一人の気楽さに慣れてしまった日常
司法書士という仕事柄、日々の業務に追われ、帰宅するともう何もしたくなくなる。夕飯はコンビニの弁当、もしくは近所のラーメン屋。誰にも気を使わず、好きな時間に風呂に入り、眠くなったら寝る。そんな生活に慣れてしまうと、誰かと暮らすとか、連絡を取り合うとか、そういった「人付き合い」に対して腰が重くなる。一人は寂しいと思うときもあるが、それ以上に、誰かと一緒にいる面倒くささを感じてしまうのだ。
誰かと過ごすより、一人でラーメンの方が落ち着く
例えば土曜の夜、事務所を早めに閉めてラーメン屋に行くとする。カウンターで黙々とラーメンをすするその時間は、静かで、誰にも邪魔されず、妙に落ち着く。これがもし誰かと一緒なら、「どこ行く?」「何食べたい?」「混んでるね〜」といちいち会話が発生するし、相手の顔色をうかがいながら注文しなきゃいけない。一人なら「今日は味噌、チャーシュートッピングだな」で済む。気楽さって、思った以上に大事だ。
予定を合わせるストレスに疲れてしまう
仕事が予測不能な業務ばかりだと、急に予定が入ることもある。恋人がいると「またドタキャン?」と責められる。でも本当に仕方がないのだ。登記の締切、急な相談、裁判書類の提出…全部「今日中に」っていうのが多い。せっかく楽しみにしていたデートも、「また今度」となると、相手の顔が曇るのが見える。それがつらくて、「いっそ恋愛なんてしないほうが楽じゃないか」と思ってしまう。
「なんで返事くれないの?」というメッセージが重い
LINEの未読が3件、全部同じ人から。「仕事中だから」とわかってくれているはずなのに、何度も来る。「既読スルー?」っていう追撃までくると、もうお手上げ。返信しようと思っても、タイミングを逃すと余計に気まずい。気づけばどんどん返信が億劫になる。誰かと付き合うって、こんなに神経使うことだったか?と思ってしまう。昔はもっと自然にできていたのに、今はまるで「義務」のようになってしまっている。
仕事が生活の中心すぎて恋愛どころじゃない
毎日、事務所でトラブル対応。書類の不備、クライアントからの再依頼、電話の応酬。疲れて帰ってきても、机の上にはまだ確認していない資料が山積み。そんな状況で「恋愛しましょう」と言われても、どこにそんなエネルギーがあるのかと思う。自分のことで精一杯、心の余裕がない。恋愛は余裕がある人がやるものなのだろうと、最近は半ばあきらめ気味だ。
登記の締切と恋愛の駆け引き、両立は無理
登記の仕事って、思った以上にタイトな締切が多い。しかも「できて当たり前」の世界。そんな中で、「もうちょっと素直になってよ」とか「気持ちが見えない」とか言われると、こちらも困ってしまう。こっちは締切と格闘してるんだ、そんな余裕ないんだ、と叫びたくなる。恋愛の駆け引きって、ある程度の気持ちの余白が必要だ。それが一切ないと、もはやストレスでしかなくなる。
疲れて帰ってきた夜に誰かと話す余裕がない
夜遅くに帰ってきて、シャワーを浴びて、やっと一息。そんなときに電話が鳴る。「今日も遅かったね」「話せる?」と言われても、正直きつい。返事をする気力もないのに、無理して話すとギスギスする。だったら最初から話さない方がいい。そんなふうに思ってしまう自分に、少しだけ罪悪感もある。でも現実問題、疲れてるときは誰とも話したくないのが本音なのだ。
人と向き合うのに、もうエネルギーがない
昔は恋愛も楽しかったし、向き合う努力もできた。でも今は、その「努力」がもう無理だと感じる。お互いの気持ちを理解しようとか、歩み寄ろうとか、そういうのがどこか億劫になってしまった。年齢を重ねると、傷つきたくない気持ちが勝ってしまう。楽しいよりも「面倒くさい」が先に立つ。それでも、完全に恋愛を捨てきれない自分もいて、複雑な気持ちになる。
信頼関係を築くのが億劫になってしまった
初対面から始めて、少しずつ信頼を積み上げていく。そのプロセスは大切だと分かっている。でも今は、そこに使うエネルギーが残っていない。相手の好き嫌い、価値観、生活スタイル…全部受け入れていくには、時間も気力も足りない。仕事では毎日、人のトラブルに向き合っている。それだけで精一杯。プライベートくらい、無言でも心が楽な相手がいい。そんな理想を追いすぎて、誰とも付き合えなくなっている。
過去の恋愛の失敗が、足を引っ張る
20代、30代と恋愛もしてきた。でもうまくいかなかった経験が積み重なると、「また同じことになるんじゃないか」と警戒してしまう。特に、相手に尽くしすぎて空回りした経験や、仕事を優先して疎遠になったことなど、後悔の記憶が染み付いている。次こそはと思っても、なかなか一歩が踏み出せない。恋愛のスタートラインに立つのすら、怖くなっている。
「また同じことになるんじゃないか」という恐れ
恋愛で傷ついたときの痛みは、想像以上に尾を引く。特に自分のように一人で抱え込むタイプだと、余計に抜け出せない。次に誰かと出会っても、「この人も、いずれは去っていくのでは」と疑ってしまう。そんな気持ちのままでは、いい関係なんて築けるわけがない。だからといって、誰とも関わらないのは寂しすぎる。そのはざまで、ずっとぐるぐる考え続けている。
それでも時々、誰かと笑いたくなる夜もある
テレビでバラエティを見て笑っているとき、ふと隣に誰かがいてくれたらなと思う瞬間がある。日曜の夕方、スーパーで一人分の惣菜を選んでいるとき、「これを二人で食べられたらな」と思うときがある。恋愛は面倒だと思っていても、人との温もりを求める気持ちは消えていない。そんなとき、自分がまだ人間らしいことに少し安心する。
ふとした瞬間に感じる孤独
事務所からの帰り道、ふと見上げた空がきれいで、誰かと共有したいと思っても、スマホを取り出す相手がいない。仕事が忙しい分、気が張っていて気づかないけれど、ふと立ち止まると、強烈な孤独に襲われる瞬間がある。自分で選んだ道なのに、それでも寂しい。この矛盾をどう処理したらいいのか、答えは出ないままだ。
恋愛がすべてじゃないけど、ゼロは寂しい
恋愛は人生のすべてではないし、仕事や友人、趣味もある。でも、それでも人は誰かに必要とされたいし、誰かを必要としたい。面倒くさくても、心のどこかで「もう一度、誰かと向き合ってみたい」と思っている。きっと、恋愛は「したくなる」ものではなく、「気づいたらしていた」ものなのだろう。そう思える日が、いつかまた来るかもしれない。