「ありがとう」だけで回る世界があるなら、それに賭けてみたかった
「ありがとう」と言われると、たしかに少しだけ報われた気がします。人に感謝されるというのは、自己肯定感を刺激される瞬間でもあります。特に、仕事でクタクタになったとき、思わぬ場面での「助かりました」「本当にありがとう」が沁みることがある。そんな瞬間があるからこそ、やっていける…そう思ったこともありました。
心が救われた瞬間も、確かにあった
たとえば、相続登記でどうにも話がこじれていた依頼があって、関係者同士がギクシャクしていた。でも、粘り強く調整しながら一つひとつ問題を解きほぐしていったら、最後にご家族の代表者の方から「あなたがいなかったら、たぶんこの話、終わってなかったです。本当に感謝してます」と言われた。正直、涙が出そうになった。お金も大事。でもその一言があるから、まだこの仕事を続けていられるのかもしれない。
でも現実は、感謝だけじゃ乗り越えられない局面が多すぎる
ただし、そういう瞬間がいつもあるわけじゃない。感謝されるどころか、「それ、あなたの説明が悪かったんじゃないの?」と責められることもあるし、感情的なクレームにさらされることもある。書類一枚の不備が、まるでこちらの人間性を全否定されるかのように責め立てられる日もある。「ありがとう」ではなく「なんで?」が飛んでくる現場。それが司法書士という仕事の、ある種のリアルでもある。
司法書士という仕事は「ありがとう」をもらいにくい
この仕事、やればやるほど「普通にできて当然」という空気が強くなる。特に不動産登記や商業登記のようなルーティン業務だと、クライアント側も「業者に頼んだら自動的に終わる」と思っている。だから、わざわざ「ありがとう」と言ってくれる人のほうが少数派になる。期待されて、でも評価されにくい。そんなもどかしさが、いつも背中にのしかかってくる。
結果が出て当たり前、トラブルが起きれば責任はこっち
例えば不動産の決済日、銀行と買主と売主とが待機していて、こっちは事前に全書類を整え、登記の段取りも万全。でも、ひとつだけ銀行側のミスが起きて書類が揃わず、結果的に「司法書士が何かやらかした」となる。そういうことが現実にある。誰も「ありがとう」と言ってくれないし、むしろ「なんで今すぐ対応できないの?」と詰められる。やるせないなんて言葉じゃ済まない。
「ありがとう」と言われるより先にクレームが来る現場
「先生、これ間に合わなかったら損害賠償ですよ?」という電話が夜9時過ぎに鳴ったとき、正直、机をひっくり返したくなった。そんなことはしないけど。でも内心は荒れていた。「感謝どころか、脅しかい」と。司法書士って、感情のゴミ箱になりがちな職業なのかと疑いたくなる日もある。冷静な対応の裏では、結構な怒りと悲しみを抱えているのが現実だ。
優しさで食っていけたら、たぶん今ごろモテてる
昔から「人に優しいね」とは言われる。でも、それで生活できるかといえば話は別。優しさは対価にならない。特にこの仕事、冷静さやスピード、制度の正確な理解のほうが優先される。「優しい人」であることは、事務所の雰囲気を良くするかもしれないけど、収入には直結しない。そういう意味では、優しさに報われる社会ではないという虚しさがある。
事務員にも気を使いすぎて、逆に頼りなく見られてる気がする
たった一人の事務員さん。彼女に無理を言わないよう気をつけてはいるけど、それが裏目に出ることもある。遠慮が過ぎて、逆に「この人、決めきれないな」と思われている節もある。もっとガツンと言ったほうがいいのかもしれない。でも、怒鳴るのは性に合わないし、そんな自分が嫌になる。どうにも中途半端な優しさが、自分を孤立させている気がする。
誰かのために頑張っても、自己犠牲では人生が回らない
「お客さんのために」も、「家族のために」もない独身司法書士。じゃあ何のために働いているのかと考えると、自己満足か惰性かのどちらかになってくる。誰かに感謝されたい。でも、それが得られないなら、自分をすり減らす理由ってなんだろう。誰かのため、だけでは回らない。そのことを痛感するのが、ふとした夜のコンビニの帰り道だったりする。
「感謝」よりも「お金」よりも、まずは体が資本
どんなに「ありがとう」があっても、どんなに報酬が高くても、倒れたら終わり。それがこの仕事の厳しさ。自営業で代わりがいないということは、体調不良すら許されないということでもある。無理を重ねれば、どこかで帳尻が合う。病気という形で。
休めない現実、倒れる自由すらない日々
体調が悪くても、今日やらなきゃいけない登記がある。お客さんが決済を待ってる。そんな日に限って熱が出る。休もうにも、休むことで誰かに迷惑がかかるというプレッシャーに押しつぶされる。「自分がやらなきゃ」が口癖になっているとき、それはもはや危険信号なのかもしれない。
疲れてるのに「忙しい自慢」にはしたくない
「忙しい」って口にした瞬間、どこかで「自慢っぽい」と感じてしまう。でも本当に疲れてるときほど、誰かにそれを分かってほしいのに、言えない。だから結局、自分の中で抱えてしまう。忙しさは誇るものじゃないけど、助けを求められない自分の弱さを、少しずつ許せなくなってくる。
健康診断にすら行けないスケジュール管理の下手さ
半年以上、健康診断を延ばし続けている。「今月はムリ」「来月は決済が集中してるし」そんな理由をつけているうちに、1年が過ぎていく。笑えない。でも、笑うしかない。体を壊して初めて「ああ、あのとき…」と後悔する。そんなフラグを、今、確実に立てている気がする。
それでも「ありがとう」が、辞めずにいる理由かもしれない
全部が全部、辛いだけじゃない。感謝の言葉が、たまにある。それだけで、ギリギリ持ちこたえられる気がするのも事実。「ありがとう」は魔法の言葉。だけど魔法は永続しない。だからこそ、次の「ありがとう」にすがって、今日もまた働いているのかもしれない。
一言で全てが報われる瞬間が、年に一度でもあれば
毎日が苦しいわけじゃない。でも楽でもない。そんな中で、「あなたに頼んでよかった」と言われた瞬間、過去の疲れや苦労がスーッと引いていく感覚になる。たった一言が、何ヶ月分もの心の負債を帳消しにしてくれる。それがあるから、また頑張ろうと思える。…単純だけど、それが現実だ。
効率でも評価でもなく、人とのつながりが最後に残る
司法書士の仕事は、制度と書類の世界。でも、結局残るのは「誰の役に立てたか」という記憶だと思う。評価は紙に残らないし、報酬も記憶に残らない。でも、あのとき笑顔で「ありがとう」と言ってくれた人の顔だけは、不思議と忘れられない。人とのつながりが、最後の砦。そう信じて、明日もまた登記簿とにらめっこする。