給料日なのに、なぜか「虚しさ」が勝ってしまう
給料日と聞くと、たいていの人は少し浮かれるんじゃないでしょうか。銀行口座の数字が増えた瞬間の安心感、財布に現金が入ったときの重み。なのに私はというと、なぜかいつもそのタイミングで深いため息が出てしまうんです。誰かと分かち合う相手がいないと、お金が入っても心が温まらない。むしろ、今日も誰にも「お疲れさま」と言ってもらえないまま、自分にしかご褒美を与えられないという現実を突きつけられるようで、心に隙間風が吹いてしまうんです。
数字は増えても、感情は報われない
通帳を開いて「よし」と思ったのは昔の話。今では、その数字がどれだけ増えていても、心のどこかが空っぽのままです。これは贅沢な悩みかもしれません。でも地方でひとり司法書士としてやっていると、数字ばかりが仕事の評価基準になってしまって、人とのつながりとか、誰かに喜ばれる感覚がどんどん薄れていくような気がします。
通帳残高と幸福度は比例しないらしい
よく「お金じゃ幸せは買えない」って言いますが、それをじわじわ実感するのがこの仕事の現実かもしれません。特に一人でやっていると、成功しても失敗しても自分ひとりの責任。飲みに行って騒げる仲間も少なくて、たまに行く外食はむしろ孤独を突きつけてきます。給料日が来るたびに、「頑張ったのにこれか…」とつぶやいてしまう自分がいます。
「お疲れ様」と言ってくれる人がいない現実
事務員さんには言えませんが、本当はただ一言「お疲れさま」と誰かに言ってもらえるだけで、救われる日もあるんです。でも誰もいない。帰っても部屋は静かで、テレビの音だけがやけに響く。頑張ってるのに、どこかで自分を見てもらえてない気がして、その寂しさが一番こたえます。
焼肉屋のカウンター席、なぜか俺にはよく似合う
給料日くらい誰かと飲みに行きたい、そう思っても相手がいないのが現実です。結局、町の焼肉屋のカウンター席に一人腰を下ろすことになります。最初は抵抗があったはずなのに、今ではもう慣れました。慣れてしまった自分がちょっと怖い。でも、そこで食べる焼肉がなぜかやたらしょっぱく感じるのは、きっと肉のせいじゃないんですよね。
一人焼肉の“慣れ”が怖い
焼肉って、やっぱり誰かと食べるものだと思うんです。網を囲んで、「そっちもう焼けてるよ」なんて言い合いながら。だけど一人だと会話もなく、ただ黙々と肉を焼いて口に運ぶだけ。そんな時間に慣れてしまうと、人との関わりを自ら避けるようになっていくんです。「気楽だから」で済ませたくない自分もいるけれど、疲れ切った心にはそれすら言い訳にしか聞こえません。
網の前で語り合う相手、いた試しがない
そういえば人生で焼肉を誰かと食べて、心から楽しかったなと思えた記憶が少ないんです。昔の彼女とはファミレス止まり、友人とは気まずくなって疎遠。仕事の付き合いで焼肉なんて気を使ってばかりで、気楽でも楽しくもなかった。気がつけば「一人焼肉歴10年」なんて肩書ができてしまいそうで、それがまた切ないです。
事務員さんには焼肉なんて誘えないし
うちの事務員さんはとてもよくやってくれているけど、かといって一緒に焼肉に行こうなんて口が裂けても言えない。仕事終わりに「ご飯でも…」と誘う勇気もないし、何よりそういう距離感を保たないと関係が壊れてしまう気がして怖いんです。だからこそ余計に孤独が際立ってしまうんでしょうね。
司法書士って、意外と孤独な仕事です
「先生」と呼ばれているうちはまだいい。でもその裏には、とても孤独な日々があります。相談に乗って、書類を整えて、登記して…誰かの人生をサポートする仕事ではあるけれど、その誰かにこちらの人生を気にかけてもらえることはまずありません。どれだけ丁寧に仕事をしても、「ありがとうございました」で終わる。そこからのつながりは、ほとんどありません。
「先生」と呼ばれても、誰も人生を心配してくれない
肩書きや見た目ではわからない寂しさって、ありますよね。街ではスーツ姿で「先生」と呼ばれても、夜は冷えたコンビニ弁当を一人で食べている人だっている。それが私です。家族もいない、恋人もいない。誰かに「最近どう?」と気軽に聞かれることすらなくなった今、焼肉屋の煙がやけに目にしみることがあります。
相談に乗るばかりで、自分の話はどこにも出せない
人の話を聞くのは慣れています。でも、自分のことを話す場なんてほとんどありません。ましてや弱音なんて吐いたら「この先生大丈夫か?」と思われそうで。だから仕事の愚痴は焼肉と一緒に飲み込んで、何もなかったような顔で翌日も出勤するんです。そんな日々に疲れを感じないはずがないですよね。
事務所の中で独り言が増えてきたら黄色信号
最近、自分でも気づいたんです。ひとりで作業してるときに「これはこうして…いや違うか…」って、つぶやいてるんですよ。これ、完全に危ない兆候じゃないですか?誰かと話せない日が続くと、脳が勝手に対話を始める。そんな自分にふと気づいて、笑ってしまったけど、その笑いもやっぱり少しだけ寂しかったです。