眠れない夜に訪れる“頭の中の会議室”
夜中の2時。布団に入ったのに、頭の中で何かがカタカタと動き出す。「あの書類、あれで間違ってなかったか?」「登記の依頼、順番にやるとしても…」と、昼間にやった仕事の記憶が勝手に再生され始める。まるで自分の中に夜だけ開く小さな“会議室”があって、そこで一人、終わったはずの仕事の反省会が始まるような感覚。眠ろうと思えば思うほど、議題は次々に出てきて、気がつけば朝方。目を閉じても閉じなくても、頭だけは業務中。これが司法書士としての「呪い」なのかもしれない。
静かなはずの夜が一番うるさい
本来、夜というのは静けさの象徴であるはずなのに、私にとっては違う。音もなく襲ってくる不安と、自分自身の声。外の世界は休んでいるのに、私の頭の中はむしろ昼間より騒がしい。実際、昼間は事務員とのやり取りや依頼者の対応で“考え事”に使う余裕なんてない。だからこそ、夜になって静かになると、押し込めていた心配ごとが一気に湧き出してくるのだ。テレビをつけても、読書をしても、それはただの“気を紛らわせる手段”に過ぎない。心はまったく休んでいない。
「あの件、あれでよかったんだろうか」という自問自答
特に、ギリギリの判断をした案件があった夜は厄介だ。法律上は問題ないと分かっていても、「でも、もっと良いやり方があったのでは?」と自問自答が止まらない。かつて、登記申請書類で細かいチェックミスが見つかったとき、「あの時の感覚、合ってたな」と思う一方で、それ以来“感覚”だけでは不安で仕方がなくなった。だから、書類を出したあとに「本当にこれで大丈夫か?」と、寝る直前まで見直してしまう。まるで、寝る前の確認作業が“儀式”のようになっている。
終わった仕事のミスを想像して勝手に疲れる
最悪なのは、翌日何か問題が発覚する“予感”がする夜だ。実際には何も起きていないのに、「きっと連絡が来るに違いない」と勝手に想像してしまう。そして、そのミスをどんなふうに謝るか、どんな処理をすべきか、シミュレーションが始まる。すると心拍数が上がってきて、完全に目が冴えてしまう。「今どうしようもないのに、なんでこんなに疲れてるんだ」と自分でも思うけれど、止まらない。眠れない夜は、体力以上に“心”がすり減っていく。
明日の予定が眠気を追い払う
“明日”という言葉ほど、睡眠の邪魔になるものはない。予定がぎっしり詰まった翌日は、それだけで緊張してしまう。特に、新規の依頼者が来る日や、裁判所への書類提出がある日は最悪だ。「遅刻したらどうしよう」「途中でトラブルが起きたら」といった、まだ起きていない未来への不安がぐるぐると回り続ける。睡眠という自然な営みが、「ミスを恐れる意識」によって奪われていくのは、働く人間の哀しい宿命かもしれない。
やり残しが脳内で行列を作る
今日処理しきれなかった案件たちが、布団に入った瞬間から行列を作り始める。「私の番まだですか?」と言わんばかりに、登記、相談、依頼確認、請求書チェック…と順番に頭に浮かんでくる。ひとつ考えると、それに付随する案件が連想されて、芋づる式に仕事が湧いてくる。しかも、夜は変に冷静だから、妙に現実的に考えすぎてしまう。結局「明日朝にやろう」とは思えず、「今メモしておこうかな」と思ってスマホに手が伸びてしまう。
緊急対応が頭から離れない日常
司法書士の仕事は「突発対応」が多い。急に取引が決まる、急に登記の期日が変わる、そんな日常の中で“何かが起こるかもしれない”という警戒心が常にある。だから、布団に入っても「電話が鳴ったらどうしよう」と携帯を気にしてしまう。実際、過去に深夜や早朝に連絡が来たこともあって、それがトラウマになっている部分もある。もう“就寝”という言葉が、ただの言葉にしか思えなくなっている。
段取りを考えているうちに朝が来る
