予定を立てても崩れる日常
スケジュール帳にきっちりと一日の予定を書いても、その通りに終わった試しがない。そんな日々を司法書士として過ごしている。朝の時点で「今日はこれとこれをやればOK」と思っていたのに、気づけばそのどれも終わっていない。予定はあくまで予定であって、現実はまるで違う顔を見せてくる。
朝のスケジュールは机上の空論
「9時からこの登記の書類を整理して、10時には役所へ。そのあと午後イチで面談」と、朝はちゃんと計画する。でも、その10分後には電話が鳴って、すべてが狂う。急な来客、取引先からの問い合わせ、書類の差し替えの依頼…。それが連続すると、朝に立てたスケジュールはただの空想だったのかと思えてくる。結局、実際にやれたのは「予定外の対応」だけ。
電話一本で全てが狂う
司法書士の仕事は、静かな書類仕事のように見えて、実際は「電話対応業」と言っても過言ではない。たとえば、9時半に集中しようと思っていた矢先に電話が鳴る。「ちょっと教えてほしいんだけど」「今日中に名義変更できる?」。しかも、その電話が10分で終わることはまずない。20分、30分、下手したら1時間…。終わった頃には集中力も吹っ飛び、次の予定にもズレが出る。
依頼者の都合は天気より読めない
突然のキャンセル、急な変更、予定のすっぽかし。依頼者にはそれぞれの事情があるのは理解しているが、それに振り回されるこっちの身にもなってほしい。とくに「お昼頃に伺います」という曖昧な表現には要注意。「頃」と言いつつ15時を過ぎても来ないこともザラだ。事務員と「来るのか?来ないのか?」とそわそわするのも、もう慣れっこになってしまった。
「急ぎ」案件に潰される計画
「急ぎなんですが…」と始まる案件に限って、実際の納期は1週間以上先だったりする。だが、相手の「急ぎ」の圧に押されて、こちらはその日中に何とか片づけようと全力になる。そうして本当に今日やらねばならなかった案件が後回しになっていく。終わってから「こっちのほうが急ぎだったのに」と悔やむこともしばしばだ。
本当に急ぎなのは誰なのか
「至急お願いできますか?」と頼まれたとき、つい「わかりました」と言ってしまうのが私の悪い癖だ。断れない性格なのだ。だが、よくよく確認すると、急がなくても大丈夫な内容だったりする。逆に、本当に急がなければならなかった件が埋もれてしまう。誰の「急ぎ」が本物で、誰の「急ぎ」が自己都合なのか…。それを見極める目が欲しい。
優先順位を自分で決められない辛さ
理想を言えば、「この案件が最優先、これは明日でいい」と判断できるのがプロだ。でも、現実は「全部急ぎ」に見えてしまう。しかも、それぞれの依頼者に対して平等に対応しようとするあまり、自分の中での優先順位がごちゃごちゃになる。結果、どれも中途半端で、どれにも満足できない一日になる。そんな日が週に何度もある。
「予定どおり」は幻想かもしれない
そもそも「予定通りに行く」という発想が間違っているのかもしれない。司法書士の仕事は多くの人や機関との連携で成り立っている。その中で、自分ひとりの段取りで動かせるものなど、実はほとんどない。予定は外部要因でどんどん崩れる。その現実に、もう少し早く気づいていれば、こんなに自己嫌悪に陥ることもなかったのかもしれない。
書類の到着待ちで足止め
「書類が届いたら進めます」と言っても、その「届く」が1日遅れるとすべての段取りがズレていく。書類が来ない限り動けないという案件も多く、もどかしい限りだ。こちらから催促の電話を入れるのも気が引けるが、入れないと一週間遅れることもある。何もできない時間が過ぎていくのが、一番のストレスだったりする。
他士業の動きに振り回される
税理士、行政書士、弁護士…。他士業と連携する仕事は多い。だが、スピード感や段取りの感覚がそれぞれ違う。A先生にはすぐ動いてもらえたのに、B先生からは返答すらこない。そんな時、こちらの業務が止まる。依頼者から「まだですか?」と詰められるのも、結局はこちら。正直言って、板挟みの日々に疲れてしまう。
役所に振り回される日々
