁当を買って、風呂に入って、あとは無の時間。何もしないことに価値を見出すようになったんです。「誰とも関わらず、何も起きない」が最大の癒し──そんな状態になっていました。

でも、あるとき、ふとした瞬間に限界が来る

「このままでいい」と思っていたはずなのに、ある夜、突然寂しさが胸に刺さるような瞬間が訪れました。きっかけなんて些細なもので、テレビから聞こえてきた笑い声とか、SNSで見かけた飲み会の写真とか。今まで平気だったのに、妙に心がザワついて、息が詰まるような感覚。ひとりが好きなはずの僕にとって、それは予想外の“揺らぎ”でした。

突然襲ってくる、説明できない虚しさ

ある夜、仕事を終えて、家でラーメンをすするだけの食事をしていると、急に「何やってんだろうな」と思ってしまったんです。味がどうこうじゃない。誰とも言葉を交わしていない今日一日に、突然、意味を見失ったような感覚になったんです。忙しくしているうちは平気だったのに、ふと手が止まった瞬間、その静けさが逆に寂しさに変わったような。あの瞬間は今でも忘れられません。

コンビニの店員さんの声だけが今日の会話

「温めますか?」──その一言が、今日最初の会話。考えてみたら、朝から誰とも話していない日、結構あるんです。事務員は休みで、来所予約もない。電話もメールもなし。そういう日は、社会から切り離されたような感覚になるんですよね。ひとり時間が快適だったはずなのに、「誰かに話しかけたい」と思ってしまう自分がいたのには、少し驚きました。

笑い声が聞こえると、心が少しだけ痛くなる

近所の居酒屋の前を通りかかると、楽しそうな笑い声が聞こえてきて、その明るさがやけに心に刺さるんです。「ああ、自分には今、こういう場がないんだな」って。別に誰かと無理に飲みに行きたいわけじゃない。でも、“帰る場所のある誰かたち”を見ると、自分の生活の空白が妙に際立って感じられてしまうんです。ひとりが心地いいのは間違いないけれど、それが「完全な孤立」に変わったとき、限界を迎えるのかもしれません。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。