新人時代の自分に戻りたい日もある

新人時代の自分に戻りたい日もある

あの頃の自分が今の自分を見たら、何て言うだろうか

ふと、机に突っ伏してため息をついた昼下がり。「この仕事、いつまで続けるんだろう」と自分に問いかけることがある。そんなとき、思い出すのは新人だった頃の自分。右も左も分からず、必死でメモを取り、初めての登記申請に緊張して手が震えたあの頃。今の自分を見たら、彼は何て言うだろうか。尊敬してくれるのか、それとも幻滅するのか。答えは出ないけれど、「あの時の気持ちに戻りたい」と思うことが、最近増えてきた。

初心はどこへ消えたのか

昔は、毎日が発見の連続だった。戸籍の読み方ひとつ取っても、奥深さに驚き、学ぶことに喜びを感じていた。しかし今では、同じような書類をただただ処理する日々。感動よりも疲労が先に立ち、何か大事なものを置き忘れてきた気がしてならない。

目の前の業務に追われる毎日

朝出勤してから夜遅くまで、書類の山に囲まれて過ごす。電話が鳴れば対応し、登記ミスがあれば修正し、依頼人からのクレームには平謝り。まるでコンベアに乗った機械のように、淡々と処理することに慣れてしまった。慣れとは怖いもので、業務を効率的にこなせるようになった代わりに、心が鈍くなっていくのを感じる。

いつの間にか“こなすだけ”になっていた

昔はひとつひとつの業務に「意味」を感じていた。今は「締め切りに間に合うか」「文句を言われないか」ばかりを考えてしまう。依頼人の背景にある想いに寄り添う余裕がなくなり、「こなす」ことが目的化してしまっている。そんな自分に気づいて、ふと怖くなる瞬間がある。

感動や緊張が薄れていく現実

初めての相続登記を一人で任された日、夜中までかかって仕上げた書類が法務局で受理されたとき、心が震えた。今では、登記が通っても「ふーん」としか思えない。あの高揚感はどこへ行ってしまったのだろう。経験を積むことは良いことだが、心まで麻痺してしまっては意味がない。

「できるようになった自分」が生んだ孤独

経験を重ね、知識も増え、トラブルへの対応もそれなりにこなせるようになった。でも、その「できる自分」は、同時に誰にも頼れない自分でもある。新人の頃は、分からないことがあれば気軽に聞けた。今はもう「そんなことも知らないのか」と思われるのが怖くて、何も言えなくなった。

誰にも聞けなくなったことが増えた

分からないことがあっても、検索して済ませるようになった。誰かに聞けばすぐに分かるのに、聞けない。聞かない。変なプライドが邪魔をして、自分で抱え込んでしまう。失敗するのが怖いというよりも、「今さら?」と思われるのが怖い。そんな自意識が、仕事をますます孤独にしている。

弱音すらも飲み込む日常

「疲れた」「しんどい」と言いたい。でも、言ったところでどうなる?という思いが先に立ち、結局何も言わずに飲み込んでしまう。事務員に心配をかけたくないし、相談する相手もいない。たまにSNSに愚痴を書いても、誰かに見られてる気がしてすぐ消す。弱音を吐けない生活は、想像以上にしんどい。

相談相手がいないという辛さ

同業者の集まりに顔を出しても、みんな何となく張り合っているようで、本音が見えない。愚痴を言い合える関係性って、意外と作りにくい。だからこそ、心に溜まるモヤモヤは、消化されないまま沈殿していく。人に話すだけで楽になることもあるのに、それすらできない孤独感がある。

新人時代に感じていた「やりがい」の正体

初心者だった頃、自分が司法書士という職業に希望を抱けたのは、まだ「理想」と「現実」の距離に気づいていなかったからかもしれない。それでも、依頼人の笑顔や、ありがとうの一言に素直に喜べた。あの気持ちは嘘じゃなかったと思いたい。

“ありがとう”に素直に感動できていた日々

何もできなかった頃の自分が、一生懸命に動き、ようやく手続きを終えたときに返ってくる「ありがとう」の言葉。それが本当に嬉しかった。今でも言われることはあるけれど、どこか「形式的」に受け取ってしまっている自分がいる。感情が鈍ってしまったことに、悲しさを覚える。

報酬よりも気持ちが嬉しかった

新人の頃は、報酬が安くても、それよりも「役に立てた」という事実が自信になった。今では金額ばかりを気にしてしまい、「こんなに手間がかかるのに…」と不満を感じてしまう。お金のために働いているわけじゃないはずなのに、心の中が報酬に支配されていく感覚がある。

失敗しても、学べることに希望があった

新人の頃の失敗は、恥ずかしかったけれど、どこか前向きに受け止められた。「これでひとつ成長できた」と信じられたからだ。今はどうか。小さなミスでも「またか…」と自己嫌悪に陥り、「自分は向いてないのかも」とネガティブなループに陥ってしまう。変わったのは仕事ではなく、自分の心の受け止め方だ。

「次は大丈夫」が自分を支えていた

失敗しても、「次こそはできる」と思えたから、続けてこられた。あの時の根拠のない自信は、ある意味で自分を守ってくれていた気がする。今は失敗するたびに「また信用を落とした」と考えてしまい、気力を失っていく。あの無謀さが、少し羨ましい。

それでも今日を生きている自分を認めたい

新人時代に戻りたい気持ちはあるけれど、今の自分を否定してばかりでは前に進めない。積み重ねてきた経験や苦しみも、自分の一部であることに違いはない。だからこそ、時々は立ち止まりながらも、今日を生きている自分を労わりたいと思う。

新人時代にはなかった「耐える力」

あの頃の自分は勢いだけだった。今の自分には、踏みとどまる力がある。何度も傷つき、裏切られ、うまくいかないことを経験してきたからこそ、多少のことでは揺らがなくなった。決して派手じゃないけれど、この「耐える力」は大人になった証なのかもしれない。

諦めなかった回数が今の自分を作った

何度も辞めたいと思った。もう無理だと思った日もあった。それでも続けてきた自分がいる。決して褒められるような成果があるわけじゃない。でも、踏ん張った日々の積み重ねが、今の自分を形作っているのだと思いたい。逃げずにここまで来た、それだけで十分だ。

優しくなれたのは、傷ついたからこそ

昔よりも、誰かの気持ちに敏感になった。依頼人の言葉の裏にある不安や、事務員の小さな疲労のサインにも気づけるようになったのは、自分がたくさん傷ついてきたからかもしれない。痛みを知った人間は、強くも優しくもなれる。そう思うことで、自分を少しだけ許してあげたくなる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。