「幸せそうだね」と言われるたびに、なんだか切なくなる

「幸せそうだね」と言われるたびに、なんだか切なくなる

見た目で決めつけられる「幸せ」というラベル

「幸せそうだね」と言われると、なぜか心がざわつく。笑顔を向けているつもりはないけれど、営業スマイルが板についたのか、あるいは仕事をこなしている姿が充実しているように見えるのか。人は他人の表情や肩書きだけで、その人の内面を勝手に測ってしまうものだ。だが本音を言えば、「そんな簡単に決めつけないでくれ」と思う。日々抱えている疲れや孤独は、表には出さないだけで、決して小さくない。

笑顔はサービス、心は曇り

私は司法書士として働く中で、常に「安心感」を提供する立場にいる。依頼者が不安にならないよう、穏やかに対応し、ミスのないよう神経を張りつめて仕事をする。結果、外から見れば「余裕がありそう」「楽しそう」に見えるのかもしれない。でも実際は違う。ひとつの登記ミスが命取りになる世界で、常にプレッシャーと向き合っている。笑顔なんて、もはや鎧の一部。誰にも見せない疲れが、その内側にたまっていく。

「忙しそう」よりマシ?でもそれ、本当に褒め言葉?

「忙しそうだね」はまだ理解できる。実際に忙しいし、余裕もない。ただ「幸せそうだね」は、どう受け止めていいのかわからない。褒め言葉のつもりだとわかっていても、「ああ、この人は何も知らないんだな」と感じてしまう。もしかすると、私自身が人に弱みを見せられないせいかもしれない。だけど、それでもなお、この言葉はときに無神経な刃物のように感じる。

独身司法書士の日常は、決して華やかじゃない

私は45歳。地方で小さな司法書士事務所を一人で運営し、事務員がひとり。日々の業務はほとんど自分が担い、休みも自由ではない。そんな生活がもう何年も続いている。正直に言えば、潤っているとは言い難いし、家庭もない。夜はコンビニ弁当、休日は洗濯と買い出し。そんな日々を、「幸せそう」と表現されるたび、どこかむなしい気持ちになる。

帰っても誰もいない部屋と、冷めたカップラーメン

ある日、夜遅くまでかかった相続登記の仕事を終えて帰宅した。時計は23時。事務所の明かりを消し、自転車を漕いで10分。ようやくたどり着いたアパートには誰の気配もない。冷蔵庫には何もなく、湯を沸かしてカップラーメンを作る。テレビをつけても笑えず、SNSを見ると同級生たちの家族写真。「ああ、自分は何してるんだろう」と思わずつぶやいた。

仕事がある=幸せ?そんな単純じゃない

確かに仕事はある。食べていけているし、依頼も減ってはいない。それでも、「仕事がある=幸せ」という図式には無理がある。特にこの仕事は、人のトラブルや人生の転機に関わる場面が多く、精神的に重たい案件も多い。人の人生を預かるような緊張感の中で、自分の心のケアを後回しにしているうちに、感情の余白がどんどん失われていく。

ひとりで稼ぐ、ひとりで抱える、ひとりで倒れるかもしれない

一人親方である以上、何かあったとき代わりはいない。体調が悪くても、天候が悪くても、期日は待ってくれない。そんな状況に慣れてはいるが、いつも心のどこかで「このまま倒れたらどうなるんだろう」と不安を抱えている。家族がいれば、あるいは同僚がいれば違ったかもしれないが、それも今さら言っても遅い。

書類の山と、肩こりと、静かな夜

ある週末、少し早く帰れたので録画していた映画を観ようとした。しかし机の上の登記書類が気になり、結局パソコンの前に座ってしまう。肩はバキバキに凝っている。冷房の効いた部屋に一人で座る自分の姿をふと窓に映して、「これが“幸せそう”に見えるのか」と苦笑した。

「事務所を構えてる」って、そんなに勝ち組に見える?

周囲からは「自分で事務所を構えてすごいね」と言われることもある。だが、実態は“ひとりブラック企業”のようなものだ。経理、営業、実務、全部ひとり。経営者という肩書きに夢を見ている人には見えない現実がある。資金繰りに頭を抱え、税理士と交渉し、トラブル対応に追われる毎日が、どこか「華やか」に見えてしまうのだろうか。

法人名義のプレッシャーと見栄

登記の仕事をしていると、法人設立や事業運営にまつわる相談も多い。自分が法人としてやっていく中で、それがどれほどプレッシャーになるかは、誰よりも分かっているはずなのに、見栄のために「うまくやってますよ」と言ってしまう自分がいる。その言葉が、さらに孤独を深める。

赤字じゃないだけで拍手される世界

利益が上がったわけじゃない。去年と比べても横ばいだし、むしろ経費は増えている。それでも「ちゃんと続いてるね」と言われると、変にうれしくなる自分がいる。続けること自体が評価される世界。倒産していないことがすでに称賛対象になる業界にいると、基準がどんどんずれていく。

「幸せそう」と言われた日のこと

とある法務局帰りの喫茶店。知り合いの行政書士とばったり会い、少し世間話をした。彼女が言った。「なんか、幸せそうに見えるね」その瞬間、何も返せなかった。自分でもなぜだか分からないが、心にスッと冷たいものが走った。コーヒーの香りが急に遠ざかった。

昼飯抜きで働いた日にもらったその一言

その日は朝から公証人役場、法務局、金融機関と走り回り、昼食をとる時間もなかった。ようやく事務所に戻ったのは15時すぎ。コンビニで買ったパンをかじりながらメールを返していたところだった。そんな自分を思い出しながら、「幸せそう」という言葉に、返事が見つからなかった。

笑顔は貼りつけただけの営業用

依頼者には笑顔を絶やさないようにしている。信頼されるには、誠実な態度と安心感が必要だからだ。その結果、周囲にも「余裕がある人」に見えてしまうのかもしれない。だが、その笑顔は毎日貼りつけている仮面のようなもの。内側では常に不安や焦りが渦巻いている。

「いいなあ」と言った彼女は、17時に帰れるOLだった

彼女の勤務先は市内の大手企業で、定時で上がれる日も多いと聞いた。土日は趣味のヨガやカフェ巡りを楽しんでいるらしい。そんな彼女から「いいなあ、幸せそう」と言われても、なんと答えていいのか分からなかった。お互いの“しんどさ”は比べるものではないけれど、その言葉はあまりにも軽かった。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。