友人の恋バナについていけない

友人の恋バナについていけない

「仕事が恋人」という言い訳の空しさ

よく冗談交じりに「今は仕事が恋人だから」と言うけれど、それが笑えるのは最初だけだ。本当にそれしかなくなってしまうと、笑う余裕もなくなる。気づけば、仕事終わりに誰かと食事に行くこともなく、休日も資料整理やスケジュールの確認で終わってしまう。恋愛をする余裕がないのではなく、する方法をすっかり忘れてしまったのかもしれない。

それを言うと、たいてい笑われる

恋愛トークの中で「俺は仕事としか付き合ってないからさ」と言うと、だいたい笑いが起きる。「またまた〜」とか「かっこいいじゃん」とか言われるが、本気でそう思っているわけではないのがわかる。こちらとしては事実を述べているだけなのに、それすらネタとして処理されてしまう。そういう瞬間に、なんとも言えないむなしさが胸に広がっていく。

実は自分自身が一番笑えていない

自分でも、自分の冗談に乗れないときがある。仕事の話をしているときだけは熱が入るけれど、それ以外の会話になると急にトーンが落ちてしまう。恋愛の話が盛り上がる中で、自分だけが興味のない顔をしているとき、ふと「このままでいいのか」と自問してしまう。誰かと向き合う勇気も余裕もないまま、ただ日々が過ぎていく。そのことに、自分が一番苦笑いしているのかもしれない。

それでも、話せる何かを持ちたい

もう恋愛はいいや、と開き直るにはまだ早いと思っている。誰かと同じことで笑ったり、驚いたり、そういう会話に混ざれるようになりたい。別に無理に恋人をつくろうとは思わない。でも、恋バナに限らず、人と感情を共有できる場を持ちたい。それが自分の中の小さな目標になっている。司法書士という立場でも、自分なりの話せるネタがあっていいじゃないか。

無理に恋をしようとは思わないけれど

恋愛に興味がないわけではない。でも、無理に誰かを好きになろうとも思わない。無理をしても、それは長続きしないし、相手にも失礼だ。ただ、誰かとちゃんと向き合えるような自分になりたいとは思う。今のままでは、誰かと会っても心が動かないような気がしてならない。感情を育てるためには、やっぱり人との接点が必要なのだと感じている。

誰かと同じ話題で笑うためにできること

日常の中に、少しだけ恋愛ドラマを見てみるとか、恋愛映画を観るとか、そんな些細なことでもいいのかもしれない。共通の話題があるだけで、話に入るハードルはぐっと下がる。無理に経験談を語らなくても、「あのドラマのあのシーン、よかったよね」と言えれば、それだけで距離は縮まる。小さなきっかけを、自分の手で作ることも必要なのだと感じている。

ちょっとした興味や経験が会話をつくる

人との会話って、特別な出来事じゃなくてもいい。ちょっとした共感や「わかる!」という一言があるだけで、ぐっと親密になるものだ。自分の話がなくても、相手の話をちゃんと聞いて、興味を持つこと。それだけで会話は成立する。そう考えると、恋バナに限らず、人との関係性をもう少し丁寧に育てていくことが、今の自分には大事なんだと思えてきた。

司法書士同士の会話もまた「恋バナ」かも

最近ふと思ったのは、仕事仲間との会話だって一種の「恋バナ」かもしれないということだ。司法書士の仕事が好きで続けているという点では、ある意味「恋してる」と言えるのかもしれない。たとえ恋愛経験が乏しくても、自分の仕事に誇りを持ち、情熱を注いでいる姿は、それ自体が語るに値するストーリーなのではないかと思う。

仕事に惚れ込んでることも、立派な恋愛

誰かと恋をするのと同じくらい、仕事に夢中になれるって実はすごいことだ。登記や相続の奥深さに惚れ込み、依頼者とのやりとりに真剣に向き合い、書類一つひとつに心を込める。それはまさに、恋人と向き合うような姿勢に近いかもしれない。恋愛とは違うけれど、それに匹敵する熱量がある。それを誇ってもいいんじゃないかと思うのだ。

ただ、それが通じる相手は限られる

問題は、それを理解してくれる相手が少ないということだ。司法書士の仕事に詳しくない人に熱く語っても、たいてい話は流されてしまう。それでも、わかってくれる人が一人でもいれば、救われる。恋愛の話ができなくても、仕事の話で心を通わせられる相手がいれば、それだけで世界は少し広がる。そう信じて、今日もまた机に向かっている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。