朝が来るたび、気持ちが重くなる理由
「また朝が来たか…」目を開けるたび、ため息が出る。司法書士という職業柄、朝一番の連絡が命取りになることもあるし、遅刻は信用問題にもつながる。だからこそ遅れられない。だけど、布団の中で動けなくなる朝がある。昨日の疲れがまるごと残っていて、体が鉛のように重い。気持ちも晴れない。人に会いたくない、電話を取りたくない、全部後回しにしたい。そんな自分がダメだと責めて、また気持ちが落ち込む。このループが、実は一番こたえる。
目覚ましは鳴った、でも体が動かない
スマホのアラームが鳴るたびに、「止めなきゃ」とは思う。でも、体はまるで別の意思を持っているかのように動かない。私のようにひとりで事務所を回していると、誰にも甘えられないし、替えもいない。責任だけがのしかかってきて、それがプレッシャーになる。頭ではわかっている。起きなきゃいけない。けれど、布団の中で時間だけが過ぎていく。時計を見るたびに焦る気持ちと、諦めに似た無力感が同時にやってくる。
疲れが取れないのは加齢だけじゃない
もう若くないのは事実だ。でも、それだけじゃない気がしている。日々の積み重ねで、心がどこか摩耗しているのだと思う。お客様対応、登記書類の作成、法務局とのやりとり…。目立たないけど神経をすり減らす仕事が多い。昔は徹夜しても平気だったのに、今は少し無理をすると何日も引きずる。年齢のせいにするのは簡単だけど、本当は心の疲れもあるはず。それを無視して動こうとするから、ますます動けなくなる。
精神的なプレッシャーが眠りを浅くする
眠りも浅い。夜中にふと目が覚めて、「あの書類、間違ってなかったか?」と不安に襲われることも少なくない。再び眠れず、朝を迎えてしまうこともある。翌朝、体は休んでいるはずなのに頭が重く、目の奥が痛い。睡眠の質が悪くなると、当然パフォーマンスも落ちる。悪循環の完成だ。仕事がミスにつながればさらに自信をなくす。最近では夢の中でまでお客様に怒られている。これじゃあ、朝の支度なんてできるわけがない。
朝ごはんも着替えも全部めんどくさい
かつては朝食をちゃんと用意していたし、服も気にしていた。今は違う。トースト一枚すら焼く気力が湧かない。スーツも「まあこれでいいか」と手に取るだけ。誰に見られるわけでもないし…と開き直ってはみるものの、鏡に映る自分の姿にがっかりする。見た目が乱れていくと、ますます気持ちが沈む。そしてそんな自分に「またやってしまった」と後悔する。この小さな積み重ねが、自己肯定感を奪っていく。
自分で選んだスーツにすらテンションが下がる
昔は「いい生地だな」「今日のネクタイは気分が上がるな」なんて思っていた。今は、同じスーツがまるで灰色にしか見えない。しわを直す気力もなく、ズボンの裾が少しほつれていても見て見ぬふり。清潔感は大事と頭では理解していても、どうしても手が回らない。スーツを身に着けるたびに、かつての自分との落差を感じてしまう。やる気は外見からと言うが、その外見を整える気力すら残っていない朝もある。
なぜかボタンひとつでイライラしてしまう
シャツのボタンがうまく留まらないだけで、なぜか怒りがこみ上げる朝がある。そんな自分に嫌気が差す。「何に怒ってるんだ」と心の中で突っ込みつつも、指先が言うことをきかない。事務所に行ってもミスをしそうな気がして、不安だけが増していく。ほんの些細なことでも、心が余裕をなくしていると異様に大きく感じてしまう。誰かがそばにいて、「今日は無理せず休めば?」と言ってくれたらどれほど救われるだろう。
事務所にたどり着くだけでひと仕事