法務局や市役所、区役所…。いろんな窓口に足を運ぶが、対応や進行速度はその時々で違う。丁寧な担当者に当たればスムーズに行くが、そうでないと何倍もの時間を取られる。しかも、必要書類のリストすら、その場その場で違うこともある。こうして予定がズルズルと押していく。
閉庁日と祝日の罠
月末ギリギリに案件を動かそうとすると、思わぬところで「役所が閉まっている」なんてことがある。特に祝日と週末が重なると地獄。登記の受付が翌週に持ち越しになり、依頼者に平謝り。予定を立てていた意味が吹き飛ぶ瞬間だ。こればかりはどうにもならないからこそ、なおさら悔しい。
窓口の人によって言うことが違う
ある日、市役所で必要書類を聞いたところ「住民票で大丈夫ですよ」と言われた。その翌日、同じ窓口で違う担当者に同じことを言うと「戸籍謄本が必要です」と言われて絶句。こういうことが普通に起きる。どっちが正しいのかもわからず、確認のためにもう一度通う羽目になる。予定は、また未定に戻る。
予定が未定でも、進んでいく現場
どれだけ予定が崩れても、仕事そのものは止まらない。むしろ、「予定なんてどうせ狂う」と開き直ったほうが前に進める気もする。予定通りにこだわらず、今日できることをひとつずつ片付ける。それが唯一、心が壊れないコツなのかもしれない。
事務員との連携で救われる瞬間
正直、事務員がいなかったらこの仕事、続けられてない。予定が崩れたとき、先回りして「このファイルだけでもまとめておきました」と言ってくれたときには本当に涙が出た。支えてくれる人が一人でもいるだけで、未定の中でも一歩は進める。感謝してもしきれない存在だ。
「これだけでも進めておきました」に涙
「あの依頼、先方から返事きてませんが、仮の書類だけでも用意しておきました」。そんな報告にどれだけ救われたことか。何もかも未定の中で、「進んでいる」と思える一つの材料があるだけで、気持ちが変わる。仕事を一緒に進めていける仲間がいることの尊さを、最近ひしひしと感じている。
柔軟さこそが生存戦略
完璧な予定にこだわるより、崩れる前提で動く。その柔軟さが、忙しさに潰されない鍵だと思うようになった。理想は「予定通り」だ。でも、それに固執しているとイライラするだけ。だったら、「予定変更、上等」と言える強さを持ったほうが、日々が楽になる。
予定表に書かない、という選択肢
あえて予定を細かく書かないというやり方もある。「10時にこの作業」ではなく「午前中にこれを終える」くらいのラフな枠にすると、気持ちが軽くなる。柔軟に動ける余地を自分に与える。最近はそういう“未定”の余白が、自分にとっての救いになっている。
「とりあえず明日考える」の強さ
どうしても片づかない案件があるとき、「今日はここまで、明日もう一回考えよう」と区切ることにしている。一晩寝ると不思議と整理されていたり、妙案が浮かんだりするものだ。無理にすべてを今日中に片付けようとすると、心が折れる。未定であることを恐れず、明日に預ける勇気も時には必要だ。
予定は未定…でも、ちょっと救われた話
ここまで「予定が崩れる苦しさ」を語ってきたが、そんな中でも「未定でよかった」と思える瞬間があるのも事実だ。偶然の余地、空白の時間、そこにしかない出会いや気づきがあったりする。皮肉なことに、思い通りにいかないからこそ見える景色もあるのだ。
空いた時間にできた出会い
ある日、依頼者の都合でドタキャンになった午後、ぽっかり時間が空いた。近くの喫茶店でぼーっとしていたら、偶然昔の同級生に再会した。近況を話すうちに、「実は相続で困ってて…」と相談を受けることに。予定していなかった時間が、新しいご縁を生んだ。これだから人生、わからない。
結果オーライだった案件
当初の予定ではタイトなスケジュールで進めていた登記案件が、書類の不備で数日延期になった。最初はイラッとしたが、そのおかげで他の仕事が一気に進んだ。結果として、全体のバランスがよくなり、依頼者にも満足してもらえた。「予定は未定」とは、悪いことばかりではないのかもしれない。