スマホを置いてただぼーっとしたい

スマホを置いてただぼーっとしたい

スマホを置いてただぼーっとしたい日がある

「何かしなきゃ」という焦りに追われる毎日の中で、ふと「何もしない」という選択肢が頭をよぎる。そんな時、私はスマホを置いて、ただぼーっとしたくなる。何もしないことに罪悪感を感じるような風潮があるが、司法書士として忙しく働く日々の中で、その「何もしない時間」こそが一番必要なのではないかと思う。スマホから離れることは、他人との比較からも、自分自身へのプレッシャーからも離れる行為だ。私は今日も、ほんの数分だけでもスマホを伏せて、ただ静かに空を見上げたい。

情報が多すぎる時代に疲れた

気づけばスマホの通知が鳴るたびに、反射的に手を伸ばしている自分がいる。LINE、メール、依頼の着信、相続手続きの進捗確認…。情報過多の時代に身を置いていると、自分の考えよりも外からの情報で頭がいっぱいになる。そんなとき、ふと「もう全部放り出して静かにしたい」と思う。まるで大音量の中で静寂を求めるように、頭の中がうるさいのだ。

常に「次」を求められる感覚

依頼をこなせば次の案件、登記を提出すれば次の補正、補正を済ませれば次の相談…。司法書士の仕事には終わりがない。クライアントにとっては一度きりの手続きでも、こちらは何十件と抱えている。そんな状況にいると、「立ち止まること」が許されないような気になってしまう。常に「次」「次」と追い立てられる感覚に、心がすり減っていく。

通知が鳴るたびに、心がざわつく

特に夕方の時間帯、疲れがたまっているところにスマホの通知音が鳴ると、もうそれだけでドキッとする。補正通知か?トラブルか?お客さんのクレームか?心がざわつき、通知を確認する手が震えることもある。そんなとき、「ただ鳴ってるだけだ」と分かっていても、体が勝手に反応する。まるで常に戦闘モードが解除されない状態。スマホを置くだけで、少しだけ自分が人間に戻れる気がする。

事務所にこもりきりで感じる閉塞感

地方の小さな事務所で、一日中誰とも会わず、事務員と淡々と業務をこなす。そんな日が何日も続くと、壁が少しずつ迫ってくるような気持ちになる。仕事が嫌いなわけではない。でも、外との接点が極端に少ないからこそ、気づかないうちに心が干からびているように感じる。

人と話しているようで、話していない

電話やメール、窓口対応は多い。でも、それはあくまで業務のやりとり。「今日は暑いですね」「調子どうですか?」なんて雑談はほとんどない。人と話しているのに、誰とも繋がっていないような虚しさがある。そんなとき、窓の外の景色を見て、ただぼーっとする時間が恋しくなる。

事務員との会話も、業務連絡のみ

事務員は真面目で優秀だ。でも、私がボケても反応は淡々。こちらが疲れていても、気を遣わせたくなくて黙ることが多い。すると自然と、会話は「この書類、明日までに送ります」「はい」だけになる。人と一緒にいるのに、ひとりぼっちのような感覚。こんなとき、誰にも話しかけられない公園のベンチで、ただ風に吹かれていたくなる。

「何もしない時間」が贅沢になってしまった

本来、人間は「ぼーっとする時間」があるものだったはずだ。ところが今は、何かしていないと不安になる。せっかくの休みも、「あれやらなきゃ」「これ終わってない」と思考が止まらない。そんな自分に気づくたび、「スマホを置いて、ただ座ってみよう」と決める。最初は落ち着かないけれど、5分も経てば不思議と心が静まってくる。

休みの日もついスマホを手に取ってしまう

誰に急かされるわけでもないのに、ベッドの中でスマホを見てしまう。SNSを開いて、他人の楽しそうな投稿を眺めて落ち込んで…。本当は、自分のための休みなのに、心はどこかに飛んで行っている。そうやって頭がどんどん重たくなっていくのがわかる。

ただ空を見ていた子どもの頃の自分

子どもの頃、よく道端でしゃがんで空を見ていた。雲が動くのをじっと見つめて、何も考えずにいたあの時間。大人になってから、そんなふうに時間を無駄遣いすることが、どうしてもできなくなった。でも、あの頃の心のゆとりが、今の自分には必要なんじゃないかと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。