眠れない夜に限って、次の日の段取りを詳細に考え始めてしまう。朝何時に起きて、何を確認して、誰に連絡して…と、頭の中はタイムスケジュールでいっぱいになる。何も進んでいないのに、脳内だけはフル稼働。そして気づけば窓の外が明るくなっていて、自己嫌悪と共に一日が始まる。睡眠という基本的な行動すら、仕事に追われて制限される生活。これは“職業病”なんだろうか、それとも“性格”なのか。
司法書士という職業は“眠る資格”がないのかもしれない
思えば、この仕事に就いてから「朝までぐっすり眠れた」という感覚が減ったような気がする。責任の重さや、失敗の許されなさ、そして「一人で背負うしかない」構造。どれも睡眠の大敵だ。仕事が終わっても気が抜けない。気が抜けないから、寝ても心が休まらない。そんな日々が続いていくと、「自分には眠る資格がないのでは」とすら思えてくる。これは少し大げさかもしれないけれど、眠れない夜には、そんな悲観も頭をよぎる。
真面目すぎる性格が仇になる
よく「真面目ですね」と言われるけれど、それは褒め言葉ではない。真面目すぎるせいで、自分のミスを必要以上に気にしてしまったり、他人の期待に応えようとして過剰に動いたりする。そのくせ、自分がどこまで頑張っても誰にも気づかれない。そんな状況だからこそ、夜になると不満と不安が一緒に押し寄せてくる。自分を褒めるのも慰めるのも自分だけ。それなのに、なぜか自分に一番厳しくしてしまう。
気を抜いたらミスになる世界
司法書士の仕事は、ひとつの数字のズレや一字の誤記が、大きなトラブルに繋がる。だからこそ、常に神経を張りつめている。ミスを防ぐために確認、再確認、そしてまた確認。でも、そんな努力をしても、「完璧」はない。夜になると、その“完璧でなかった部分”を反省してしまう。寝る前に「今日はミスなかったかな」と考えるクセがついている時点で、すでに職業に飲み込まれているのかもしれない。
夜だけじゃなく、夢の中まで仕事をしている気がする
たまに、夢の中でまで登記の相談をされることがある。知らない依頼者に話しかけられ、「先生、これで大丈夫ですか?」と尋ねられる夢だ。目が覚めたときの脱力感と言ったらない。せめて夢の中ぐらい自由でいたいのに、そこでも仕事に追われているのかと思うと、笑えてくる。いや、実際には笑えない。でも、こういう体験を経て、ますます「眠れない自分」が出来上がっていくのだと思う。
眠れない夜の対処法を探して
このままでは身体がもたない、そう思っていろいろ試してみた。ストレッチ、瞑想、アロマ、音楽、読書…。けれどどれも“今考えてることを忘れる”ほどの効果はなかった。最終的には「今日のことは今日で終わり」と、自分に言い聞かせるしかない。眠れぬ夜の解決法は、意外と“考えない練習”なのかもしれない。
スマホで調べる「不安 眠れない 仕事」
夜中、目が冴えてどうしようもないとき、ついスマホで検索する。「眠れない」「仕事 不安」「脳 働く 夜」。同じ悩みを抱えている人がいないかを探すために。そして、見つけた共感の言葉に少しだけ安心する。でも、その後にふと我に返って、「こんなことしてる暇があったら寝ろよ」と思ってしまう。この自己矛盾がまた、眠れない理由になる。
寝酒に手を出してみた話
ある日、試しにウイスキーを一杯飲んでから寝てみた。最初は「お、これはいけるかも」と思ったけれど、結局1時間後にはまた目が覚めた。しかも、頭がぼんやりして翌日の仕事にも響いた。寝酒は“寝落ち”はできても、“心の休息”にはならない。眠るというのは、体を止めることじゃなくて、脳を鎮めることなんだと痛感した。
本当に必要なのは“解決”じゃなく“共感”だった
結局のところ、眠れない夜に必要なのは「どうすれば眠れるか」ではなく、「自分だけじゃない」と思えることだったのかもしれない。この文章を読んで、少しでも「わかる」と思ってくれたなら、それが救いになる。司法書士として、独身として、田舎でひっそり働く者として、こんな夜もあるということを誰かに伝えたくて、私は今日も文章を書いている。