また「まだ結婚しないの?」から始まる実家の洗礼
数ヶ月に一度の帰省。どこかホッとする気持ちもある反面、憂鬱さもセットでついてくる。玄関をくぐった瞬間、母親の「ご飯できてるよ」の一言と同時に飛んでくるのが、「そろそろ落ち着いたら?」というお決まりのフレーズだ。45歳、独身、司法書士。このスペックがどうやら「帰ってきた長男」としては不足しているらしい。口には出さなくても、食卓の空気からそれは伝わってくる。
親の圧力は想像以上にボディブロー
「○○くんのところは子どもがもう中学生なんだって」と、親が何気なく言ってくる近所情報。別に悪意があるわけではないのだろうが、その一言が妙に胸に刺さる。こちらとしては、年中登記や相続の書類に追われ、食事すらコンビニで済ませる毎日なのに、子育てを終えつつある同世代と比べられると、自分が何を頑張ってきたのか分からなくなる。
沈黙が答えになってしまう自分
「まぁ、いい人がいればね」と笑って返したつもりでも、あの沈黙の数秒が地味につらい。親も本当は責めたいわけじゃないことは分かってる。けれど、言われるたびに心のどこかがちょっとずつ削れていく。こっちだって別に独身主義なわけでもない。ただ、タイミングを逃し、今は仕事だけでいっぱいいっぱいなだけなのに。
地元の空気感がもたらす「普通」とのギャップ
地元では「結婚して子どもがいてマイホーム」こそが“普通”とされる価値観が今も根強く残っている。司法書士という職業すら「なんかよく分からないけど堅そうな仕事」とぼんやりしたイメージしか持たれていない。だからこそ、ただ独身であることが「何か問題があるのでは?」という目で見られてしまう。正直しんどい。
親戚づきあいがつらい、というより怖い
お正月やお盆の帰省時には、親戚が集まる機会もある。正直、その場に行くだけで胃がキリキリする。話題の9割が「今何してるの?」から始まり、「結婚は?」で締めくくられる流れは、もはやテンプレート。何も悪いことをしていないのに、まるで取り調べを受けているような気分になる。
会話の9割が近況チェックと人生アドバイス
「そろそろいい年なんだから」「一人で老後は大変だよ」と、人生経験豊富な親戚たちの言葉が飛び交う。でも、こちらとしてはすでに何度も自問自答した末の今なのだ。ありがたいアドバイスも、聞きすぎればただの圧迫感。なにより、他人の人生に正解を押し付けられることが、こんなにもストレスになるとは若い頃は思わなかった。
「肩身が狭い」は比喩ではない
正月のこたつで、親戚の子どもが自分の肩にぶつかってきたとき、「あ、ごめんなさい、おじさん」って言われた。その一言がやけに響いた。肩身が狭いって、こういう物理的な意味でもあるんだなと思った。こたつの中で膝を抱えたまま、そっと自分の存在を縮こまらせた瞬間だった。
そもそも帰省のたびに仕事を持ち帰っている
カレンダーは赤くても、司法書士の仕事は止まらない。特に年末年始やお盆のような「世間的に休みの時期」に限って、登記関係の相談や急な対応が入るのがこの業界のあるあるだ。そんな事情を知らない家族からすると、実家でパソコンを開いている時点で「なんで休まないの?」という目になる。
パソコン開けば「休みじゃないの?」
朝食後にパソコンを立ち上げて、メールチェックしていたら、母親から「え、あんた今日も仕事するの?」と半笑いで言われた。いや、するよ。しないと終わらないんだから。むしろ帰省してもこうして仕事に追われる自分をちょっと労ってほしいくらいなんだけど、家庭では「休むことが普通」という空気が優先されるのがつらい。
「仕事がある」は言い訳扱いされがち
親からすると「大人なんだから家の用事も手伝ってほしい」という気持ちは当然だろう。ただ、それが「仕事があるから無理」と断った瞬間、言い訳っぽく聞こえてしまうことがある。別にサボってるわけじゃない。自分の生活も事務所も、自分で支えてるんだっていう説明をするのも、もう疲れた。
年末年始でも登記は動いている現実
世間が浮かれているその時期に限って、銀行や不動産会社から「この案件、年内に処理できますか?」という連絡が来る。はいはい、できますよ、やりますよ。だから、帰省中でも実家でこっそり書類をチェックしたり、電話対応するのが習慣になってしまった。そんな姿を見て、「せっかく帰ってきたのに」とため息をつかれるのがオチ。
「仕事=忙しい=偉い」ではないのが悲しい
都会の友人たちは「正月でも働いてるってすごいね」と言ってくれる。でも、実家ではその評価が全く違う。「そんなに頑張って、何が残るの?」というようなニュアンスの言葉が返ってくる。いや、何も残らないかもしれないけど、やるしかない。そう思ってる自分が、実家にいると急に小さく感じてしまうのだ。