電話が鳴らない日は、怖い。──静けさに潜む不安と司法書士のリアル

電話が鳴らない日は、怖い。──静けさに潜む不安と司法書士のリアル

電話が鳴らない日は、怖い。──静けさに潜む不安と司法書士のリアル

鳴らない電話が怖くなる日がある

静かな日。それがかつては「ありがたいな」と思えていた。だが今は違う。朝から何の音もないと、むしろ背中がゾワゾワしてくるのだ。地方で一人事務所を構えていると、「電話の鳴らなさ」がダイレクトに売上や信用に結びつく。仕事の波があることはわかっている。だけど、鳴らない日が続いたときの焦燥感は、経験を重ねても慣れることがない。

静かな一日が「終わりの始まり」に見えてしまう

一件も電話が来なかった日の午後、つい考えてしまう。「このまま誰からも依頼がなくなったらどうしよう」と。おかしな話だが、電話の音が仕事の鼓動に思える。それが止まると、自分の存在も薄れていくような気がしてしまう。電話が鳴らない時間の方が、妙に長く感じるのも恐ろしい。時間が止まったような錯覚に陥ることもある。

「今日は平和だな」と思えたのはいつまでだったか

開業当初は、電話が鳴らない日を「ラッキー」と捉えていた。ゆっくり事務処理ができるし、コーヒー片手に本を読める時間もあった。けれど、年数が経つごとにその静けさが「恐怖」に変わってきた。余裕がないのだ。「今月あと何件こなせば家賃が払えるか」が頭をよぎる。そんな状況で平和など感じていられるわけがない。

電話が鳴らない=存在を忘れられている恐怖

ただの営業電話でも、声を聞けるだけで「まだ誰かに必要とされている」と感じられる。不思議なもので、依頼ではなくとも電話口のやり取りが励みになることがある。逆に言えば、電話が鳴らないときの孤独感は、心にズシンと響く。まるで世界から切り離されたような気分になるのだ。誰にも必要とされていないような、あの感覚。

忙しさに疲れていたはずなのに

人間ってわがままだ。忙しくなれば「ちょっと休みたい」と思うし、静かになれば「なんで来ないんだ」と焦り出す。そういう自分に嫌気がさす。けれど、これが現実だ。ひとり親方の司法書士にとって、「ちょうどいい」はほとんど訪れない。

「ちょっと休みたい」と言ってたはずなのに

先週は土日返上で依頼をこなした。月曜の朝、「今日はゆっくりできるかも」と思った自分がいた。だがその静けさは数時間で不安に変わる。「あれ?今日は誰からも連絡がないのか?」と落ち着かなくなり、気づけばメールボックスを何度も更新している。結局、身体より先にメンタルが壊れる。

本当に休まった日は、逆に不安が襲ってきた

事務員が休みで一人の日、午前も午後も電話が鳴らず、誰も来所しなかった。頭では「今日は休日みたいなものだ」と言い聞かせていたが、夕方には胃がキリキリしていた。体は休まっても、心は全然落ち着いていなかったのだ。

結局、鳴ってくれた方がまだマシだった

どんなに忙しくても、誰かと話している時間の方がマシだと思う。忙殺されているときの方が、「今、自分は生きてる」と感じる。不思議だが、本音だ。鳴らない電話の前にずっと座っているより、鳴りやまない電話に追われていた方が、ずっといい。

司法書士という仕事は、油断させてから落としてくる

この仕事、調子に乗った瞬間にドーンと落ちるようなところがある。特に月初に依頼が立て続けに入ると、「今月は行けそうだ」と思う。でも中旬にはピタリと止まり、「あれ、今月もまた後半勝負か?」と肩を落とすことになる。

月初に静かだと、月末が怖い

何度も同じ経験をしてるはずなのに、毎月のように焦る。月初に鳴らない電話。スケジュール帳に空いた日。これらが並ぶと、「これは月末が地獄になるパターンだ」と察する。準備ができてるわけでもないのに、気ばかりが焦る。そしてまた眠れない夜が続く。

「このままゼロだったら…」と頭をよぎる妄想

別に今日鳴らなかっただけ。明日は何件か入るかもしれない。そう思っても、不安は止まらない。「このまま依頼が一件も来なかったらどうする?」「あの大きな固定費、払えるか?」そんな妄想が次から次へと押し寄せてくる。

電話の数で、自分の価値を測ってしまう癖

本当はそんなことないってわかってる。だけど、つい電話の本数で「今月の自分の価値」を測ってしまう。何本鳴ったか、何件の新規だったか。それが仕事の評価になってしまってる。

1本の電話が「まだ大丈夫」と思わせてくれる

たとえ1本でも、誰かが自分を頼ってくれる電話があると、「よし、やっていける」と思える。たった1本でも、その重みはすごく大きい。逆に、ゼロだとまるで存在を否定されたような気になる。それほど依存してしまっているのだ。

逆に、電話がゼロだと何も手につかない

気になって、書類にも集中できない。メールの返信も雑になる。コーヒーの味すらわからなくなる。ただ、電話が鳴らないことに脳が支配されていく。事務所の空気が重く感じる。誰もいないのに、誰かに見られてるような錯覚すらある。

売上の問題だけじゃない、「必要とされてない」感覚

お金ももちろん心配だけど、それよりも「誰にも頼られていない」感覚が心に重くのしかかる。人間って、思った以上に誰かの役に立ってるって思いたい生き物なんだなと気づく。でもそれが感じられないと、自分の存在意義まで揺らいでしまう。

事務員さんは静かで明るい、だからこそキツイ

うちの事務員は明るい性格で、空気も和ませてくれる。でも、電話が鳴らない日に「今日はヒマですね〜」と笑顔で言われると、心が折れそうになる。こっちはヒマじゃなくて必死なんだよ…と心の中でつぶやく。

「先生、今日ヒマですね〜」が胸に刺さる日もある

悪気がないのはわかってる。それでもその一言がグサリとくることがある。「今日も依頼ゼロか」と現実を突きつけられたような気持ちになる。そして、言い返す言葉も見つからず、「まあ、そうだね」と苦笑いしかできない。

黙って耐えるしかない、経営者としての孤独

相談する相手もいない。事務員に「やばいね」と弱音を吐くわけにもいかない。経営者は強がっていないといけないと思い込んでいる自分がいる。だけど、本当は心の中でずっと震えている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。