「堅そう」って言われて会話が続かない

「堅そう」って言われて会話が続かない

「堅そう」って言われた瞬間に、心がすっと冷める

雑談のつもりで話していただけなのに、唐突に「○○さんって、なんか堅そうですよね」と言われることがある。別に怒ってるわけでも、真面目ぶってるわけでもない。ただ、仕事柄、言葉を慎重に選んで話しているだけだ。それが「堅い」と受け取られてしまうのは、なんともやるせない。相手は冗談のつもりかもしれないが、こちらは心のシャッターを下ろしてしまう。そのあとに何を話しても、もう空気は戻らない。話すこと自体が面倒に感じるのだ。

雑談のつもりが、いきなり壁を感じる言葉

会話のきっかけを探して、なんとか盛り上げようとこちらが努力しても、「堅そう」と言われた瞬間、その努力が水の泡になる。相手の中で、こちらは“話しづらい人”のレッテルを貼られてしまうからだ。私は笑って受け流すこともできるが、正直なところ、そんな一言で片付けられるのは不快でしかない。何より、「堅そう」って言葉には、相手がもうこれ以上関わろうとしていない意思が透けて見えるのがつらい。

会話の流れを断ち切る魔法のような一言

「堅そう」って、会話を終わらせる力がある。たとえば、学生時代の同窓会で、昔の友人と久しぶりに再会した時もそうだった。私が司法書士になったと話すと、「へえ〜堅そうな仕事だね」で終わってしまう。そこから何を言っても、もう深掘りしてもらえないし、話題を変えられる。まるで“こいつとは話が続かない”とジャッジされてしまったかのようだ。そんな一言に、こちらの人間性すべてを封じられたような気分になる。

「あ、そういう人なんだ」と勝手に決められる悔しさ

人間関係って、本来は時間をかけてお互いを知っていくものだと思う。でも「堅そう」って言葉を投げられると、そのプロセスすら踏まずに人格を評価されるようで悔しい。言葉づかいが丁寧なだけで、ちょっと沈黙があるだけで、勝手に性格を決めつけられるのは、正直つらい。私だって、本当は話したいこともあるし、誰かと笑い合いたい気持ちもある。ただ、その前にレッテルを貼られてしまうと、何も始まらないのだ。

司法書士という肩書きが生むイメージの重さ

「司法書士」と名乗るだけで、なぜか相手が構えることが多い。そんな大層な職業ではないし、むしろ地味で裏方のような仕事なのに、「お堅い職業ですね」と言われることが何度もある。そのたびに、「またか…」と思ってしまう。正直、職業だけで人間性まで決められるのは苦痛だ。昔は名刺を出すのも少し誇らしかったが、今では相手の反応を見るのが少し怖くなっている。

スーツと書類と印鑑、それだけで「堅そう」

見た目もあるのかもしれない。日常的にスーツを着て、書類を抱え、判を押す。そんな姿が「融通が利かなそう」「冗談が通じなそう」と思われるのだろう。でも実際の私は、毎晩YouTubeでバカな動画を見て笑っているし、休日はユニクロのTシャツにジャージ姿でコンビニに行くような人間だ。なのに仕事中の一面だけを切り取られ、「堅そう」と言われるのは、なかなかに理不尽だ。

「もっと柔らかくすれば?」という無責任なアドバイス

たまに、「先生、もっと柔らかくした方がいいですよ」と言われることもある。たしかに、親しみやすい雰囲気の方が得する場面も多いのかもしれない。でも、そう簡単にキャラは変えられないし、無理をしても続かない。自分を偽ってまで「柔らかい人間」になる必要があるのか?と、いつも葛藤している。何より、自分らしさってなんだろうと思わされる瞬間でもある。

会話を広げたいのに、広がらない現実

「堅そう」と言われると、その場の空気がしぼんでしまい、せっかくのチャンスも台無しになる。話したいことがあっても、相手がもうこちらに興味を持たなくなるからだ。特に初対面の場では致命的だ。何とかして会話を広げようとしても、「この人とは波長が合わなそう」と思われたら、もう終わり。広がるどころか、沈黙に耐える時間が始まる。

自己開示しようとしても、興味を持たれない

昔、マッチングアプリを試してみたことがある。プロフィールには正直に「司法書士です」と書いた。その時点で反応が鈍くなる。やり取りが始まっても、「なんか真面目そうですね〜」で終わってしまう。こちらとしては、趣味の話や休日の過ごし方などを話そうとしても、「へぇー、意外ですね」で終わる。どこか他人事で、興味を持たれない感覚。話す気力がそがれていくのを感じた。

相手の興味関心に乗れないと、すぐに「堅い人」認定

若い人と話していると、SNSの話や最近流行りのドラマ、芸能人の話題になる。でも私にはまったくわからない。無理に合わせようとしても、にわかさがバレてしまうし、逆に気を使わせる結果になる。結局、「あ、この人とは合わないかも」と思われてしまう。だからといって、「最近の若い子は…」みたいな言い方もしたくない。ただ、興味の対象が違うだけなのに、「堅い」と言われるのは本当に残念だ。

「趣味はなんですか?」の罠に何度も落ちる

趣味を聞かれて、「読書と映画鑑賞です」と答えると、「やっぱり真面目なんですね〜」で終わってしまう。じゃあ冗談で「最近はスーパーの総菜めぐりが楽しいですね」と言うと、「あはは…」で終わる。何を言っても会話が続かない。趣味って、本来は自分の好きなことを話せる場なのに、そこですら「堅い」という印象に結びついてしまうと、本当に話すことがなくなる。

それでも話してくれる人がいるから、まだ頑張れる

そんな中でも、毎日顔を合わせている事務員さんとの会話だけが救いになっている。彼女は、どんなにこちらが無口でも話しかけてくれるし、冗談を交えてくる。そのやり取りがあるだけで、少しだけ人と話す自信を取り戻せる。やっぱり、人との関係って、肩書きじゃなくて、日々のやり取りで築かれていくものなんだなと、しみじみ思う。

事務員さんとの日常会話が救い

朝の「おはようございます」から始まり、昼には「今日のお弁当は何ですか?」と聞いてくる。たったそれだけのやり取りでも、私にとってはとても大事な時間だ。誰かと笑い合えるだけで、少し救われる。事務員さんの一言で、その日の気分が少し軽くなることもある。仕事がどれだけ煩雑でも、こういう人間関係があるだけで、踏ん張れる気がするのだ。

「先生、今日もかたいですね」って冗談で言ってくれる安心感

冗談交じりに「先生、また難しい顔してますよ」と言われると、なんだか肩の力が抜ける。そういう言葉って、嫌味じゃなくて、ちゃんとした信頼関係の上にあるからこそ成立するんだと思う。もし相手が他人だったら、また落ち込んでいたかもしれない。だけど、気心の知れた人とのやり取りの中では、その一言が温かく感じる。言葉って、関係性次第でまったく意味が変わるのだ。

結局、人との関係は役職よりも空気感だと思う

「堅そう」と言われて悩むこともあるけれど、結局のところ、人と人との関係は“役職”でも“第一印象”でもない。日々のやり取りや、ちょっとした言葉の掛け合いで作られていく空気感がすべてだと思う。完璧な受け答えなんてできなくても、共感してくれる人が一人でもいれば、それで十分だ。私はそんな人間関係を、少しずつでも築いていけたらと思っている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。