休みの日って、仕事の予備日でしたっけ?

休みの日って、仕事の予備日でしたっけ?

気づけば土日も、仕事に手を出してしまう現実

「今日は休みだから何もしない」と思っていたはずなのに、気がつくと机に向かって書類を開いている。そんな休日が、もう何年続いているだろうか。司法書士という職業柄、緊急の連絡や登記の準備に追われることが多く、心からの“完全な休み”というものをいつしか諦めるようになった。「ちょっとだけ」のつもりが、午前中が終わり、気づけば日も暮れていた。これが私のリアルな土日の姿だ。

「ついでにこれだけ」から始まる仕事地獄

土曜の朝、スーパーに行こうと外出したついでに事務所に寄った。ちょっとだけ郵便を確認するつもりだった。ところが、未処理の郵便を見た瞬間、身体が勝手に動き出す。「これだけ処理しとくか」と思って手をつけたのが最後。書類を作り、電話をかけ、ついでにメールの返信までしてしまった。気づけば昼過ぎ。昼食を買うつもりが、コンビニのおにぎりをかじりながらPCに向かっていた。

机の上の書類を見たら、気づけば始まってる

仕事机の上にある「要確認」の封筒。別に今開けなくてもいいのに、視界に入ると気になってしまう。封を開けると、何かしら手を加えなきゃいけない内容ばかりで、結局PCを立ち上げる羽目になる。「これは今のうちに処理しといた方が楽だ」と思っているが、それは休みの自由時間を差し出してるということに他ならない。気づけば、心のどこかで「自分は仕事してないと不安」になってるのかもしれない。

“片づけるだけ”は、休みを飲み込む魔法の言葉

「片づけるだけ」という言葉は、最も恐ろしい誘惑だ。それを言い訳に仕事を始めてしまうと、そこからズルズルと休みが崩れていく。まるで、やることリストが“勝手に”延長されていくかのように。気づけば2時間、3時間と仕事をしてしまって、「なんだか今日も休んだ気がしないな…」と溜め息をつく。この繰り返しが、私の休日をすっかり奪ってしまった。

「休みたい」と言いながら、休めない自分

口では「ゆっくりしたい」と言いながら、いざ時間が空くと落ち着かなくなる。ソファに座ってスマホを眺めていても、頭の中は「今のうちにやっておけば楽になるかも」で埋め尽くされている。結果、完全にオフになることができず、半端に仕事に触れ、半端に疲れ、どっちつかずの休日になる。

頭の中は常に仕事モードのまま

寝ても覚めても「登記の期日はいつだったか」「あのお客さん、返信まだだな」と考えてしまう。たとえテレビを見ていても、どこかで「この時間にメール1通返せたな」と自分を責める。休日になってもスイッチが切り替わらないのは、もう習慣というより“職業病”に近い。誰も求めてないのに、自分で勝手に忙しくなっている気がしてならない。

趣味も外出も、「気が散る」で片づけてしまう

昔はドライブが好きだった。でも今は、「行っても結局気になって楽しめない」と思ってしまう。釣り道具もホコリをかぶってる。映画の途中で顧客から電話が来たことが何度かあって、それ以来映画館にも行かなくなった。どこかで「どうせ中断されるくらいなら、最初からやらない方がマシ」と思っている。仕事が生活の真ん中に居座りすぎて、趣味を受け入れる余白がなくなっている。

「仕事を頑張ってる自分」が支えになっている矛盾

どれだけ疲れても、「誰にも頼らずやりきってる自分」が誇りだった。でもその誇りが、いつのまにか“逃げ場を奪う言い訳”になっているような気もする。「頑張ってるね」と言われたくて仕事してるわけじゃない。でも、そうでも思わないと、やってられない。これが“自営業あるある”かもしれない。

達成感より先にやってくる、虚しさと疲労

「ああ、今日もやりきった」と思うより先に、「あれもまだ、これもまだ」と自分を追い立てる声が聞こえてくる。やるべきことを終えても、すぐに新しい“やるべきこと”が湧いてくる。だから、ゴールが見えない。ずっと走らされてる感じがして、「これっていつまで続くんだろう」と夜にぼんやり思うことが増えた。

“充実してる”ふりに自分が飲み込まれる

知り合いに「忙しいでしょ?」と聞かれると、つい「まあ、ありがたいことに」と笑ってしまう。でも心の中では、「それって本当に“ありがたい”ことか?」と自問している。本音を言えば、「ちょっと休ませてくれよ…」って思ってる。でも、“忙しい自分”に慣れすぎて、演じてるうちにそれが自分になってしまったようだ。

誰にも止められない働き方の孤独

一人で事務所を回してると、誰かに止められることもないし、誰かに頼ることも難しい。事務員さんに負担をかけたくないと思えば思うほど、自分が無理をしてしまう。結果、誰にも気づかれずに疲弊していく。孤独とは、こういう形でもやってくるのだと知った。

事務員さんには気を遣って仕事させないけど

正直、もっと任せれば楽になる。でも、「これは私がやった方が早い」と思ってしまうし、無理させたくない。彼女が定時で帰る姿を見ると、ホッとする反面、自分だけが残ってる現実に少し寂しくなる。誰にも頼れないのは、自分の性格のせいでもある。

代わりに自分が全部抱え込む日々

電話対応、書類の確認、スケジュール調整…どれも「自分がやらなきゃ」という思い込みでいっぱいだ。もちろん任せられることもあるけど、「万が一間違ったら…」という不安が先に来る。だから、結局全部自分で抱える。それが積もって、休日も出勤するという悪循環になっている。

それでも、誰かの役に立ってると思いたくて

不満を言いながらも、この仕事を続けているのは、おそらく「誰かの役に立ってる」と信じたいからだ。実際、お客さんからの「助かりました」「本当にありがとう」という一言があるだけで、「まあ、やっててよかったかな」と思える。報酬よりも、その一言の方が重い。

疲れの奥にある、たった一言の「ありがとう」

先日、あるお年寄りの登記を急ぎで処理した。日曜に電話が来て、最初は正直「またか…」と思った。でも、その方の「これでやっと安心できました、先生ありがとう」という言葉に、疲れが少しだけ溶けた気がした。報われる瞬間というのは、ほんの一瞬だけど、だからこそ強く心に残る。

その一言でまた「ちょっとだけ頑張ろう」と思ってしまう

皮肉なことに、その一言が次の休日も仕事に使ってしまう原因になる。「あの人のために」と思うと、身体が自然と動いてしまう。でも、それで疲れても、また誰かの役に立てたらと動く。どこかで「限界」を自分で設定しないといけないと分かってはいるけど、まだその線引きができないままだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。