朝の始まりに誰もいない
司法書士という仕事は、誰かの節目に立ち会う仕事だと思われがちだけど、実際はその節目の裏側にひっそりいるだけ。今朝も事務所に一番乗り。いや、むしろ自分しかいない。湯を沸かしてドリップコーヒーを落とす。それが一日の始まりの合図になって久しい。目覚ましに急かされ、今日もいつもの時間に起きたが、「誰かのために早く目を覚ます」なんて感覚はもうずっと前に忘れてしまった。
コーヒーの香りだけが部屋に広がる
事務所に立ちこめるのは、焙煎された豆の香りだけ。音もなければ、気配もない。昔、職員が3人いた頃は「先生、今日天気いいですよ」とか「書類ここに置いておきますね」なんて何気ない声が飛び交っていた。それが今では、コーヒーを淹れる音と、自分の椅子の軋む音しか聞こえない。人の気配って、こんなにも温かかったんだと、いなくなってから気づいた。
一人分の朝食、無音のニュース
朝食はトースト一枚に目玉焼き、インスタントの味噌汁。テレビをつけても耳に入ってくるのは繰り返されるニュースとCM。自分の世界に関係ある話なんてひとつもない。それでも無音よりマシと思って流している。たまに画面の中のタレントが笑っていて、それを見て「何がそんなに楽しいのかね」とつぶやいてしまう自分が情けなくなる。
誰かと交わす「おはよう」がない日常
「おはよう」と言われることがない日が続くと、自分の存在って本当にこの世にあるのか疑わしくなる。電話も鳴らず、メールも来ない朝は特に。事務員さんが来るまでは、ただそこに「いるだけ」の自分。誰かと目を合わせて、「ああ、今日も始まったんだな」と思える瞬間すら、貴重なものになってきている。
淡々とした仕事の波に飲まれて
業務が忙しいのはありがたい。でも、その「忙しさ」に感情を込める暇なんてない。ただただ処理する。登記の書類を整え、確認して、提出する。それだけで一日が終わっていく。途中で感謝の言葉を聞くこともなければ、叱責を受けることもない。まるで機械のように、ただ与えられた処理をこなしていくだけの毎日。
書類の山に感情を殺して向き合う
法務局から戻ったら、次の登記準備。亡くなった方の相続登記もあれば、会社設立の案件もある。悲しみも喜びも紙の上では同じ重さ。受け取った側の感情なんて書類の外にある。こちらは、それを正確に処理するだけ。泣きながら来所された依頼者も、帰るころには「助かりました」とは言ってくれるけど、その言葉すらも事務的に感じてしまう。
感謝も文句もない「当たり前」の依頼
以前は、ありがとうの一言に少し報われた気がした。でも今は、その言葉さえも「形式」として処理してしまっている。クレームがあるわけじゃない。むしろ静かすぎる。トラブルがないことは良いことのはずなのに、心はなぜか満たされない。淡々とした日々に、少しの波風を求めている自分がいる。
完了しても誰も気づかない静かな達成
無事に登記が完了したとき、心の中で「よし」と思う。でもそれは誰にも伝わらないし、評価もされない。通知書を発送して終わり。達成感はどこへ行ったのか。まるで、砂に水をかけているような感覚。すぐに吸収され、痕跡は残らない。自分の仕事は「無事完了して当たり前」で、「感動」があってはいけないのかもしれない。
事務員さんの声だけが心の支え
そんな日々の中で、唯一の人間らしい接点が事務員さんの存在。彼女の一言一言が、今日の「会話」のすべてになることもある。たわいない雑談でも、自分にとっては救いの一瞬。無理に元気を装って話してくれていることにも気づいている。でも、ありがたい。ほんのひとことが、今日も頑張ろうと思える原動力になる。
無言の時間にぽつりと漏れるため息
無言の空間で、ふと聞こえる事務員さんのため息。それが自分の気持ちと重なると、つい「大変だね」と声をかけたくなる。でも、気を遣わせたくないから口には出せない。机の上に置かれたメモひとつが、彼女なりの優しさだと思って、黙ってありがとうとつぶやく。
気づいてくれるだけで少し救われる
昨日の提出がギリギリだったこと、朝からずっとPCに向かっていたこと、誰にも話していないのに、気づいてくれる人がいる。それだけで「今日も一人じゃない」と思える。家では誰も話しかけてこないけど、ここには一応の繋がりがある。たった一人でも、見てくれる人がいるなら、それで十分だと思う日もある。
明日もたぶん記憶には残らないけど
今日という一日も、誰の記憶には残らないだろう。クライアントも、自分の名前を数日後には忘れているかもしれない。それでも、きちんと終わらせた仕事がここにある。それだけは事実だ。誰かの人生のどこかに、ほんの少しでも関われたなら、それでいいのかもしれない。
それでも小さく積み重ねるしかない
誇れる実績も、派手な称賛もない。でも、毎日の小さな積み重ねが自分を支えている。誰かに評価されるためではなく、明日も「いつも通り」を続けるために。静かで地味で、誰の記憶にも残らないかもしれないけど、それが今の自分の仕事だ。今日も、そして明日も。