一通の登記申請の前に、まず自分自身の立て直しが必要になる。朝、ようやく支度を終えて玄関を出るまでに、すでに1時間以上かかっていることもある。事務所に着いた頃には、もうエネルギーは底を尽きかけている。エアコンのスイッチを入れて、椅子に座る。この一連の流れにすら心の重みがついてくる。やることは山積みなのに、手をつけられない。そのうち電話が鳴り始めて、また心拍数が上がる。それが今の毎日だ。
出勤した時点で力尽きた感覚
「今日も仕事がある」「今日も書類を作らなければ」…わかっているけれど、気力が湧いてこない。まるでゴールにたどり着いたかのような疲労感に襲われる。朝の支度に体力を使い果たした気分になるのだ。出勤しても、やる気スイッチはどこにも見当たらない。事務員さんが話しかけてきても、気のない返事しかできない自分がまた嫌になる。人との関わりが面倒に思えるほど、心が閉じてしまっている朝もある。
メールチェックの時点で集中力ゼロ
パソコンを開いても、画面の文字が頭に入ってこない。メールは溜まっていく一方で、重要な案件ほど怖くて開けない。ミスがあればどうしよう、期限が迫っていたらどうしよう。そんな不安が先に立ち、画面を前に手が止まる。コーヒーを淹れてみても、味も香りも感じない。あの一杯にすら癒やされなくなったとき、自分の限界を感じる。そして、また「今日は最低限で終わらせよう」と自分に言い聞かせてしまう。
「今日は軽い業務だけにしよう」と毎朝思う
気合を入れるどころか、「どうやって逃げようか」を朝から考えてしまうこともある。補正が入ったら午後に回そう、電話は午後の事務員に任せよう…。でも現実は、午前中に済ませた方がいいに決まっている。それでも、心と体が拒否反応を示す。自分にとって“軽い業務”ですら重荷になる日がある。そんなときは、自分を責めず、まずひとつだけ終わらせることに集中してみる。全部を背負わなくてもいい日があってもいい。
同じように苦しんでいる人へ
「朝の支度ができなくて泣きそう」——これは、私だけの話じゃないと思う。誰にも言えず、ひとりで苦しんでいる人も多いはずだ。とくに士業は、周囲から「きちんとしている」「自己管理ができて当然」と思われやすい。けれど、そのプレッシャーこそが人を追い詰める。だからこそ、こうして言葉にしたい。弱音は悪じゃない。共感は救いになる。この記事を読んでくれたあなたが、少しでも気が楽になることを願っている。
「自分だけじゃない」と思えるだけで救われる
朝の支度が苦しいのは、自分だけだと思っていた。でも、実際に話してみると、同じような人が意外と多い。司法書士だけでなく、他の士業やフリーランス、主婦の方も同じような朝を迎えている。誰かが「わかるよ」と言ってくれるだけで、少しだけ心が軽くなる。そんな経験があるから、今は自分も「わかるよ」と言いたい。無理に頑張らなくても、今日を乗り越える方法はある。泣きそうな朝があっても、生きていける。
朝が苦手な人間だって司法書士になれる
私は、毎朝シャキッと目覚めて笑顔で出勤するタイプではない。むしろ、朝の支度で心が折れそうになりながら、それでもなんとか司法書士を続けているタイプだ。そんな人間でも、仕事は回せるし、お客様から感謝される日もある。自分に自信がなくても、毎日完璧じゃなくても、司法書士になれる。朝が苦手で、泣きそうになりながらも、それでも歩みを止めない。それが、私にできるささやかな証明だ。
完璧じゃない姿も、誰かの励みになる
弱音を吐くのは恥ずかしいことじゃない。むしろ、そういう姿に救われる人もいる。私は完璧じゃないし、むしろ毎日いっぱいいっぱいで、泣きたい日も多い。でも、だからこそ「同じように悩んでいる人の役に立てるかもしれない」と思っている。この文章が、誰かの朝に寄り添えたなら、それだけで少し救われた気がする。完璧じゃない司法書士でも、今日を生きている。それだけで、十分なんじゃないだろうか。