書類の話が中心になってしまうのはなぜか
気づけば、会話の内容がほとんど「登記がどう」とか「法務局がこう」とか、そんな話ばかりになっている。たまに誰かと話しても、自然と書類の話になってしまうのは、単純に日々の生活が仕事に染まりすぎているからだ。朝から晩まで、依頼者と連絡を取り、登記の不備をチェックし、法定相続情報の整理…。気を抜くと、プライベートな時間も仕事の延長のような感覚になる。それが職業病というやつなのかもしれない。
日常が「書類」で埋め尽くされている現実
朝、事務所に入って最初に見るのは積み上がった申請書の束。昼も書類チェック。夕方、法務局へ電話。帰り道も「明日の登記漏れないようにしなきゃ」と考えている。これだけ書類に囲まれていたら、自然と話す内容もそうなる。何気ない会話すら「この前、相続の戸籍がさ…」と始まってしまうのは、もう反射的に口をついて出てしまうからだ。
話題の幅が狭くなる職業病
大学の頃は音楽や映画の話もしていたはずなのに、今となっては「最近なにか観た?」と聞かれても返せるネタがない。「この前、遺産分割で揉めててさ」なんて話を出しても、盛り上がるわけがない。それでも話すことが他にない。話題の幅が狭くなっていることには気づいているのに、日々の忙しさの中で改善できないまま時間だけが過ぎていく。
そもそも司法書士の話って面白くない?
司法書士の仕事って、世間的には「地味で堅い」と思われている。たしかにそうかもしれない。扱うのは法律や書類、会話の中にも専門用語が飛び交う。でも、その裏には人間ドラマがある。依頼者の人生が詰まったエピソードがある。そういう話に興味を持ってもらえたら、きっと面白いんだけど…うまく伝えられないのが悩みの種だ。
他人から見れば「専門用語の洪水」
「登記」「抵当権抹消」「遺産分割協議書」…こちらとしては日常語だけど、普通の人にとっては知らない言葉ばかり。「つまんない」と言われる前に、「なにそれ?」という顔をされることもある。専門知識があること自体は悪くない。でも、それをそのまま話しても伝わらないし、共感も得られない。話の噛み合わなさが、疎外感を生む原因になっているのかもしれない。
書類の話=地味と思われがちな風潮
「紙とハンコの話ばっかり」と笑われたことがある。自分では真面目にやっていることでも、他人から見ると単調に映るらしい。確かに書類の話は映像的な派手さもなく、展開もない。だから、どうしても「地味な人」のレッテルを貼られてしまう。これがまた地味に傷つく。
でも本当は人間ドラマが詰まっている
不動産の名義を変更する背景には、必ず人のドラマがある。親の死、兄弟の確執、老後の不安…そのすべてが書類に反映される。たとえば「遺産分割協議書」が一枚あるだけで、その家庭がどう話し合い、何を譲り合ったかが透けて見える。それをうまく語れれば、書類の話も一気に人間味を帯びるはずなのだ。
伝え方次第で興味を持ってもらえる?
「登記の話ばっかり」と言われたことにショックを受けたが、それでも諦めたくない。伝え方を工夫すれば、司法書士の仕事の奥深さや面白さも伝えられるかもしれない。たとえば、実際のエピソードを交えたり、登場人物の気持ちを想像しながら話すだけでも、聞き手の反応は変わる。ちょっとした話術の差で、話が「つまらない」から「興味深い」に変わる可能性はある。
「つまんない」と言われた瞬間に思ったこと
ある日、ふとした会話の中で「書類の話ばっかで、つまんない」と言われた。笑いながらだったけど、内心グサッときた。自分では相手に合わせて話しているつもりだったのに、その言葉は、自分の世界がいかに偏っていたかを突きつける一言だった。まるで自分自身を否定されたような気分だった。
自分の全否定に聞こえてしまう辛さ
司法書士という仕事に誇りを持っているつもりだったからこそ、「つまんない」と言われたのは堪えた。まるで、自分の生き方がつまらないと言われたような…。もちろん相手にそんな悪気はなかったと思うけど、孤独に働く身としては、そういう些細な言葉が心に残ってしまう。誰にも相談できないまま、モヤモヤを抱えて事務所に戻る。
プライベートでも仕事モードが抜けない問題
たぶん、書類の話ばかりしてしまうのは、ずっと気が張ったままだから。仕事が終わっても、頭は登記やスケジュールでいっぱい。だからこそ、雑談のときも自然とその話になる。悪気があるわけじゃない。ただ、自分の中に「他の引き出し」がなくなっている。仕事とプライベートの境目が曖昧になっている証拠だと思う。
反省してもまた同じことを繰り返す理由
「もっと別の話をしよう」と思っても、気づけばまた仕事の話をしている。自分でも嫌になる。でも、それくらい生活のすべてが司法書士としての時間で占められてしまっているのだ。趣味も、友人との交流も、年々減ってきている。だから話題も自然と偏っていく。
結局、毎日仕事しかしていない
朝7時に事務所に行って、帰るのは夜8時。昼休みもまともに取れず、休日もお客様の都合で予定が埋まることもある。そんな生活が続けば、当然「何か面白い話して」と言われても困る。正直に言えば、最近心の底から笑ったことなんてあったかどうかも思い出せない。
興味の対象が狭まっていることへの焦り
昔は読書も好きだったし、カメラを持って出かけることもあった。でも今は本を開く気力すらない。好きなことや趣味が、徐々に「余裕のない日常」に押しつぶされている。そういう状況に気づいてはいるけれど、なかなか立て直せない。気がつけば、「書類の話しかしないおじさん」になっていた。
休日に話すことも「今の案件」のことばかり
たまに人と会っても、「最近こんな相続案件があってさ」と仕事の話ばかり。別に悪いことじゃないけど、聞いてる方は面白くないだろう。自分では「ネタ」として話してるつもりでも、司法書士じゃない人にとってはピンとこない。そう考えると、話題選びって本当に難しい。
事務員との会話すら書類中心
事務所で雇っている事務員との会話も、9割が仕事の話。というか、そうじゃないと話が続かない。彼女も気を使って聞いてくれてはいるが、ふとした時の「あぁまたその話ね」って表情が刺さる。こちらも悪気はないのに、場が白ける瞬間って、わかってしまう。
じゃあどうすればいい?
このまま「つまんないおじさん」で終わりたくない。仕事だけじゃなく、人としての引き出しを増やしたい。そのためには、日常の中で意識して「違う世界」に触れることが必要だと感じている。ほんの少しでもいい。新しい本を読む、散歩する、誰かの話をじっくり聞く。それだけで、自分の中の話題は少しずつ変わっていくはずだ。
仕事と無関係の「引き出し」を増やす努力
テレビを観る、音楽を聴く、旅行の話をする…。そういう一見「役に立たない」ことが、実は人と繋がる大切な素材になる。司法書士としての知識も大事だけど、人としての面白さは別の部分にあるはず。自分をもっと広げる努力を、少しずつでもしていきたい。
話し相手の興味に寄り添う技術を学ぶ
つい自分の話ばかりしてしまう。でも、本当に会話って相手の興味に寄り添うことが大事だと気づいた。相手が好きなことに関心を持つ、質問する、リアクションを返す。それだけで空気が変わる。書類の話をするなとは言わない。でも、そればかりじゃなくて、相手との共通点を探す姿勢が、きっと「つまらない人」から抜け出す第一歩になるんじゃないかと思っている。