仕事の対価って、本当に「お金」だけなのか?
司法書士として仕事をしていると、「こんなに頑張っているのに、これだけ?」と思う瞬間がよくあります。書類作成に奔走し、役所にも駆け回り、土日も返上で対応したのに、報酬として受け取った金額があまりにも現実的すぎて虚しささえ感じることも。特に地方の小規模な案件では、報酬よりも交通費と時間の方が高くついた、なんてことも珍しくありません。お金をもらうために働いているはずなのに、そのお金が報われている気がしない。そんな日々が続くと、心がすり減っていくのを実感します。
報酬明細を見ても、ため息しか出ない日
月末、報酬の計算をしているとき、電卓を叩く手が止まることがあります。「あれ、こんなに働いたのに?」と首をかしげたくなる数字。特に手間のかかる相続登記なんて、相談から始まって何度も訪問、戸籍の取得、関係者とのやり取り……やっと終わったと思ったら、手元に残ったのは想像より少ない数字だけ。がっくりと肩を落とし、ため息が漏れるのは毎月のことです。
やった分だけ赤字になるような案件もある
正直、これはもう慈善事業なのかと自分に問いかけたくなる案件もあります。特に高齢の方からの依頼では、報酬交渉が難しく、「そんなにかかるの?」「お金ないから」と言われれば、引くしかない。結果、実費すらギリギリで、赤字になっていることも。自分の首を絞めていると分かっていても、目の前の困っている人を放っておけないのが、たぶん自分の甘さなのだと思います。
「なぜ断らなかったんだ」と自分を責める夜
夜、布団に入ってから考えるのです。「どうして、あの仕事を引き受けたんだろう」「もう少し割り切って断れたら楽だったのに」って。でも、自分の性格上、頼まれたら断れないし、特にお年寄りや一人で不安そうな人には弱い。そういう自分に後悔しつつ、でも明日もまた誰かに頼られるんじゃないかと、どこかで期待してしまう自分もいるのです。
それでも続けてこれた理由
収支を見ればやってられない。それでも辞めずに続けてきたのには、それなりの理由があると思います。それはたった一言、「先生、本当に助かりました」という言葉。その一言で、どんな疲れも報われたような気がして、また机に向かう気力が湧いてくるのです。
「先生、ほんとうに助かりました」の一言
ある日、成年後見の案件でお手伝いした方の娘さんが、涙ながらに手を握って言ってくれたんです。「先生がいなかったら、どうしていいかわからなかった。本当に助かりました」って。形式上は業務としてやったことですが、こちらの心が救われた瞬間でした。たったそれだけの言葉が、どれほどの報酬よりも心に響くのか、自分でも驚きました。
書類より重い、その一言の重み
普段は書類を通じて人と関わる仕事ですが、直接感謝の言葉をもらうと、書類なんかよりもはるかに重い責任と価値を感じます。報酬が少なくても、あの一言のためならまた頑張ろうって思える。お金では買えないものが、確かにここにはあるんだなと、しみじみ実感した出来事でした。
無理をした日のほうが、感謝される不思議
どう考えてもスケジュールが詰まっていた日、無理をして訪問対応をしたことがありました。自分としては仕事を詰め込みすぎたと反省していたのですが、依頼人から「こんなに早く来てくれて、感激しました」と言われて、逆に恐縮しました。頑張った分、誰かの助けになれていたと気づくと、不思議と疲れが和らぐものです。